母が亡くなるまでの1年3か月は家族でさえ面会ができない状況だったので、その数少ない面会の動画記録を編集して母の四十九日法要で上映、配布をしよう思い立ち、8月の終わりから9月7日までかかり作業をしていました。四十九日法要は9月11日に無事終えることができ、ようやく一息ついたところです。

その動画では入所、入院中の動画だけでなく、お呼びできなかった親族、母の友人に向けて通夜、告別式の様子、さらに母の生涯について写真スライドショーでまとめてみました。母は1940年生まれとまさに戦中生まれで幼い頃の写真はないと思っていましたので、大学時代からの写真を使って幼いころはネットから拾ったその時代背景の分かる写真を使用しました。

そんなわけで膨大な写真を紐解いていたのですが、ダントツで古い黒い表紙のアルバムを見つけました。写真はものすごく古くて知らない方ばかりが写っていました。しかし、よくよく見ていると明治生まれの私の祖母(母の母)の子供時代が写っていることが判明。また、母が中学生の時に他界した父、つまり私の祖父の写真もありました。すると見たことがないこの方々も私のご先祖様という事なのでしょうか?

一体あなたたちは誰?
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軍服を着た人、この時代ではまず見かけない洋装の人もいます。
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このアルバムを母と同い年の従妹に見ていただきました。するといろいろなことが判明しました。なんと、一部の写真に映っていた幼い少女が母の従妹だったのです。5歳で終戦を迎えていますから、戦時中か終戦直後と思われる写真です。ご本人の許可なくここには掲載できませんので残念ながら無しにいたしますが、何とも可愛い娘で言われて見れば面影を感じます。また数名の方の名前が判明しました。

母が元気なうちにもっとちゃんと聞いておけばよかったなあ。後悔先に立たずとはまさにこのことです。母の父が亡くなってからは相当な貧乏暮らしだったと母は言っていましたが、祖父は戦前にアメリカで商業をしていたそうですし、祖母の実家は士族の家系で大豪邸に住み、女学校に行くのにカバン持ちの女中がついてきたという話です。その孫がどうしてこうなっているのかはさておき、いい写真を残すことがとても重要なことだと改めて感じました。





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