2014年2月5日
朝食を昨日コンビニで買ったキンパッで済ませ、7時30分ホテルを出ます。今日は近ツーのオプション、「世界文化遺産ライナー半日コース」に参加します。集合場所がホテルの近ツーラウンジなのですが、残念ながら私たちの宿泊ホテルではないので、徒歩で行きます。15分ほどで到着しました。昨日下見をしてあったのでスムーズにアクセスできました。
集合時刻は7時50分です。現在時刻は7時46分、、、あれ、誰もいないぞ?48分に職員と本日のガイドが到着。受付を済ませます。今日の参加者は10人だそうです。そのうち4人が半日コースです。

参加者で一番若いのは私たちでしょう。たった10人に用意された車はフルサイズのこのバスです。もったいないくらいですが、これは私の想像の域を出ませんが、時間通りに現地に到着する秘策なのかもしれません。

全員揃ったところで出発します。正月明けのこの時期、いつも以上に渋滞がひどいという情報を得ていたので、今回は水原方面はあきらめようと思っていました。しかし、交通会館の近ツーカウンターで相談したところ、ツアーで行くならあまり心配ないという回答を得ました。
そのわけが、これです。そう、バス専用レーンがあり、渋滞を尻目にぐんぐん行けるのです。片側4車線もあるのでできる技でしょうね。観光立国を目指す韓国は制度も整備されているし、マナーも良く、乗用車やトラックの走行は全くありませんでした。また、車線変更時など、バスによく道を譲ってくれています。

予定時刻前に水原華城(スウォンファソン)に到着しました。朝鮮王朝時代の王宮はソウルに多くありますが、ここは22代の王様、正祖が遷都を狙って作った施設だそうです。実際に遷都はできず、別荘扱いで、さらに49歳で死去してしまったのでほとんど使わずに終わったようです。その死因も諸説あるようないわくつきらしいのですが、ガイドはそこまでしか話しませんでした。
22代の王様は、幼名がイ・サンだそうで、その名前のドラマで知られています。が、私は見たことがないので全くわかりません。しかし、庶民にとってもよい王様だったそうで、ガイドさんも実績を知って好きになったそうです。
朝鮮王朝の王様は必ずしも国民に愛されていたわけではなく、ハングル文字発明の指揮をした世宋大王と、この正祖の二人は特別な存在だそうです。王様であっても国王在任中の悪事で死後に宗廟に入れてもらえない人も2人いるとか。そういえば、チャングムでも先代の王様は死後に宗の字をもらえずに君になったのではなかったかな?

これが東の門で、旗の色が東を表す、、何色だっけ?青だったかなあ。色は覚えられないたちなのでご勘弁ください。いったんこの門をくぐって外へ出てみます。
外から見ると、こんな感じで直接門が見えません。右から回り込まなければ入れない仕組みになっています。銃眼がありますが、これは弩を射るための穴、下向きのもあります。縦に長いところは油や石を落とすところだそうです。実際に城としてはほとんど使われていませんから、戦闘も経験せずにここまで来たそうです。

石組の城壁に開けられた銃眼ですから、弩の角度はわずかしか変えられず、実戦に向くようには見えません。戦乱の続いた朝鮮半島が統一され、平和な時代になってからの物であることを感じます。
こちらは城壁の上にある櫓です。こちらは中が渦巻きのようになっているそうですが、観光客の多さから石段が減ってきてしまい、文化財保護の観点から立ち入りに制限がかかっていました。仕方がないでしょうね。

大砲も設置。しかし、ピンポイントでしか撃てません。弾道を避ければ接近できそうです。

城壁は続いています。残念なことに、現在水原華城内に住宅が立っています。写真左が城内のはずですが、見事に住宅で埋まっています。学校までありました。世界遺産の中に住む贅沢は苦労を伴うようで、住宅の高さに制限をかけているそうです。城壁の先に見えるところは庭を王様が愛でるための楼閣です。城壁の途中で旗の色が変わりました。

その楼閣まで来ました。靴を脱いで上がります。氷点下の気温で曇り空、靴を脱ぐ勇気のない人が多いのですが、私はせっかく来たのだから、王様の座る場所から景色を堪能しました。
なるほど、風情がありますね。これで緑の多い時期ならもっとよかったことでしょう。

「足冷たくないですか?」
「さすが王様の居所、オンドルで温かいですよ。」
と冗談で返しました。本気にしたわけではないでしょうが、笑いながら数名の追随者が出ました。
1分しないうちに足の感覚が無くなるほどの冷え込みです。
施設内を連接バスで移動できるようです。ものすごいデザインですね。

さらに進むと水の門に来ました。普段は水が流れて見物なのだそうですが、何しろこの気温、水はすべて凍っていました。

写真を撮ると良いスポットを紹介してくれましたので、順次撮影しました。さて、ここからはバスに乗っていよいよ宮殿へと向かいます。
バスが走りだし、ガイドさんが説明をします。
「チャンジャのお父さんは、王様ではないのです。若くして陰謀で米櫃に閉じ込められて、、、、、あ!」
ん、どうしたんだ?ガイドさん、何かに気が付いたようです。もしかして正祖暗殺の計略の秘密に気が付いたのか???
「なんか足りない!」
そう言って運転手にバスを停めさせます。
ざわつく車内。数える自分たちの数。あ、8人しかいないぞ!2名どうしたんだ??いや、どうしたもなにも、置いてきた以外ありえないだろう。
車を戻すように言うガイド。しかしここは世界遺産の中、道が狭いのです。このでかいバスを戻すのは至難の業。ターンすることはできず、そのままバックします。ミラーとリアビューカメラでそろそろと戻す運転手。結構来たよな。これだといつつくことやら。そのうちにぎりぎり入れられる路地へ無理やりバスを入れ、植木をこするようにしてバスをターンさせました。一発でOK、技術のある人で良かったですね。
水の門のところで2名は待っていました。乗り損ねたことに気が付き、手を振って待って~、とやっていたそうです。お土産物屋の人たちが気が付き、観光会社へ電話をしてくれたようですが、連絡がガイドに入る前に何とか戻ってきた、ということでした。
10名揃ったところで、再びバスは王宮を目指します。
王宮では人形を使って王様のお母さんの還暦祝いを再現していました。王様より偉いのでしょうか、王様と王后が頭を下げています。きらびやかな装飾品と調度品、そしてこの食べ物の量。贅沢の限りを尽くしている感じです。

城の内部は迷路のようになっていて、いちいち門があります。勝手に通行できないようになっているのでしょう。チャングムの撮影でも使われたということです。何となくあのシーンかな、くらいの記憶はあります。

模型で再現してあります。1500人の壮大な還暦祝いだったそうです。私の時にはそこまでしなくていいからね。

チャングムの撮影に使われたので、ファンがたくさん訪れるのでしょう。こんな物もありました。
左はイ・ヨンエさん、右はチ・ジニさん、真ん中はぺ・ヨンジュンさんだったと記憶しています。

まだまだ続きのある水原華城ですが、時間の関係で見学はここまで、バスに乗って健陵の見学に向かいます。もちろん10名、そろっていることを確認してからの発車です。
健陵(ゴンルン)はその、正祖とその王后のお墓です。すぐ隣に王様になれずに米櫃で殺された正祖のお父さんの墓もあります。
ここがその分かれ道です。左の正祖の方へ向かいます。

わずか200年前、日本では徳川の時代に、なんとこのような古墳のような規模のお墓をそれぞれの王様にあつらえたそうです。労役に駆り出された庶民の気持ちはどうだったのでしょうか。しかし、現在は朝鮮王朝は一応の尊敬を集めているようです。下の写真、鳥居から建物につながる石畳の、真ん中が高くなっている通路は
「王様の霊(神様)の通り道なので王様でさえ歩くことは許されていません。皆様も歩かないでください。王様は右の通路を、東宮は左の通路を歩いたので、そこを歩いてください。」
という注意を受けました。

この建物が墓なのかと思ったらそうではなく、式を執り行うための物だそうです。この後ろの、こんもりと高くなっている部分が墓で、そこは立ち入り禁止です。

あれ、その墓に人が入っているぞ?と思ったら職員で、管理しているのだそうです。
壮大な無駄ですが、現在は観光資源になっているので、同じ無駄でもどこかの国の、海の底の戦艦よりいくらかましでしょうか。
この後石焼ビビンパッを食べて伝統工芸品を扱うショップへ案内されました。お土産がまだそろいきっていないので、ここで最後のつもりで調整します。いくつか買って集合時刻にエレベーター前で待つと、そこから宝石売りに声をかけられた参加者二人、「あら、いいわね~。」と買い物開始。ちょっとイライラするガイドさん。その2名、ああ、バスで置いてけぼりのあの2名!
ロッテホテルロビーで半日コースの私たちは降り、ツアーは終了です。水原は自分たちで行くとなるとソウルからは距離があるのでちょっと難易度が高いですね。ガイドもつくし、それに渋滞知らずで食事もおいしい。半日だと金額も安いし、興味があるなら参加して損はないツアーだと思います。
真ん中のペ・ヨンジュンさんは変なオジサンの霊に取り憑かれた?
日本の神社でも鳥居は神様の通り道だから通っちゃいけないんですよね。たしか。ちょっとうろ覚えだしもう形骸化してるといえばしてますけど。
海の底の戦艦は魚礁として立派に役に立ってますね(そーゆー意味じゃない)。