父の乗っている車は車齢15年になります。息子が生まれた時、私と前後して父も車を買いました。私の買った車はディーゼル車だったので、排ガス規制に引っ掛かって登録不能になり、今の車に買い替えました。それまで乗っていた車は土浦ナンバーの取れるところに住んでいる弟にあげました。しかし、経済を考えて今年になってから軽自動車に買い替えて、下取りに出したそれは今は海外を走っているそうです。
父の車は排ガス規制に引っ掛かることなく現役でまだ走っています。車は初代カローラスパシオ、シートタイプは2-3のタイプです。もうじき車検になるのですが、もう一回通すことを決めたそうです。走行距離は14万kmをかなり超えています。ずいぶん車が長持ちするようになりました。父が最初に買った車など、それは酷いものだったようです。
48年ほど前、父の同僚がある日、「自家用車」に乗って通勤してきたそうです。車は初代マツダキャロル。この時の父の驚きはそれは大変なもので、今なら自家用ヘリコプターに乗ってきてもあれほどの驚きはなく、それこそUFOにでも乗ってきてもらわないと再現できないくらいだったそうです。庶民が自家用車なんて、どうかしているのではないかと本気で思っていたそうです。
それから2年後、母が妊娠しました。もちろん私をです。その時の母の職場までの通勤はバスと電車でしたが、このころのバスは人間を運んでいるとは思えない乱暴なものだったそうです。わざとクラッチをどーんとつないで後ろに乗客を倒し、空いた隙間にさらに乗客を詰め込んでいたそうです。バスの数が、急増した人口に追いつかなかったのでしょう。そんな環境だと妊婦には危険、と父は借金をして車の免許を取得、そして親戚の紹介で車を買いました。
父が一番最初に買った車は三菱360という、このブランド初の4輪車で、商用車登録の3ドアバンでした。中古です。これで母の送迎をしたそうです。自家用車が手に入るなんて思ってもみなかったのでとにかくうれしくて仕方がなかったそうですが、この車がどうしようもなく不出来なクルマで何回も大変な思いをしたそうです。
燃料は混合ガソリン、2ストロークで白煙を上げながら走るのですが、これがすぐに煤詰まりを起こすので頻繁に排気パイプの掃除をする必要がありました。プラグのかぶりも多く、エンストすると熱いエンジンからプラグを抜いて掃除、空冷エンジンで冷却もいい加減なのでオーバーヒートも度々、遠出をすれば必ず出先の修理工場で世話になっていました。
ある時、国道6号線を走行中、突然ボンネットフードがバン!と音を立てて飛んで行ってしまい、慌てて停車、荷台に積んで帰ったこともあったそうです。
それでも父母と祖母、赤ちゃんの私を乗せて海に山に出かけていたそうです。
写真はウィキからの転載です。父が乗っていた時にはこんなにきれいなものではなく、あちらこちらに錆が出ておりました。

日に日に劣化がひどくなり、結局3年ほど乗ってキャロルに乗り換えてしまいました。車は長持ちしないもの、それが常識だった時代でした。
話はそれだけなのですが、今回三菱360の写真がないものかとウェブを探していたら、なんと!360をベースにした乗用車タイプ、ミニカにまだ乗っておられる方がいたではありませんか!
オールドカーが好きな若い人が古い車をレストアして、とかではなく、新車で買ってそのまま乗っているのだそうで、あんな不出来な車なのによくぞ我慢が続くものです。
このころの車は試行錯誤状態だったせいで、個性のあるタイプが多いですね。単なる思い付きだったり、外車のパクリにしか見えない車でも、開発する方は真剣に「いい車とはなんだ」ということを考えて作っていたようです。私のもっっている本ではスバル360の開発を綴った、「てんとう虫が走った日」があります。この本も最近また読み直しました。

内容はそれほど深くはないので今一つあっさりしたものではありますが、当時フォルクスワーゲンタイプ1の劣化コピーにしか見えなかったこの車が、いろいろ深く考えられて作られたものであることが理解できます。
明日、ギプスが割れたら車の運転ができるようになるでしょう。そうしたら面会に来てくれた会社のIさんにお礼のお酒でも差し上げたいので、安売りの酒屋にでも行きますか。
そういえばこの間子供に「あの車なに?」って聞かれて「昔のGT-Rだよ」と教えてあげました。ハコスカ?ケンメリ?いいえ、R32です。トシとったなぁ。