佃島在住TOYOTA3000GT 、スープラ3.0GTターボLIMITEDエアロトップの思い出の方は昨年4月に鬼籍に入られました。思い出の一部は2回このブログで紹介いたしました。
昨日、奥様のご厚意でIさんの納骨式へ招待にあずかり、謹んで参列して参りました。

一般的には家族や近しい親族のみで行われる納骨式ですが、コロナ禍において通夜や告別式に参列できなかった友人も奥様のご配慮でお招きいただけ、その中に私も入れていただけたのです。
ご友人も続々と集まってこられました。故人の結婚式でお会いしただけ、それも28年も前の事なのですが、顔を見てすぐにわかる方がいらっしゃいました。
「あ、奥様と出会うきっかけになったスキー旅行に行った時のハイラックスダブルキャブオーナー!」
お供物として故人の好きだったアサヒスーパードライを持って行き、祭壇に飾らせていただきました。もっとも、ここ何十年もお会いしていないので最近は飲んでいたかどうかさえ知らなかったのではありますが。私たちが遊んでいた頃はスーパードライが大流行し、ビール以外にも「ドライ」を謳う商品があふれかえっていました。故人は
「職人は暑い中で仕事しているからね、こういうガツンときてすっきりする飲み物がいいよね。」
と言っていました。振り向けばサントリーという業界3位に甘んじていたアサヒビールが一気にトップブランドにのし上がりましたが、その売り上げにはちょっとだけ貢献していたものです。もっとも、会社の忘年会や夜のお付き合いなどでは故人と私も飲んでいましたが、遊びに出かけるときはいつも車かたまにバイク(私は50㏄だったのでバイトの帰りなどに限定されていましたが)だったのでいっしょに飲むことはありませんでしたけどね。
(遺影と戒名は加工してあります)

僧侶の読経と参加者による焼香を済ませたら、墓地へ移動します。けっこうな雨だったので大きな傘が昨年建立したばかりの真新しい墓石の上に掛けられていました。僧侶のお経の後、厳かに納骨され、蓋が閉じられます。そして参列者一同焼香をしました。
納骨を終え、一同再び法要室へ戻りました。奥様による参列への御礼とご挨拶がありました。その後は本来会食で故人をしのぶと会食で、故人を偲ぶ話をするのが一番の供養と導師も仰っていたのですが、そうはできないのがコロナ禍、仕方がありませんからマスクをしながら個人の話を参加者で致しました。しかし、これがなかなかに面白く、私も初めて聞く話が沢山ありました。奥様やお子さんは故人の知らぜらる若い頃の逸話にびっくりされていました。
奥様からは、寡黙であまり余計なことはしゃべらず、電気工事関係の仕事を30年頑張ってくれた、とありましたが、あれれ、そう?
いや、車の中ではよくしゃべりましたよね。おしゃべりに熱中しすぎて降りるIC通り過ぎちゃって、やべ、今のところだったよ!っていうこともありましたよ。運転は抜群にうまかったけど。
「いやあいつさ、結構事故ってんだよ。バイクでぬえわKm/hくらいで走ってたらさ、俺に突っ込んじゃってさ。道路二人で滑っちゃって。俺は皮ツナギ来ていたから軽傷で済んだけどあいつ擦過傷と摩擦熱で火傷しちゃって。下半身大変なことになっちゃってさ。」
え、それ知らなかったです。
「海行く前の日に俺は明日海だっていうんで早めに寝たんだけど、○○と夜の首都高ドライブして車ひっくり返しちゃってね。」
「そう、俺が隣乗っている時ひっくり返しやがって。それでも海行く気満々だったよ。」
「慎重な奴だったけど、結構大胆なやらかしがあるよね。どっちだったんだ?」
「まあ慎重なんだけど一部大胆な面もあるんだろう。」
思い切りがいい人だと思いますよ。タイヤ屋で働いていたけど「もっと男らしい仕事がしたい、電気工事の職人になりたい。」と突然やめていきなり電気工事の会社に就職しましたよね。
「そうそう、あいつタイヤ屋にいたよね。」
「○○のグッドイヤーだったっけ、あそこまだやっているよね。」
「俺タイヤ買わされたよ。」
「俺もタイヤ買わされた。」
また、佃島今昔物語で私がブログに記した「売却希望の友人のゴルフGTi」のオーナーだった方も参列していました。あなただったのですね。30年以上の時を経て話が繋がりました。
ご家族は若かりし頃の故人の逸話にびっくりされていました。ご家族からは、家電が故障した時にすぐに直しちゃったという話がいただけましたが、そうそう、色々な物を直しちゃっていましたね。車も配線いじっていろいろなものを付けていました。その時に配線が見えないようにするということにこだわるのが故人流で、私の今の在り様を決定づけた人の一人でもあります。
電気工事の仕事では、壁裏の見えない部分の配線処理もしっかりやるのが故人流、修理や解体などでその部分があらわになった時に分かっちゃうからだそうです。
携帯電話もなく、あっても庶民が手を出せる代物ではなかった時代、待ち合わせたお台場の駐車場でなかなか会えずにいたエピソードを披露しました。お台場と言っても今とはまるで違った、それこそ風で砂が舞っているような無人の野原だった時代です。フジテレビとかは?
「フジテレビは河田町だったよ。レインボーブリッジが建設途中だったかな。オービスの位置が分かるから、そこを過ぎたところでスープラを思い切り加速させたりなんて遊びしてさ。すごい加速だったよ。頭がヘッドレストにめり込むくらい。」
話がスキー場で奥様と出会った話になりました。長野のスキー場で一緒に行ったご友人が声をかけ、一緒に滑ってたこと。連絡先を交換したけど、仕事があるから長崎県へ帰らなければいけない奥様と超長距離恋愛になってしまったこと。
「あいつ車で会いに行ったんでしょう?スープラ?」
いや、ご家族の赤いコロナで。あれ燃費がいいから、80㎞/hで流すと途中一回の給油で長崎まで行けるのだそうです。
「ウソ、そんなに走るの!何時間くらいかかるんだろう。」
金曜日に仕事終わってから走り続ければ次の日の昼くらいに着いたらしいですよ。で、時間まで一緒に過ごしてまた走って帰り、そのまま仕事へ行っていたようです。
これは当時ご本人から聞いた話ですが、仕事中は眠いとは一回も言わないと決めていたのだそうです。なぜなら、彼女に「仕事に支障ができた理由」を背負わせたくないから、だそうです。
「そういえばさ、ユニクロ行ったらあいつが丁度出てきた時でさ。声かけたら今忙しいって行っちゃった。」
奥様が、私も一緒でしたか?と質問。
ふと、ある考えが頭に浮かびました。ここ1年、もう長いこと連絡取っていなかったことに深い後悔をしていました。年賀状以外で最後に連絡を取ったのは、お母様の喪中のハガキを受け取った時です。電話してご焼香に行きましょうか、と言うと、
「俺最近土日忙しいんだよ。子供がいるからね。いいよ、焼香なんて。」
という返事でした。昨日確認したら、それは今27歳のご長男が小学生の時の話だそうです。
それ以来、いつか連絡しようと思っている矢先の訃報。それ以来ずっと会えずにいた友人と会ってきたのはこのブログで紹介もしましたね。しかし、ご友人のユニクロですれ違った話を伺って頭に浮かんだのは「これでよかったのだ。」という新しい考えでした。ご家族思いの故人でした。ご家族と過ごされる時間が限られていたのですから、むしろ私が入り込んでその時間を頂戴していたとしたら、今頃大きな後悔をしていたことでしょう。もし、もう絶対に無理な「もし」ですが、もっともっと長く生きられたのなら、せめて人並みにでも、その時には遠慮なく私も故人の時間を頂戴したかったですが。
他のご友人たちの話を伺いながら、気持ちの整理が少しついてすっきりした気持ちになることができました。本当に納骨式にお招きいただき、ありがとうございました。とてもいい式だったし、私の気持ちも楽にすることができました。奥様をはじめ、ご子息ご息女、故人のいない家はさぞかし寂しいことでしょうが、ご位牌にある魂はいつまでも見守っていてくださることでしょう。また、何かお困りの時にはご連絡いただければできる範囲ではありますがお手伝いさせていただきます。
Iさん、お供え持ってまたお墓に行くからね。

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昨日、奥様のご厚意でIさんの納骨式へ招待にあずかり、謹んで参列して参りました。

一般的には家族や近しい親族のみで行われる納骨式ですが、コロナ禍において通夜や告別式に参列できなかった友人も奥様のご配慮でお招きいただけ、その中に私も入れていただけたのです。
ご友人も続々と集まってこられました。故人の結婚式でお会いしただけ、それも28年も前の事なのですが、顔を見てすぐにわかる方がいらっしゃいました。
「あ、奥様と出会うきっかけになったスキー旅行に行った時のハイラックスダブルキャブオーナー!」
お供物として故人の好きだったアサヒスーパードライを持って行き、祭壇に飾らせていただきました。もっとも、ここ何十年もお会いしていないので最近は飲んでいたかどうかさえ知らなかったのではありますが。私たちが遊んでいた頃はスーパードライが大流行し、ビール以外にも「ドライ」を謳う商品があふれかえっていました。故人は
「職人は暑い中で仕事しているからね、こういうガツンときてすっきりする飲み物がいいよね。」
と言っていました。振り向けばサントリーという業界3位に甘んじていたアサヒビールが一気にトップブランドにのし上がりましたが、その売り上げにはちょっとだけ貢献していたものです。もっとも、会社の忘年会や夜のお付き合いなどでは故人と私も飲んでいましたが、遊びに出かけるときはいつも車かたまにバイク(私は50㏄だったのでバイトの帰りなどに限定されていましたが)だったのでいっしょに飲むことはありませんでしたけどね。
(遺影と戒名は加工してあります)

僧侶の読経と参加者による焼香を済ませたら、墓地へ移動します。けっこうな雨だったので大きな傘が昨年建立したばかりの真新しい墓石の上に掛けられていました。僧侶のお経の後、厳かに納骨され、蓋が閉じられます。そして参列者一同焼香をしました。
納骨を終え、一同再び法要室へ戻りました。奥様による参列への御礼とご挨拶がありました。その後は本来会食で故人をしのぶと会食で、故人を偲ぶ話をするのが一番の供養と導師も仰っていたのですが、そうはできないのがコロナ禍、仕方がありませんからマスクをしながら個人の話を参加者で致しました。しかし、これがなかなかに面白く、私も初めて聞く話が沢山ありました。奥様やお子さんは故人の知らぜらる若い頃の逸話にびっくりされていました。
奥様からは、寡黙であまり余計なことはしゃべらず、電気工事関係の仕事を30年頑張ってくれた、とありましたが、あれれ、そう?
いや、車の中ではよくしゃべりましたよね。おしゃべりに熱中しすぎて降りるIC通り過ぎちゃって、やべ、今のところだったよ!っていうこともありましたよ。運転は抜群にうまかったけど。
「いやあいつさ、結構事故ってんだよ。バイクでぬえわKm/hくらいで走ってたらさ、俺に突っ込んじゃってさ。道路二人で滑っちゃって。俺は皮ツナギ来ていたから軽傷で済んだけどあいつ擦過傷と摩擦熱で火傷しちゃって。下半身大変なことになっちゃってさ。」
え、それ知らなかったです。
「海行く前の日に俺は明日海だっていうんで早めに寝たんだけど、○○と夜の首都高ドライブして車ひっくり返しちゃってね。」
「そう、俺が隣乗っている時ひっくり返しやがって。それでも海行く気満々だったよ。」
「慎重な奴だったけど、結構大胆なやらかしがあるよね。どっちだったんだ?」
「まあ慎重なんだけど一部大胆な面もあるんだろう。」
思い切りがいい人だと思いますよ。タイヤ屋で働いていたけど「もっと男らしい仕事がしたい、電気工事の職人になりたい。」と突然やめていきなり電気工事の会社に就職しましたよね。
「そうそう、あいつタイヤ屋にいたよね。」
「○○のグッドイヤーだったっけ、あそこまだやっているよね。」
「俺タイヤ買わされたよ。」
「俺もタイヤ買わされた。」
また、佃島今昔物語で私がブログに記した「売却希望の友人のゴルフGTi」のオーナーだった方も参列していました。あなただったのですね。30年以上の時を経て話が繋がりました。
ご家族は若かりし頃の故人の逸話にびっくりされていました。ご家族からは、家電が故障した時にすぐに直しちゃったという話がいただけましたが、そうそう、色々な物を直しちゃっていましたね。車も配線いじっていろいろなものを付けていました。その時に配線が見えないようにするということにこだわるのが故人流で、私の今の在り様を決定づけた人の一人でもあります。
電気工事の仕事では、壁裏の見えない部分の配線処理もしっかりやるのが故人流、修理や解体などでその部分があらわになった時に分かっちゃうからだそうです。
携帯電話もなく、あっても庶民が手を出せる代物ではなかった時代、待ち合わせたお台場の駐車場でなかなか会えずにいたエピソードを披露しました。お台場と言っても今とはまるで違った、それこそ風で砂が舞っているような無人の野原だった時代です。フジテレビとかは?
「フジテレビは河田町だったよ。レインボーブリッジが建設途中だったかな。オービスの位置が分かるから、そこを過ぎたところでスープラを思い切り加速させたりなんて遊びしてさ。すごい加速だったよ。頭がヘッドレストにめり込むくらい。」
話がスキー場で奥様と出会った話になりました。長野のスキー場で一緒に行ったご友人が声をかけ、一緒に滑ってたこと。連絡先を交換したけど、仕事があるから長崎県へ帰らなければいけない奥様と超長距離恋愛になってしまったこと。
「あいつ車で会いに行ったんでしょう?スープラ?」
いや、ご家族の赤いコロナで。あれ燃費がいいから、80㎞/hで流すと途中一回の給油で長崎まで行けるのだそうです。
「ウソ、そんなに走るの!何時間くらいかかるんだろう。」
金曜日に仕事終わってから走り続ければ次の日の昼くらいに着いたらしいですよ。で、時間まで一緒に過ごしてまた走って帰り、そのまま仕事へ行っていたようです。
これは当時ご本人から聞いた話ですが、仕事中は眠いとは一回も言わないと決めていたのだそうです。なぜなら、彼女に「仕事に支障ができた理由」を背負わせたくないから、だそうです。
「そういえばさ、ユニクロ行ったらあいつが丁度出てきた時でさ。声かけたら今忙しいって行っちゃった。」
奥様が、私も一緒でしたか?と質問。
ふと、ある考えが頭に浮かびました。ここ1年、もう長いこと連絡取っていなかったことに深い後悔をしていました。年賀状以外で最後に連絡を取ったのは、お母様の喪中のハガキを受け取った時です。電話してご焼香に行きましょうか、と言うと、
「俺最近土日忙しいんだよ。子供がいるからね。いいよ、焼香なんて。」
という返事でした。昨日確認したら、それは今27歳のご長男が小学生の時の話だそうです。
それ以来、いつか連絡しようと思っている矢先の訃報。それ以来ずっと会えずにいた友人と会ってきたのはこのブログで紹介もしましたね。しかし、ご友人のユニクロですれ違った話を伺って頭に浮かんだのは「これでよかったのだ。」という新しい考えでした。ご家族思いの故人でした。ご家族と過ごされる時間が限られていたのですから、むしろ私が入り込んでその時間を頂戴していたとしたら、今頃大きな後悔をしていたことでしょう。もし、もう絶対に無理な「もし」ですが、もっともっと長く生きられたのなら、せめて人並みにでも、その時には遠慮なく私も故人の時間を頂戴したかったですが。
他のご友人たちの話を伺いながら、気持ちの整理が少しついてすっきりした気持ちになることができました。本当に納骨式にお招きいただき、ありがとうございました。とてもいい式だったし、私の気持ちも楽にすることができました。奥様をはじめ、ご子息ご息女、故人のいない家はさぞかし寂しいことでしょうが、ご位牌にある魂はいつまでも見守っていてくださることでしょう。また、何かお困りの時にはご連絡いただければできる範囲ではありますがお手伝いさせていただきます。
Iさん、お供え持ってまたお墓に行くからね。

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