2025年12月11日
6時30分頃目が覚めました。床暖房ブラッカンは今回調子悪く、タンクはちんちんに熱くなっているのに温水がマットを十分に循環していませんでしたが冬山用羽毛シュラフとカバーで十分温かくしっかりと眠れました。
あまり早く出立すると路面凍結などの恐れが高くなるし、毎日忙しすぎるからここぞとばかりゆっくり過ごすことにしてのんびり朝食づくりを始めました。
朝食は昨日使わなかったミックス野菜をコッヘルに入れて煮込み、そこへラーメンとラーメンスープを入れました。ラーメンスープは寒い時にはやはりこれ、濃厚みそがいいでしょう。

昨日は星空が見えていて放射冷却が心配でしたが、幸いにも曇っていてそれほど冷え込んではいない様子。でも、テントのフライには霜が降りていました。

朝食を食べ終えたし、トイレに行ってくるか。

トイレから戻ってきてブーツを脱いだ時トラブル発生!靴底がはがれた~。

右ブーツの靴底がかかとから土踏まず辺りまではがれてしまいました。まだ買って1年ですよ。それと、左足については今まで書かなかったけどすでに1回はがれていて合鍵靴修理のお店で修理してもらっているのです。そのお店では、踵の部分は接着面積が小さいのではがれやすい構造です、と言われました。
本革ブーツなのでしっかりとオイル塗ったり防水スプレー拭いたりして大事にしていたのに、まさかこんなことになるとは。
メーカーを恨む気持ちはありますが、とにかくこのままでは安全に運転できないのでとりあえず細引きで固定します。

そしてテントの撤収と荷物積載をします。それからスマホで検索をかけます。靴修理。だめだ、この辺りにはない。ホームセンターで接着剤買って自分で直す?今ある工具では心もとないなあ。仕方がない、この際買うか。え、モーターサイクル用品店この辺りないじゃん。水戸まで行かなければならないの!おもいっきり逆方向。それではいわき市でないかなあ。あ、あるにはあるけどアップガレージだから出たとこ勝負だぞ。でもそれにかけてみるか。
ということで、パカパカの靴底をなんとかしながらやってきましたアップガレージいわき店。そしてライディングブーツ、シューズコーナーへ。まず大事なのはサイズ。でかすぎるのと、微妙に小さいのと。どっちがいい?いや、今電熱ソックス履いているのだから、微妙に小さくてもこれを普通の靴下にすればクシタニの白い26.0㎝いけるじゃん。
ちょっと高いかな、と感じた税込み1万円ですがここは仕方がないもんな。ライディングにも支障があるし、これから灯台に登ったりするのにいくら何でもあれじゃあね。

無駄に時間使っちゃったなあ。とにかくいわきら・ら・ミュウ行こう。

2階に上がりレストランふぇにっくすへ。名前を書いて順番待ちをします。なかなかの人気店です。
来店した有名人のサイン入り色紙が飾られています。一番右はご存じ生涯旅人加曾利隆さんのサインでした。

お茶と水はセルフサービスなので汲みに行きます。

このレストランは窓から海が見えるのです。風がものすごく強かったのですが、海はさほど荒れていないように見えました。

そして海鮮丼がキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

おいしく食べ終えたら、ここに来たもう一つの理由の場所へ行きます。フェニックスのすぐ隣にそれはありました。

いわきの豊間は私が小学3年生から高校生までは毎年、さらに自分の子供ができてからも2回来ていました。民宿えびすやさんに毎回お世話になっていて、特に小学生から中学生時代には7日間から10日間連続して宿泊しているというリピーターだったのです。民宿の人が良く、元遠洋漁船に乗っていた御主人の料理もとても美味しくて、さらにビーチ、磯と両方があって極上の避暑地だったのです。御主人のご両親も健在で、特におばあさまは天草を取ってきてはそれで心太を作ってくださったり、巻貝などを煮て食べさせてくださったり、また持っている畑に連れてってくださってそこで作物の収穫体験なんてこともさせてもらったこともあります。
しかし、3.11の大津波の被害を受け、あのにぎやかだった民宿街はすっかり変わり果ててしまったようです。ストリートビューで見るとかさ上げされた道路からは民家が見えなくなっています。
さて、展示を見て回りましょう。入口から丁寧に見て回りました。あ、この写真は!
あの日の豊間のまさにその瞬間が切り取られた写真でした。撮影者の名前にえびすやさんご主人の名前が!そう、この写真はまさに、えびすやさんの屋上から撮影されたものだったのです。

避難所が再現されていました。ここじゃ寝られないよ。段ボールで仕切られただけのスペースに、床は体育館の板張りそのままです。東北の3月じゃあそれは辛かったことでしょう。

震災ごみの一つ、プーさんのぬいぐるみです。幸せな家族の一部だったはずなのに。そう思うと胸が張り裂けそうになります。

映像を見たり、じっくり展示を見て回ってしまったので、ずいぶん時間が経ってしまいました。とにかく次へ行きましょう。

次に来たのは豊間です。夕月かまぼこの工場があった辺りに駐車場があったのでそこに車両を停めました。地図が示してあります。すっかり変ってしまってはいますが、地形はそのままなのでどこに何があったのかは覚えています。

塩屋崎が見えます。その上に灯台が立っています。変わっていないのはその灯台くらいでしょうか。

防波堤に出てみました。防波堤自体は以前から有ったものと変わらないように感じました。海も変わっていないかな。サーファーが一人波乗りに興じていました。風がものすごく強いのでちょっと心配になります。沖に流されちゃうんじゃないかな。

反対側には合磯岬が見えます。この岬も変わっていないでしょう。防波堤があり、そのすぐ右側は道路、そしてその道路に面して民宿が立ち並び、夕月かまぼこの工場の先が丁字路でそこを曲がると商店がありました。浮き輪などが並んだ奥には野菜や果物が売られていて、デラウェアを買ってもらい民宿の部屋で家族で食べたものです。

その家々がかさ上げされた部分に置き換わってしまっています。

次へ行きましょう。クシタニの白いライディングシューズと白いタンクがマッチしているかな?なかなかかっこいいではないですか。

次は塩屋崎灯台に来ました。ここはえびすやさんからくねくね道を歩いて来ていたので、こうしてここの駐車場に停めて登るのは初めてのことです。

映画、喜びも悲しみも幾歳月の舞台の一つにもなっています。その碑が立っていました。

久しぶりに、息子が小学生の時以来かな、20年ぶりくらいに来ました。


受付で300円支払います。そしてここへ来た訳といきさつを話すと、受付の係員は詳しくご存じで、いくつかの情報を頂けました。えびすやさんのこともご存じで、従業員一同屋上へ避難したので全員無事だったこと、そこで撮影した津波の写真が展示されていること、(これは先ほど見てきましたね。)豊間がいわき市では最も被害が大きかったこと、などを教えてくださいました。

豊間漁港とその先に合磯岬。

この、漁港を抜けて灯台下に来ると磯場があって、天草や巻貝、牡蠣、時々タコなんかがとれたのです。1970年代当時は漁業組合も黙認してくださっていて、バケツに入れて運んでいても何も言われませんでした。

灯台に登りましょう。

5回転すると階段が細くなり、出口が近づいたことが分かります。

灯台の発光部にきました。これは現在でも発光しているようです。

外に出てみましょう。風が強い!立っているのがやっと、恐怖を感じるほどです。こちらは薄磯海岸です。こちらもすっかり変ってしまいましたね。

薄磯もこの手前の部分は磯遊びができました。

豊間と薄磯をつなぐ道路はずいぶん広くなった気がします。当時はかなり細い道だったのです。

同じ場所を見てもやはり高さがある分よく見えますね。

ここが一番の思い出ポイントです。大潮の干潮時にはタイドプールがたくさんできてそれぞれに閉じ込められた魚やウミウシなんかがいて大いに楽しみました。

多分今でもウニなんかたくさんいるんだろうな。

風が強いので、見物はそこそこに降りることにしました。

駐車場に戻ってきました。

さて、次に行くか。あれ、美空ひばりの碑が立っているな。あっちも見てくるか。

塩屋崎を歌った、みだれ髪の碑です。作詞の星野哲郎はえびすやさんに長逗留していて、その時に書いたのがこの詩なのだそうです。

美空ひばりさんの像もありました。

1.5m前に立つとセンサーが反応し、みだれ髪が流れる仕組みです。私も聞きました。案外いい音質でした。

次はそこからわずか400mほど、いわき震災伝承未来館に行きました。

入口で受付簿に名前を記入すれば無料で入れます。ここの展示も今回の旅の目的の一つでした。

ここの展示も工夫が凝らしてあり、また充実の内容で当日の津波の様子が良く分かりました。驚くべきことに、街の奥にまで津波は到達していました。えびすやさんの畑があった辺りで、かなりの高台だったのですが。

そういえば、お盆のお祭りに参加して父が仮装で賞を取ったこともありましたっけね。

じっくり見ていたら15時になりました。さすがにもう帰りましょう。
いわき中央ICから常磐道に乗り、関本PAで休憩しました。クシタニのレザーシューズは電熱ソックスなしでも十分な保温性能があり、つま先の冷えとは無縁でした。

次は守谷SAで休憩。ここで時間調整をしました。というのも、この先で事故渋滞が発生していたのです。おかげでまったく渋滞にはまることなく帰宅できました。帰宅は19時10分くらいでした。

それにしても、ワイルドウイングのブーツは困ったな。
6時30分頃目が覚めました。床暖房ブラッカンは今回調子悪く、タンクはちんちんに熱くなっているのに温水がマットを十分に循環していませんでしたが冬山用羽毛シュラフとカバーで十分温かくしっかりと眠れました。
あまり早く出立すると路面凍結などの恐れが高くなるし、毎日忙しすぎるからここぞとばかりゆっくり過ごすことにしてのんびり朝食づくりを始めました。
朝食は昨日使わなかったミックス野菜をコッヘルに入れて煮込み、そこへラーメンとラーメンスープを入れました。ラーメンスープは寒い時にはやはりこれ、濃厚みそがいいでしょう。

昨日は星空が見えていて放射冷却が心配でしたが、幸いにも曇っていてそれほど冷え込んではいない様子。でも、テントのフライには霜が降りていました。

朝食を食べ終えたし、トイレに行ってくるか。

トイレから戻ってきてブーツを脱いだ時トラブル発生!靴底がはがれた~。

右ブーツの靴底がかかとから土踏まず辺りまではがれてしまいました。まだ買って1年ですよ。それと、左足については今まで書かなかったけどすでに1回はがれていて合鍵靴修理のお店で修理してもらっているのです。そのお店では、踵の部分は接着面積が小さいのではがれやすい構造です、と言われました。
本革ブーツなのでしっかりとオイル塗ったり防水スプレー拭いたりして大事にしていたのに、まさかこんなことになるとは。
メーカーを恨む気持ちはありますが、とにかくこのままでは安全に運転できないのでとりあえず細引きで固定します。

そしてテントの撤収と荷物積載をします。それからスマホで検索をかけます。靴修理。だめだ、この辺りにはない。ホームセンターで接着剤買って自分で直す?今ある工具では心もとないなあ。仕方がない、この際買うか。え、モーターサイクル用品店この辺りないじゃん。水戸まで行かなければならないの!おもいっきり逆方向。それではいわき市でないかなあ。あ、あるにはあるけどアップガレージだから出たとこ勝負だぞ。でもそれにかけてみるか。
ということで、パカパカの靴底をなんとかしながらやってきましたアップガレージいわき店。そしてライディングブーツ、シューズコーナーへ。まず大事なのはサイズ。でかすぎるのと、微妙に小さいのと。どっちがいい?いや、今電熱ソックス履いているのだから、微妙に小さくてもこれを普通の靴下にすればクシタニの白い26.0㎝いけるじゃん。
ちょっと高いかな、と感じた税込み1万円ですがここは仕方がないもんな。ライディングにも支障があるし、これから灯台に登ったりするのにいくら何でもあれじゃあね。

無駄に時間使っちゃったなあ。とにかくいわきら・ら・ミュウ行こう。

2階に上がりレストランふぇにっくすへ。名前を書いて順番待ちをします。なかなかの人気店です。
来店した有名人のサイン入り色紙が飾られています。一番右はご存じ生涯旅人加曾利隆さんのサインでした。

お茶と水はセルフサービスなので汲みに行きます。

このレストランは窓から海が見えるのです。風がものすごく強かったのですが、海はさほど荒れていないように見えました。

そして海鮮丼がキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

おいしく食べ終えたら、ここに来たもう一つの理由の場所へ行きます。フェニックスのすぐ隣にそれはありました。

いわきの豊間は私が小学3年生から高校生までは毎年、さらに自分の子供ができてからも2回来ていました。民宿えびすやさんに毎回お世話になっていて、特に小学生から中学生時代には7日間から10日間連続して宿泊しているというリピーターだったのです。民宿の人が良く、元遠洋漁船に乗っていた御主人の料理もとても美味しくて、さらにビーチ、磯と両方があって極上の避暑地だったのです。御主人のご両親も健在で、特におばあさまは天草を取ってきてはそれで心太を作ってくださったり、巻貝などを煮て食べさせてくださったり、また持っている畑に連れてってくださってそこで作物の収穫体験なんてこともさせてもらったこともあります。
しかし、3.11の大津波の被害を受け、あのにぎやかだった民宿街はすっかり変わり果ててしまったようです。ストリートビューで見るとかさ上げされた道路からは民家が見えなくなっています。
さて、展示を見て回りましょう。入口から丁寧に見て回りました。あ、この写真は!
あの日の豊間のまさにその瞬間が切り取られた写真でした。撮影者の名前にえびすやさんご主人の名前が!そう、この写真はまさに、えびすやさんの屋上から撮影されたものだったのです。

避難所が再現されていました。ここじゃ寝られないよ。段ボールで仕切られただけのスペースに、床は体育館の板張りそのままです。東北の3月じゃあそれは辛かったことでしょう。

震災ごみの一つ、プーさんのぬいぐるみです。幸せな家族の一部だったはずなのに。そう思うと胸が張り裂けそうになります。

映像を見たり、じっくり展示を見て回ってしまったので、ずいぶん時間が経ってしまいました。とにかく次へ行きましょう。

次に来たのは豊間です。夕月かまぼこの工場があった辺りに駐車場があったのでそこに車両を停めました。地図が示してあります。すっかり変ってしまってはいますが、地形はそのままなのでどこに何があったのかは覚えています。

塩屋崎が見えます。その上に灯台が立っています。変わっていないのはその灯台くらいでしょうか。

防波堤に出てみました。防波堤自体は以前から有ったものと変わらないように感じました。海も変わっていないかな。サーファーが一人波乗りに興じていました。風がものすごく強いのでちょっと心配になります。沖に流されちゃうんじゃないかな。

反対側には合磯岬が見えます。この岬も変わっていないでしょう。防波堤があり、そのすぐ右側は道路、そしてその道路に面して民宿が立ち並び、夕月かまぼこの工場の先が丁字路でそこを曲がると商店がありました。浮き輪などが並んだ奥には野菜や果物が売られていて、デラウェアを買ってもらい民宿の部屋で家族で食べたものです。

その家々がかさ上げされた部分に置き換わってしまっています。

次へ行きましょう。クシタニの白いライディングシューズと白いタンクがマッチしているかな?なかなかかっこいいではないですか。

次は塩屋崎灯台に来ました。ここはえびすやさんからくねくね道を歩いて来ていたので、こうしてここの駐車場に停めて登るのは初めてのことです。

映画、喜びも悲しみも幾歳月の舞台の一つにもなっています。その碑が立っていました。

久しぶりに、息子が小学生の時以来かな、20年ぶりくらいに来ました。


受付で300円支払います。そしてここへ来た訳といきさつを話すと、受付の係員は詳しくご存じで、いくつかの情報を頂けました。えびすやさんのこともご存じで、従業員一同屋上へ避難したので全員無事だったこと、そこで撮影した津波の写真が展示されていること、(これは先ほど見てきましたね。)豊間がいわき市では最も被害が大きかったこと、などを教えてくださいました。

豊間漁港とその先に合磯岬。

この、漁港を抜けて灯台下に来ると磯場があって、天草や巻貝、牡蠣、時々タコなんかがとれたのです。1970年代当時は漁業組合も黙認してくださっていて、バケツに入れて運んでいても何も言われませんでした。

灯台に登りましょう。

5回転すると階段が細くなり、出口が近づいたことが分かります。

灯台の発光部にきました。これは現在でも発光しているようです。

外に出てみましょう。風が強い!立っているのがやっと、恐怖を感じるほどです。こちらは薄磯海岸です。こちらもすっかり変ってしまいましたね。

薄磯もこの手前の部分は磯遊びができました。

豊間と薄磯をつなぐ道路はずいぶん広くなった気がします。当時はかなり細い道だったのです。

同じ場所を見てもやはり高さがある分よく見えますね。

ここが一番の思い出ポイントです。大潮の干潮時にはタイドプールがたくさんできてそれぞれに閉じ込められた魚やウミウシなんかがいて大いに楽しみました。

多分今でもウニなんかたくさんいるんだろうな。

風が強いので、見物はそこそこに降りることにしました。

駐車場に戻ってきました。

さて、次に行くか。あれ、美空ひばりの碑が立っているな。あっちも見てくるか。

塩屋崎を歌った、みだれ髪の碑です。作詞の星野哲郎はえびすやさんに長逗留していて、その時に書いたのがこの詩なのだそうです。

美空ひばりさんの像もありました。

1.5m前に立つとセンサーが反応し、みだれ髪が流れる仕組みです。私も聞きました。案外いい音質でした。

次はそこからわずか400mほど、いわき震災伝承未来館に行きました。

入口で受付簿に名前を記入すれば無料で入れます。ここの展示も今回の旅の目的の一つでした。

ここの展示も工夫が凝らしてあり、また充実の内容で当日の津波の様子が良く分かりました。驚くべきことに、街の奥にまで津波は到達していました。えびすやさんの畑があった辺りで、かなりの高台だったのですが。

そういえば、お盆のお祭りに参加して父が仮装で賞を取ったこともありましたっけね。

じっくり見ていたら15時になりました。さすがにもう帰りましょう。
いわき中央ICから常磐道に乗り、関本PAで休憩しました。クシタニのレザーシューズは電熱ソックスなしでも十分な保温性能があり、つま先の冷えとは無縁でした。

次は守谷SAで休憩。ここで時間調整をしました。というのも、この先で事故渋滞が発生していたのです。おかげでまったく渋滞にはまることなく帰宅できました。帰宅は19時10分くらいでした。

それにしても、ワイルドウイングのブーツは困ったな。
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