三毛ジャガーの物欲日記

オートバイ、自転車、登山、カヌーカヤック、スキーなどアウトドアレジャーを楽しんでいます。物欲にまみれていて欲しい物は買う、戴く、無い物が欲しければ作ってでも手に入れております。

カテゴリ: ソウル旅行記

2014年2月6日13時
 
明洞へ戻ってきた私たちは、昨夜の興奮を思い出すナンタ劇場のある、ヌーンスクエアへ行きました。B1Fのスクールフードへ、ここで昼食にします。
 
 
トッポッキの辛さに参った私ですが、キンパッは美味しかったですね。妻は両方美味しかったと言っていました。まだ時間はあります。ソウルの観光は明洞から、そして〆も明洞になりました。やはりソウルを代表する繁華街であることには間違いないですね。
 
妻が、
「ロッティーボーイのパンが食べたい。あなたも口の中が辛いだろうから、コーヒーどう?」
 
それなら私に任せなさい。ずっと持ち歩いていたのでボロボロになってきたまっぷるソウルの付録、ソウル街歩きマップを取り出します。もうページも調べなくても明洞は18ページと分かっています。
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ロッティーボーイは一発で探し当てられました。さすがはまっぷるです。そしてソウルっ子の俺。
 
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美味しいコーヒーととろりと甘い蜜の入ったパンで一息つきます。
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もうあとわずかな時間でソウルから離れるのです。面白かったなあ。本当に来てよかった。最後に名残惜しむように、4日間の思い出の詰まったこの町を歩きます。
 
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警察署がありました。何やらゆるキャラがこんなところにもいました。
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南大門市場の方が似合いそうなリアカーの果物売りもいました。
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けっこう売れていますね。おいしいのでしょうか。
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さて、そろそろ集合時刻です。14時55分、ホテルに戻ると李ガイドはもう来ていました。
 
車に乗り込みます。4日前の運転手とは違う人でしたが、こちらの方も親切で、運転は丁寧でした。
「空港まではもう2名の方が同乗します。PJホテルなので、そこまで迎えに行きます。」
 
車は数分でPJホテルに着きました。路側に車を停め、李ガイドは二人を迎えに行きました。
 
車窓からは街並みが見えます。ここは東大門に近いところなので、明洞とはやや空気が違います。
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なかなか来ません。長時間路側はまずいのでしょう、運転手は結局ホテルの駐車場へ車を入れました。
 
まだ来ません。どうしちゃったのかな。
 
まだです。
 
、、、、、、、、。
 
あ、やっと李さんが来ました。同行者は続いて来ました。運転手は荷物をリアゲートを開けて積み込み、急いで発車させます。
 
乗り込んできた方々は、だれでしょうか?
はい、ご名答!昨日の水原で置いてけぼりになったあの2名のおば様でした。
車窓からソウルの街並みを見ていると、また私たちのホテル前を通過します。これで見納め、いや、また来るぞ!きっと。
 
坂を上ります。
「次の橋の上から右を見ると、南大門がちらっと見えるはず、ほら見えた!」
私が言うと、
「ずいぶんソウルに詳しくなりましたね。やはり自分の足で歩いた人は詳しくなりますね。」
と李さんが言ってくれました。
「はい、ソウルのことは何でも聞いてください。ソウルっ子ですから。」
生まれも育ちも東京ですが、ソウルにはもう4日もいるのです。
 
おば様、何か探し始めます。あれ、ないね、さっき有ったのに。
李さん、
「何か忘れ物ですか?」
「はい、カメラが、、、、、あ、あった、ここだ。」
 
パスポートなら戻るしかありませんが、それ以外なら他のお客様もいるし、飛行機に間に合わないと困るので行くしかありせんよ、と言われていました。
 
本当に、頼みますよ。
 
車の中で、昨日の話をしました。私たちが知り合いと聞いて李さんはびっくりしていました。置いてけぼり事件について、李さんは
「ガイドもいろいろ失敗を重ねてレベルが上がってくるんですよ。私もよく失敗します。」
でも、さすがに置いてけぼり事件はやったことがないそうです。
 
おば様たちも昨日は20時のナンタを観たそうです。2階席だったとのこと。プレミアムシートにも水原ツアーの同行者がいたので、10人中最低6人が同じナンタを観たことになります。
 
車は高速道路に入り、空港に向かっていきます。空港そばの干潟は、いずれ埋め立ててカジノを作るそうです。
カジノは興味ありますか、と李さん。
「ギャンブルは、人生だけで十分です。」
 
同乗者のおば様も、私も、干潟の埋め立てもったいないなあ、という感想でした。
 
もったいないという話のついでに出たのが、食品のこと。しかし、李さんはやはり腑に落ちないようです。これは文化が違うので仕方がないところでしょう。ナンタについても、本物の食材使わないと面白くないでしょう、という意見でした。そしてちょっと悲しそうな顔をしました。ちょっと失敗したかな。私たちの文化を押しつけ過ぎたかもしれません。
 
車は空港に近づきました。
「間もなくインチョン国際空港に到着いたします。昨日のナンタで声がかれております。」
と私が言いました。
大笑いしてくれた李さん、笑いながら、
「昨日いっぱい笑って、いっぱい叫んでって私、三毛さんに言いましたからね。」
と言ってくれました。私のフォローを感じてもらえたでしょうか。
 
車を降りる時、運転手に
「ギサニン、カムサハムニダ」
と声をかけました。笑顔で答えてくれる運転手。李さんもいい挨拶だと褒めてくれました。
ギサニン(技術者)は、運転手などの技能職種への褒め言葉だそうで、ガイドブックに載っていたので使ってみました。
 
空港では手続きも李さんがしてくれますから、ただ列に並ぶだけでした。おば様たちがトイレで居なくなったところで、そっと李さんが言いました。
「PJホテル前で長く待たせてすいませんでした。あの二人、私が行ってから荷物のパッキング始めたんです。やっと終わったと思ったら、パン食べたいって言うから、もう車の中で食べて下さいっていって強引にひっぱって来ちゃいました。」
 
やはり、、、、、、。
 
「また、ソウルには来てくれるでしょう?」
「はい、また来ますよ。必ず来ます。」
「その時には連絡してください。電話番号ずっと変えないから。」
「わかりました。必ず連絡します。」
 
バゲージを預けたら、次は手荷物検査です。列に並ぶところで、李さんにお願いして、妻と3人で写真を撮りました。
 
列はどんどん前へ進みます。一緒に進んでくれる李さん。
 
そしてついに、列は壁の中へ。李さんは壁で見えなくなるまで側にいてくれました。
 
イミグレーションを抜け、自分たちのゲートへ向けて歩き出します。免税店がぎっしり入っています。ピアノ重奏の生演奏がありました。
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巨大な空港ですが、ゲートナンバーを目指していけば迷子にはなりません。ゲートの先には私たちの乗るシップが見えました。
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出発はやや遅れましたが、その分空港でゆっくり景色を楽しみました。沈みゆく夕日で染まるインチョン空港はなかなか風情がありました。
 
機内では映画を観賞しました。今回はゼログラビティを観ました。ちょうど人工衛星の破片が飛んでくるところで気流が乱れてバーチャルリアリティな楽しみが得られました。
 
今回の旅行は久しぶりの海外旅行でした。一番最初に海外へ行ったのは二十歳の時でした。香港に渡り、中国へのビザを取りました。そして上海へ飛び、そこから寝台列車で烏魯木斉(ウルムチ)へ。自転車でシルクロードを走ってトルファンへ。カシュガルへ出て、バスでクチャ、コルラ、イーニン。漢族もウイグルもいない、キリギスの村も訪れています。いずれこの旅も紀行にまとめようと思ってはいますが、この放浪の旅が私の考え方に大きな影響を与えています。
 
中国と日本は政治レベルではうまくいっていません。しかし、週刊誌が書く様な「戦争だ!」「中国は本気だ」という意見にはうさんくささを感じます。週刊誌は売るための見出しが欲しいのでしょう。
 
生で、現地の人とのふれあいがあったので、中国でもいろいろな意見の人がいること、そして日本へは過去への怒りはありますが、現在の姿への憧れがあることも肌で知っています。差別的な態度をとる人には一人も会いませんでした。
 
中国人も人がいい人が多いのです。道が分からなければ、自腹でバス代を払って連れて行ってくれた人もいました。寝台列車の中では中国語を教えてくれ、さらに食堂車で豪華な中華料理をおごってくれる家族もいました。ホテルでチェックインに遅れ、締め出された時には粘り強く交渉してくれた人もいました。
 
インターネットでは汚い言葉で中韓をののしる輩が出没しています。しかし、それを書いている人は行ったことがあるのでしょうか?行きもしないで思い込みで情報を巻き散らかしているだけでしょう。
 
若いうちに、海外を旅しましょう。放浪の旅をすれば、その国が、日本にいて受ける印象とはまるで違う事を知るはずです。そしてその国の人を、文化を好きになれば、きっとあなたも現地で受け入れてもらえます。交流が盛んになれば、対立は減るでしょう。
 
本来、日中韓は、他の地域の人がうらやむような安定した地域のはずなのです。宗教、宗派の対立もなく、何千年と交流があり、漢字文化圏に属し、また国境もわずかな岩礁レベルでしか意見の相違がないのです。住む場所をすべて奪われた地域を思えば、解決はいかに簡単であることか。
 
若い頃放浪した時のことを思い出しながら、今回の旅を思い返していると、飛行機は滑走路へ滑り込んでいきました。
 
韓国もいい人いっぱいいたなあ。
まずはガイドの李さん。
粥の多味さん。
海苔屋のおやじさんもいっぱいサービスしてくれたっけなあ。
登山道具店の兄ちゃんもいい人だったし、カフェのお姉ちゃんも。
それから、それから、いっぱいいるけど、やっぱり李さん!
 
「反日」がいっぱいいるんじゃないかなんて思っていた俺、やはり海外にしばらく行っていないから、人間が小さくなっちゃっていたのかもしれません。
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高砂駅でソースの匂いがしました。ああ、これ葛飾の匂いだ。甘い砂糖や化粧品の匂い、それに地下鉄から上がってくるグリスの匂いの明洞は、遠くなったんだなあ。


どこに行っても旅行は良いものですね。 削除
九太郎 ]
2014/2/20(木) 午前 10:58
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九太郎さん、コメントありがとうございます。

海に出ない者に海は語れず、山に登らない者に山は語れず、まだまだやらなければいけないことが山積みです。老け込んでいる場合ではないですね。 削除
2014/2/20(木) 午前 11:43
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旅の締めくくりが素晴らしい文章で、お二人で良い旅をしてきたことを実感出来ました。
「インターネットでは汚い言葉で中韓をののしる輩が出没しています。しかし、それを書いている人は行ったことがあるのでしょうか?」←同感! 削除
2014/2/20(木) 午後 9:52
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山のMochiさん、コメントありがとうございます。

本を出版されている文筆家の方にお褒めいただきました。何よりうれしいことです。

13年ぶりの海外でしたが、これをきっかけにもう少し出かけてみようかと思い直しています。子育ての佳境でしたが、もうピークはとうに過ぎたので、自分の時間に当てて行きたいと思うのです。 削除
2014/2/21(金) 午後 0:52
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旅は色んな景色を見せてくれるものですね。
人間同士は分かり合えるのに、国家間となると簡単にいかないのは
ナゼなんでしょうね。ソウルっ子になった三毛ジャガーさんには
又異なった日本が見えて帰ってきてるんだろね。 削除
2014/2/24(月) 午後 6:39
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くまそんさん、コメントありがとうございます。

国家同士ではどうして人間として付き合えなくなるのでしょうね。人間が動かしているはずなのですが。おしゃる通りですね。平和と安定こそ、何より大切なはずだと思います。それが分からない人が国を動かしているからダメなのでしょうか、それとも権力を握ると分からなくなるのでしょうか。 削除
2014/2/24(月) 午後 7:58
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2014年2月6日
 
とうとう最終日になってしまいました。あとは帰国するだけ、なわけはありません。仁川空港行きの集合時刻はホテルに15時です。それまでは観光しなくっちゃね。
 
朝ごはんは、昨日ナンタでもらったお菓子とコンビニで買ったクッキー類を食べて済ませました。ずっとお腹いっぱいの旅になってしまったので、食べ歩き用にお腹に隙間を作っておくことにしました。
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8時、ホテルをチェックアウトします。ただ、空港までの送迎車がお迎えに来るのはここなので、スーツケースは預かってもらいました。
 
今日はどこへ行こうか?やはり、行き損ねている宗廟へ行ってみましょう。9時から日本語ガイドの時間です。まずはそれに参加します。
 
地下鉄に乗り、鍾路3街で降ります。まだ8時30分です。しばらく散歩して時間の調整をしましょう。
 
木の上に鳥の巣を発見しました。
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宗廟付近は宝石商が集まっています。せっかくだから妻に何か良さそうなものを買ってあげようかと思いました。何しろ勤続20年、頑張ってきたのですから。その、感謝を込めて。
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でも、石には興味がないと見もしませんでした。そのうちに9時になり、入場料を払って門の前に集まります。スピーカーをぶら下げたガイドさんが登場。いよいよ宗廟の見学スタートです。
 
ここでも通路の中央、高くなった所は神様の通り道、歩かないように指示されます。
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宗廟といえばこの写真ですね。
 
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ここに位牌を収めています。その前の石畳は霊を慰める式を執り行うところ、位牌は体を失った祖先の魂を宿らせるのに使うということでした。
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「世界遺産に指定されていますが、実はこれ、2代目なのです。初代は日本の秀吉の軍が朝鮮出兵の際、破竹の勢いで進撃し、ここソウルまであっという間に攻めてきました。王様はソウルを捨て逃げ出し、その時に焼失してしまったのです。」
 
宗廟焼失はガイドの李さんにも伺った話です。私が歴史の時間に習った記憶では、晩年の秀吉が朝鮮出兵にこだわり、出ることは出るが、朝鮮と明の軍に阻まれて平定できず、やがて秀吉の死去で終了した。進軍も家康や正宗はぐずぐずと出なかったくらいで、士気が低かった、であったのでは、ないでしょうか。
 
しかし、朝鮮側から見ると、朝鮮3国時代から李氏朝鮮になり、戦の時代はひと段落、平和な時代になったのに、いきなり秀吉軍が攻め込んできてほぼ占領、多数の生命を奪い、李王朝の文化財焼失などの被害を受けた、となるようです。
 
李舜臣の亀甲船が活躍して秀吉軍を苦しめたという話をしたら、
「んー、日本の人は秀吉軍が苦しめられたっていう人多いんですけどねー。実際は伝説みたいなもので、本人左遷されたりしていますから。」
 
秀吉~、何やってくれたんだよ。だからやめておけって言ったじゃないか!
 
宗廟の見学は50分ほどで終わりました。もっとじっくり見たい気もしますが、自由見学は土曜日のみ、保護のためにこのような形態になったということですから、致し方ありません。でも、なかなか見ごたえあり、来てよかったところの一つです。
 
さて、次はまだ見ていないところ、景福宮を見に行きましょう。地下鉄は5回目なので、キャッシュビーカードへチャージが必要でした。100w硬貨があるのでそれで必要分を、と思ったら最低でも1000wでなければチャージできません。ちょっともったいないなあ。でも日本のスイカやパスモは1000円単位、韓国は実質100円単位だから良心的な方か。
 
門番と記念撮影しました。絶対に笑わない、動かない辛い仕事ですね。交代式面白いのだそうですが、残念ながら見ることはできませんでした。
 
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いい加減にお腹が空いていました。どこかに売店でもないかなあ。あ、この門の名前は!「生協」があるじゃないですか。よし、ここへ入りましょう。
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さて、生協では何売っているのかな?太鼓の音が聞こえてきます。ああこれか、軍事訓練しています。そうか、もうじき米韓合同軍事訓練がありますから、それの練習ですね。
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お腹がすきすぎてギャグもさえません。しかしさすがは「門生協」をくぐったところです。売店がありました。そこで魚肉ソーセージを温めた物を売っていたので購入しました。
 
あつあつはふはふ食べ、お腹が一息ついたところで入場券を購入し、景福宮へ入ります。
 
 
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こちらは世界遺産にはなっていませんが、どうしてなのでしょうか。昌徳宮より数多くの建築物があります。そしてその一つ一つが大きく豪華絢爛です。これは王様の政治処でしょうか。
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王座はもちろん豪華、北京との共通点を多く見ることができます。
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寒い地方ですから、オンドル用の煙突がついています。
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これは迎賓館でしょうか。ガイドがいないと辛いですね。
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さて、外国人が多く訪れていましたが、必ずしもマナーが良いわけではありませんでした。障子で中が見えない部屋がありましたが、なんと10歳くらいの子供が中を見ようして、障子に穴を開けようと指で突っついているのです!
 
「NO!」
とその子の手を取り、やめさせました。親はすぐそばにいましたが、見てみないふり。どういう育て方をしているのでしょうか。その子の前に、すでに開けて覗いている子がいました。
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景福宮の中は広く、しかも迷路のようになっています。たっぷり時間をかけて見られてよかったです。ツアーなんかで、はい、何時集合とやられると迷子になって遅れては困りますので、奥の方まで見に行けなかったかもしれません。
 
これで一応、見たかったリストすべて制覇したことになります。遠くてあきらめていた水原、北村韓屋村、火曜日定休だった景福宮、ガイド時間に間に合わなかった宗廟、何とかなりました。
 
景福宮を出た後、地下鉄の乗って明洞まで戻ろうかと思っていました。ところが、ウォンがもう2800wしか残っていないのです。また地下鉄に乗るには1000wずつ必要ですから、カードの使えない屋台では食べられません。
 
人生でしてはいけないものが二つあります。遠慮と貧乏です。私が高校生の時、ユースホステルで出会った大学生が教えてくれました。今、そのしてはいけない貧乏をしてしまったようです。
 
仕方がありません。歩いて明洞まで帰ることにしました。どうせならまた、仁寺洞を通過しましょう。仁寺洞入り口にある、筆をモチーフにした石碑です。
 
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一昨日来た時には中央通りだけでしたので、脇道にも入ってみました。いくつも行き止まりがあります。
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筆の石碑があるくらいなので、きっと筆がここの名物なのでしょう。
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字下手で、キーボードなしには何も書けない私ですが、こういう物を買ってじっくり書けばきっと良い精神修養になることでしょう。
 
でも、お金が2800wしかない、、、。みんなビンボが悪いんや。
 
怪しい露天の骨董商。こういうところで安く買ったら、あっと驚く実は本物、国宝級のお宝なんて話は期待しない方がよいでしょう。どうせ買うお金がありません。
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そういえば10万w余らせて李さんへのチップにするという話、知らないうちに流れちゃったね。お金は本当に、「御足」というくらいすぐにどこかへ行ってしまいます。でも、来る方はなかなか来ないので、不思議ですね。
 
仁寺洞のレストランで昼食を食べようと思うのですが、妻はトッポッキとキンパッの美味しいやつ(まずい方は前日に食済み)をまだ食べていないと言うのです。でも、カードの使えるところでしか食べられません。ガイドブックでスクールフードが紹介されているので、そこまで戻るというのです。おい、本気かよ、ここは仁寺洞だぜ。明洞なんて遠過ぎるぜ。
「そんなことないでしょう、一昨日歩いたじゃない。どこか寄るつもりなの?」
 
いや、途中でちょっと、本当にちょっとだけ東大門市場の登山用品街を、、、、。はい、そうですね。却下ですね。
 
そんな訳で、明洞まで歩いて戻りました。
 
続きはソウル旅行記4日目の2へ。


歴史っていうのはその国その国の主観がある程度入って編纂されるから並べてみると面白いですよね。日本ではこう伝わっていた事が別の国では別の形で伝わってるなんてしょっちゅうですしね。
まあ韓国は中国の正史史観に思いっきり影響を受けているから当の韓国の歴史研究家ですら「そうとう眉唾もの」とは言っていますが(んなこと言ったら日本の古代史だってかなりめちゃくちゃだと思いますけどね)。 削除
九太郎 ]
2014/2/19(水) 午前 9:23
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九太郎さん、コメントありがとうございます。

「日本史」として見た場合、日本側の書き方は間違いではないでしょう。しかし、「朝鮮史」から見れば、侵略された側の意見ですから、また違った書き方になるわけです。世界史として中立的に見れば朝鮮史の方がより史実に忠実であるわけです。

大戦中の歴史認識は両国間で食い違いを見せますが、やはり戦地となった場所、あるいは被害を受けた当事者の話を基本として事実確認をしなければいけません。日本側だけの意見でガンガン言っても相手が納得するわけもなく、国際的には孤立を深めてていくばかりです。

自分の書庫を探して「証拠が出てこないから、事実もなかった。」では通用しません。 削除
2014/2/19(水) 午後 6:34
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アレ? 町中にATMはないのですか。¥を下ろしてwにするのは難しいのですか。
しかしまあ、旅先で気が緩みすぎるのは良くないでしょう。
でも結婚20周年なら貴殿の優しい気持ちもわかります。キラキラ石を欲しがらない賢い奥さんですが、ね。 削除
2014/2/19(水) 午後 9:15
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山のMochiさん、コメントありがとうございます。ATMは、、、近代的過ぎて使いこなせません!というのは半分は本当ですが、実は日本円ではお金持っていたので両替すれば良かったのです。でも、少額だと手数料が高くなるで、もう最終日だし、いいか、って感じでした。

あ、そうすれば李さんへのチップの分も換金で来たぞ!やはりATM行けばよかったかなあ。 削除
2014/2/19(水) 午後 9:48
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2014年2月5日 14時
 
水原方面ツアーを終え、ロッテホテルの前でバスを降りた私たちは、自分らのホテルへ戻ります。途中、ヌーンスクエアを見て行きます。本日20時からのショー、Cookin’NANTAの予約をしてあります。
 
うん、ここだ。ポスターがありました。
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ホテルへ帰る道はもう、地図はいらないくらいです。今まで通ったことない道を通ってみましょう。「あびこ」という店発見です。我孫子でしょうか。近所の地名が海外で出てくると何となく親近感を覚えますね。
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ホテルへ帰るには、毎回同じ地下道を通過します。そこを通る度に気になっていたものの一つがこの人形焼のようなものです。時間帯によっては人が並ぶ人気です。
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試に買ってみました。中はクリームがはいっていて、外はパンケーキの粉で作ったような物でした。
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ホテルの部屋で、食べながらパッキングします。もう明日は帰国です。
 
問題は7㎏を越えるチョコレートと、大きなバッグにぎっしり詰まった壊れやすい韓国海苔をどうやって安全に持ち帰るか、です。作戦を立て、作業開始。
 
妻の機内持ち込み用のスーツケースを空にし、その中へチョコレートを詰め込みます。これはチェックインバゲージにすることにします。何とかぎりぎりですが収めることができました。ホテルのサービスがよく、エアコンを切っておいても帰るころにはガンガン暖めておいてくれるので、溶ける心配があります。温風の当たらないクローゼットに入れました。
 
手荷物バッグに入れていた妻の分は私のザックへ入れます。バゲージ預けはもう一つ、大きい方のスーツケースに二人分と圧縮に耐えられるお土産類を詰めます。防寒着はもう峠は越えているので、必要な物を残して圧縮袋に入れて中へしまいました。結構余裕があります。
 
問題は海苔です。このサイズは機内持ち込みはできません。かといってバゲージではスーツケースに押しつぶされてしまうかもしれません。そこで、二つに分けて、折りたたみボストンとチョコレートが入っていた手提げバッグへ入れ、機内持ち込みにしました。
 
写真は自宅に帰ってからです。スーツケースに乗っている袋は両方とも韓国海苔です。
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さて、荷物の目処がついたので、バゲージの余裕も計算できます。これで安心して買い物できます。
 
またふらりと散策へ出かけます。せっかくすぐそばにあるのだから、ソウルの百貨店を見てみましょう。新世界へ向かいます。地下街ではこんな店も発見。飛行機模型屋です。これでテナント料払えるほど商売になるのでしょうか?
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新世界百貨店内は日本のデパートとあまり変わりません。ブランドショップがテナントとしてぎっしり入っています。興味のない妻にももちろん私にも、ウロウロする理由はあまりありません。
 
地下へ行ってみました。いわゆるデパ地下です。食料品を売っていました。ここで驚くのはその価格の高さです。韓国はキムチを作るので多量の白菜を消費すると聞いていましたが、ここではなんと一玉8000wの値札がついています。円換算でおよそ800円になります。他の物もものすごく高く、買い物かごを片手に商品を選んでいる人たちの生活水準がいかに高いかを物語っています。この建物を出て直ぐの所には南大門市場がありますので、立地的にここで買わざるを得ないといことはないのです。
 
写真奥の、連絡通路でつながった建物が新世界百貨店です。
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驚いたところで、ファミリーファッションを謳う隣のメサへ行ってみましょう。しかしここも当然ファッションが中心で、興味のほとんどない妻にはつまらない様子。それでは南大門市場の南側を歩いてみましょう。
 
「そっち行かなくていいよ。それより明洞戻ろうよ。」
と妻。地図は私が持っているし、そもそも地図読めないを公言している妻なのですが、女の勘は人一倍鋭いのです。何でわかったんでしょうか。これで「そっち」にある登山道具店は行けなくなってしまいました。まあ、明日もあるからね。今日は無理しない。
 
地下街を抜けて明洞へ戻ってきました。道の反対側にはニューオリエンタルホテルが、その向こうにはNソウルタワーが見えます。立地の良いホテルだったので本当に楽しめましたね。築50年でも手入れはしてあるし、サービスも十分でした。
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ちょっと早めですが、夕食にしました。妻が明洞餃子を食べたいというので、地図を見て案内しました。そこの様子はこちらをご覧ください。
 
夕食を食べても、ナンタにはまだ時間があります。明洞を徘徊してみます。なんかいろいろなものが街を歩いています。キリンもいましたね。
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明洞の裏へ出てみました。意外なほどの斜面があります。そして繁華街のすぐ裏とは信じられないほどの静寂な空間です。
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そこにあるレストランです。B級っぽさ全面の明洞餃子とは明らかに客層が違います。
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でも、一歩街中へ戻ればやはりそこは明洞です。
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教会は改修工事中でした。韓国ではキリスト教信者が国民の半数ほどいるそうです。
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屋台でよく売っている物にこれがあります。食べ歩きしている人も多くいます。
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私たちはオデンを買いました。魚のすり身で作った具を出汁で煮込んだものです。日本のおでんとの違いは具はただこれ一種類のみのこと。出汁も和出汁とは違っていました。
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まだ1時間ほど時間があるのですが、どこかに座って休みたくなり、ホテルそばのカフェへ入りました。コーヒーもどこ入っても美味しかったのですが、特にここの物は美味しかったです。
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19時20分ニューオリエンタルホテル集合でしたが、19時05分に戻るとすでに李さんはロビーで待っていてくれました。荷物を部屋へ置き、さくっと歯磨き、すぐに出発です。ナンタ劇場までは徒歩です。
 
歩きながら、昨日今日の行程を報告しました。やりたかったことで、できていないことの一つに足裏マッサージがあります。妻が相談したところ、ナンタが終わってからできる所を探してもらいました。予約を入れ、ナンタ劇場まで迎えに来てもらう手はずを整えてくれました。さすがは凄腕ガイドです。できないことはありません。
 
マッサージや汗蒸幕のアカスリなど、客引きをやっている店などには手抜きをしたり、衛生的に問題があったり、中にはぼったくりもあるということです。全部ではないのですが、観光客には見分けがつかないことも多く、確実なのはしっかりした人の紹介でしょう。李さんも言います。食べ物屋では外れはまずないソウルなのでそっちのお手伝いは要りませんが、それ以外の職種ではいろいろハズレもあります。マッサージなどはきちんとした店を紹介しますから、そこを利用した方が失敗はありません。タクシーでさえぼったくりが出現するようです。
 
しゃべりながら歩いているとナンタ劇場に到着。入り口からすでにナンタらしさがあふれています。
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李さんがチケットを換えてきてくれました。そして扉が開き、中へ誘導されます。
「いっぱい笑って、いっぱい叫んで、いっぱい楽しんできてくださいね。」
と李さん。
 
筋書きはわずかに知っていましたが、それで十分でした。言葉が分かる人なら100パーセント楽しめますが、言葉が分からない人は98%の楽しみでしょう。まず大丈夫です。それに大体の意味は何となく分かるものです。
 
食材をリズムで切り刻むなど、食品に対する「もったいない」という気持ちの薄い韓国文化ならではショーかもしれません。商品価値のないキャベツを使用していると信じて心から楽しむことにしました。
 
内容はネタバレしてしまうと嫌な人も読むかもしれませんのでここまでにしますが、終了後には声出し過ぎて喉ががらがらになってしまいました。とにかく面白く、そして素晴らしい舞台でした。
 
終了後、劇場ロビーを出ると「三毛さんですか。」と声をかけられました。フットマッサージのお店からの、お迎えでした。
 
店はなんとあの、あびこのビルでした。エレベーターで上がり、待合室へ。
「予約していただいていますが、お待ちいただいてすいません。あなたたちのガイドさんが空いていないのに無理やり入れてしまったものですから。」
 
待合室では日本人グループが待っていました。おいしいお茶をいただきながら、待ちます。施術の終わった人たちが帰ります。大切な客なのか、オーナー自らお見送りでした。
「次は10月のご予約ですね。お待ちしております。」
 
ものすごい人気ですね。そんな先まで予約を入れるのか。
 
やがて奥の面接室へ呼ばれました。
「料金について、ガイドさんは何か言っていましたか?」
「はい、10パーセントオフだと、、、。」
「、、、そう、やはり10パーセントオフなんですね。50,000wコースと60.000wがあり、フットバス、足裏マッサージ、○○、○○(憶えていません)などのうち、6万wならフルで、5万ならどれか一つカットで、施術しています。」
 
それではせかっくですから、6万wコースをお願いしましょう。なにか10パーセントオフに不満がある様子です。李さん、相当な無理をしてくれたのでしょう。ありがたいけど、やりすぎも怖いよ~。
 
料金は前払いでした。施術中にオプションをいろいろ勧めてくる心配がないのでむしろありがたいですね。
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いよいよ施術です。まずはロッカーへ通され、着替えます。渡されたローブのような服を着ます。そしてフットバスへ足を入れます。暖かいお湯が寒空を歩いてきた足に心地よかったですね。スイッチを入れると、振動とぶくぶくが出て来ました。
 
しばらく浸かっていると、タイマーでぶくぶくが止まりました。店員が来て、再度スイッチを入れます。もしかして、まだ前の人が終わらないのかな?いやサービスなのか?もともと2セットが標準なのか?
 
それはともかく、次に店員が来たら足を拭いてフットバスは終了です。ベッドにうつ伏せに寝るように指示されました。はい力を抜いてください、といい、オイルを塗りながら足裏のマッサージを始めます。痛かったら声をかけて下さい、と言われますが、どの程度の傷みなら声をかけたらいいのかが分かりません。これはちょっと痛いかな、と思っていると、
「ここは痛そうですね。」
と言われました。どうやらわかるようです。
 
マッサージは足首から、ふくらはぎ、そして脚全体を回したり始めました。何回も力抜いて、と言われました。あんまり人にやってもらうのは得意ではないのです。
 
次はあおむけです。すねのあたりをマッサージ、そしてお腹にホットパックを乗せます。気持ちよくてうとうとしてしまいそうです。
 
およそ1時間ほどで施術終了です。脚全体の血行が良くなっていて、筋肉が柔らかくなっていることを感じます。出口まで送ってくれました。道が分からなければホテルまで送ってくれるそうです。
 
店名はJuna Beayty Lineです。日本人客が多い店でした。帰国後に知ったことですが、日本のTVで紹介されたそうです。
 
ホテルへ着いたら、あらためて歯を磨き、就寝しました。


扁平足気味なので足裏マッサージやりたいですね。ちょっと近くの店行ってこようかな。それか東京天然温泉とか。 削除
九太郎 ]
2014/2/17(月) 午後 1:09
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笑顔の湯もいいよ。息子は中学校の元担任が行きつけなので、ビビッて行けなくなりましたが。 削除
2014/2/17(月) 午後 2:11
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お疲れ様でした~
いよいよ、帰国ですね❗️
沢山の食べ歩きで、胃腸は
大丈夫でしょうか?(^_^;)
帰国したら、ゆっくり休んで下さいね(笑) 削除
2014/2/17(月) 午後 5:04
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Kikuさん、コメントありがとうございます。長々とした文章にお付き合いいただいていたのですね。感謝いたします。 削除
2014/2/17(月) 午後 5:42
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ナンタ、本物見たいなあ!
面白そうなのは十分承知。
ごちそうも見学も、両手に余るだけ堪能できたご様子。 削除
2014/2/18(火) 午後 8:13
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山のMochiさん、コメントありがとうございます。

4日間めいっぱい楽しんできました。ナンタは見た後でガイドさんに聞いたのですが、「実はあの芸は韓国の伝統芸能で習得に最低1年、、、、」なんていう物もありました。コミカルで笑いっぱなしなのはもちろん、客いじり、即興と盛りだくさんで、面白かったです。東京公演もあるということなので、行けるようならまた行ってみたいくらいです。 削除
2014/2/18(火) 午後 10:32
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2014年2月5日
 
朝食を昨日コンビニで買ったキンパッで済ませ、7時30分ホテルを出ます。今日は近ツーのオプション、「世界文化遺産ライナー半日コース」に参加します。集合場所がホテルの近ツーラウンジなのですが、残念ながら私たちの宿泊ホテルではないので、徒歩で行きます。15分ほどで到着しました。昨日下見をしてあったのでスムーズにアクセスできました。
 
集合時刻は7時50分です。現在時刻は7時46分、、、あれ、誰もいないぞ?48分に職員と本日のガイドが到着。受付を済ませます。今日の参加者は10人だそうです。そのうち4人が半日コースです。
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参加者で一番若いのは私たちでしょう。たった10人に用意された車はフルサイズのこのバスです。もったいないくらいですが、これは私の想像の域を出ませんが、時間通りに現地に到着する秘策なのかもしれません。
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全員揃ったところで出発します。正月明けのこの時期、いつも以上に渋滞がひどいという情報を得ていたので、今回は水原方面はあきらめようと思っていました。しかし、交通会館の近ツーカウンターで相談したところ、ツアーで行くならあまり心配ないという回答を得ました。
 
そのわけが、これです。そう、バス専用レーンがあり、渋滞を尻目にぐんぐん行けるのです。片側4車線もあるのでできる技でしょうね。観光立国を目指す韓国は制度も整備されているし、マナーも良く、乗用車やトラックの走行は全くありませんでした。また、車線変更時など、バスによく道を譲ってくれています。
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予定時刻前に水原華城(スウォンファソン)に到着しました。朝鮮王朝時代の王宮はソウルに多くありますが、ここは22代の王様、正祖が遷都を狙って作った施設だそうです。実際に遷都はできず、別荘扱いで、さらに49歳で死去してしまったのでほとんど使わずに終わったようです。その死因も諸説あるようないわくつきらしいのですが、ガイドはそこまでしか話しませんでした。
 
22代の王様は、幼名がイ・サンだそうで、その名前のドラマで知られています。が、私は見たことがないので全くわかりません。しかし、庶民にとってもよい王様だったそうで、ガイドさんも実績を知って好きになったそうです。
 
朝鮮王朝の王様は必ずしも国民に愛されていたわけではなく、ハングル文字発明の指揮をした世宋大王と、この正祖の二人は特別な存在だそうです。王様であっても国王在任中の悪事で死後に宗廟に入れてもらえない人も2人いるとか。そういえば、チャングムでも先代の王様は死後に宗の字をもらえずに君になったのではなかったかな? 
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これが東の門で、旗の色が東を表す、、何色だっけ?青だったかなあ。色は覚えられないたちなのでご勘弁ください。いったんこの門をくぐって外へ出てみます。
 
外から見ると、こんな感じで直接門が見えません。右から回り込まなければ入れない仕組みになっています。銃眼がありますが、これは弩を射るための穴、下向きのもあります。縦に長いところは油や石を落とすところだそうです。実際に城としてはほとんど使われていませんから、戦闘も経験せずにここまで来たそうです。
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石組の城壁に開けられた銃眼ですから、弩の角度はわずかしか変えられず、実戦に向くようには見えません。戦乱の続いた朝鮮半島が統一され、平和な時代になってからの物であることを感じます。
 
こちらは城壁の上にある櫓です。こちらは中が渦巻きのようになっているそうですが、観光客の多さから石段が減ってきてしまい、文化財保護の観点から立ち入りに制限がかかっていました。仕方がないでしょうね。
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大砲も設置。しかし、ピンポイントでしか撃てません。弾道を避ければ接近できそうです。
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城壁は続いています。残念なことに、現在水原華城内に住宅が立っています。写真左が城内のはずですが、見事に住宅で埋まっています。学校までありました。世界遺産の中に住む贅沢は苦労を伴うようで、住宅の高さに制限をかけているそうです。城壁の先に見えるところは庭を王様が愛でるための楼閣です。城壁の途中で旗の色が変わりました。
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その楼閣まで来ました。靴を脱いで上がります。氷点下の気温で曇り空、靴を脱ぐ勇気のない人が多いのですが、私はせっかく来たのだから、王様の座る場所から景色を堪能しました。
 
なるほど、風情がありますね。これで緑の多い時期ならもっとよかったことでしょう。
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「足冷たくないですか?」
「さすが王様の居所、オンドルで温かいですよ。」
と冗談で返しました。本気にしたわけではないでしょうが、笑いながら数名の追随者が出ました。
 
1分しないうちに足の感覚が無くなるほどの冷え込みです。
 
施設内を連接バスで移動できるようです。ものすごいデザインですね。
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さらに進むと水の門に来ました。普段は水が流れて見物なのだそうですが、何しろこの気温、水はすべて凍っていました。
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写真を撮ると良いスポットを紹介してくれましたので、順次撮影しました。さて、ここからはバスに乗っていよいよ宮殿へと向かいます。
 
バスが走りだし、ガイドさんが説明をします。
「チャンジャのお父さんは、王様ではないのです。若くして陰謀で米櫃に閉じ込められて、、、、、あ!」
 
ん、どうしたんだ?ガイドさん、何かに気が付いたようです。もしかして正祖暗殺の計略の秘密に気が付いたのか???
 
「なんか足りない!」
そう言って運転手にバスを停めさせます。
 
ざわつく車内。数える自分たちの数。あ、8人しかいないぞ!2名どうしたんだ??いや、どうしたもなにも、置いてきた以外ありえないだろう。
 
車を戻すように言うガイド。しかしここは世界遺産の中、道が狭いのです。このでかいバスを戻すのは至難の業。ターンすることはできず、そのままバックします。ミラーとリアビューカメラでそろそろと戻す運転手。結構来たよな。これだといつつくことやら。そのうちにぎりぎり入れられる路地へ無理やりバスを入れ、植木をこするようにしてバスをターンさせました。一発でOK、技術のある人で良かったですね。
 
水の門のところで2名は待っていました。乗り損ねたことに気が付き、手を振って待って~、とやっていたそうです。お土産物屋の人たちが気が付き、観光会社へ電話をしてくれたようですが、連絡がガイドに入る前に何とか戻ってきた、ということでした。
 
10名揃ったところで、再びバスは王宮を目指します。
 
王宮では人形を使って王様のお母さんの還暦祝いを再現していました。王様より偉いのでしょうか、王様と王后が頭を下げています。きらびやかな装飾品と調度品、そしてこの食べ物の量。贅沢の限りを尽くしている感じです。
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城の内部は迷路のようになっていて、いちいち門があります。勝手に通行できないようになっているのでしょう。チャングムの撮影でも使われたということです。何となくあのシーンかな、くらいの記憶はあります。
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模型で再現してあります。1500人の壮大な還暦祝いだったそうです。私の時にはそこまでしなくていいからね。
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チャングムの撮影に使われたので、ファンがたくさん訪れるのでしょう。こんな物もありました。
 
左はイ・ヨンエさん、右はチ・ジニさん、真ん中はぺ・ヨンジュンさんだったと記憶しています。
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まだまだ続きのある水原華城ですが、時間の関係で見学はここまで、バスに乗って健陵の見学に向かいます。もちろん10名、そろっていることを確認してからの発車です。
 
健陵(ゴンルン)はその、正祖とその王后のお墓です。すぐ隣に王様になれずに米櫃で殺された正祖のお父さんの墓もあります。
 
ここがその分かれ道です。左の正祖の方へ向かいます。
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わずか200年前、日本では徳川の時代に、なんとこのような古墳のような規模のお墓をそれぞれの王様にあつらえたそうです。労役に駆り出された庶民の気持ちはどうだったのでしょうか。しかし、現在は朝鮮王朝は一応の尊敬を集めているようです。下の写真、鳥居から建物につながる石畳の、真ん中が高くなっている通路は
「王様の霊(神様)の通り道なので王様でさえ歩くことは許されていません。皆様も歩かないでください。王様は右の通路を、東宮は左の通路を歩いたので、そこを歩いてください。」
という注意を受けました。
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この建物が墓なのかと思ったらそうではなく、式を執り行うための物だそうです。この後ろの、こんもりと高くなっている部分が墓で、そこは立ち入り禁止です。
 
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あれ、その墓に人が入っているぞ?と思ったら職員で、管理しているのだそうです。
壮大な無駄ですが、現在は観光資源になっているので、同じ無駄でもどこかの国の、海の底の戦艦よりいくらかましでしょうか。
 
この後石焼ビビンパッを食べて伝統工芸品を扱うショップへ案内されました。お土産がまだそろいきっていないので、ここで最後のつもりで調整します。いくつか買って集合時刻にエレベーター前で待つと、そこから宝石売りに声をかけられた参加者二人、「あら、いいわね~。」と買い物開始。ちょっとイライラするガイドさん。その2名、ああ、バスで置いてけぼりのあの2名!
 
ロッテホテルロビーで半日コースの私たちは降り、ツアーは終了です。水原は自分たちで行くとなるとソウルからは距離があるのでちょっと難易度が高いですね。ガイドもつくし、それに渋滞知らずで食事もおいしい。半日だと金額も安いし、興味があるなら参加して損はないツアーだと思います。


バス専用道は日本だとヤ○ザかDQNの通り道になるでしょうね。いまだに渋滞した高速の路側帯走る黒塗りのベンツとかいるもんなー。
真ん中のペ・ヨンジュンさんは変なオジサンの霊に取り憑かれた?
日本の神社でも鳥居は神様の通り道だから通っちゃいけないんですよね。たしか。ちょっとうろ覚えだしもう形骸化してるといえばしてますけど。
海の底の戦艦は魚礁として立派に役に立ってますね(そーゆー意味じゃない)。 削除
九太郎 ]
2014/2/17(月) 午前 7:47
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九太郎さん、コメントありがとうございます。

日本の神社にも共通点があったとは、知りませんでした。調べてみようかな。

バス専用レーンを走る車が全くないというこのには本当に驚きました。カメラで監視しているのでしょうか。この仕組みなら、少人数でもタクシーよりバスチャーターする方がいいですね。それとも思い切ってバス買っちゃうとか。

その他では、「外国人送迎車」ステッカーを貼っている車も見かけました。優遇措置があるのでしょう。

ウエスティン朝鮮ホテルはジュニアスイート以上の部屋に泊まるとストレッチリムジンで空港までお出迎えです。これバスレーン走れるのかな?そうでないなら乗合バスの方が早かったりしますね。 削除
2014/2/17(月) 午前 9:03
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http://happism.cyzowoman.com/i/2012/04/post_638.html
このページによると鳥居の中心は正中(せいちゅう)という神様の通り道なので外して歩いたほうが丁寧かも的な書き方になってますね。神社によっては鳥居の左右に扉と道がついてて「人間はこっち」と明確に分けてるところもありますね(ただ、そういった神社でも普段は鳥居をくぐって本来は人間が通るべき扉は施錠されていて通用口というか非常口みたいにされちゃってる時がありますね)。 削除
九太郎 ]
2014/2/17(月) 午前 9:18
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九太郎さん、詳しい情報ありがとうございます。仏教なら共通するしきたりがあっても驚きませんが、神道系での共通項目には不思議を感じます。そもそも発祥はどこなのでしょう。古来からの交流は私の想像以上の規模であったのでしょうね。 削除
2014/2/17(月) 午前 10:10
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バス専用レーンって便利!
城内といえば石川県の金沢城を思い出しました(あるのは大学だけど)。
韓国の人は苗字が短くていいですね。テストの時楽そうだ。 削除
2014/2/18(火) 午後 7:07
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くまそんさん、コメントありがとうございます。

バス専用レーンは本当に良かったです。韓国に住むならバス買っちゃいますよね。全員バス乗れば意味ないか。

苗字は短いのですが、種類が少ないのでフルネームかニックネームで呼び合う必要があるようです。日韓野球で、先発した9人のうち、6人がキムさんだったとか。 削除
2014/2/18(火) 午後 7:38
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2014年2月4日13時
 
韓定食を食べた私たちは、一度ホテルに戻ります。オーバーパンツはさすがにみっともないし、店内に入るのにそのままでは失礼にあたるでしょうから、先ほど買ったばかりのエコロバの登山ズボンに履き替えます。歯磨きなどをして、再び町へ出ます。
 
午後は昌徳宮、宗廟を見に行くのです。宗廟は李さんお勧めの場所ですが、ガイドと一緒に入らなければならず、入れる時刻が決まっているのです。日本語ガイドは14時40分、15時40分が間に合います。
 
地下鉄には明洞から乗ります。もう3回目となると慣れたものです。たったの5000wしかチャージされていないキャッシュビーカードですが、ソウルは交通費が安いので、まだまだ使えます。地下鉄一回が1050w、4回までは乗れることになります。
 
一駅乗った忠武路で地下鉄3号線に乗り換え、これも何とかこなし、そこから3駅目、安国で降ります。
降りてすぐに、現代グループのビルがありました。
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こちらを走る車はやはりヒュンダイが多く、続いてキア、バスやトラックはデーウもあります。お金持ちはグレンジャー、普通はソナタ、超大金持ちはドイツ車に乗るのだそうです。「普通」になるだけでも大変な格差社会、単車改造のオート3輪トラックも良く走っています。
 
そこからすぐに、昌徳宮があります。時刻はまだ14時前、宗廟の見学時刻はまだ先なので、その間にこちらを見て来ましょう。
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こちらも世界遺産に指定されています。
 
朝鮮王朝の不思議はこのような宮殿がいくつもあることです。日本では遷都するたびに増えていくのですが、こちらではなぜかソウルに多くがあります。どうしてなんでしょう?
 
韓流時代ドラマにはまっている人にはいろいろなことがわかって面白いようですが、チャングムしか見ていない私たちでも、ああ、ここがあれか、など興味深く見ることが出来ました。実際に撮影に使われることもあるようですが、やはり史跡での撮影には制約が多いのでしょう。野外セットを作った太秦のようなところがあって、そっちで主な撮影をしているようです。
 
庭に立っている石の立て札は、正九品などと書かれています。おそらくその階級の物がそこに並ぶのでしょう。それでも、王様に謁見できる身分なら十分に高いはずです。
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この巨大な建物は王様が政治決断を発表するところでしょうか。何階建てかな?と思って中を見ると.、なんと平屋。とんでもなく天井が高いのです。そして内部の装飾も凝っています。
 
色は派手ですが、日本の建築との共通点を見いだせる建築様式です。
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明や清との外交に、朝鮮の力を見せつけるためにこのサイズ、この建築美が欠かせなかったのかもしれません。中国には臣下の礼を執ることで侵略を免れていたということですから、地理的な運命を背負った建物でしょう。
 
この昌徳宮が想像以上に面白く、結局ぐるりと全部回ってしまったら、ああ、もう宗廟の14時40分には間に合いません。次があるか。
 
出口から出て、宗廟へ向かいます。あれ、道間違えた。大きい道路沿いに歩いて、、あれ、歩行者通行止めだ。宗廟の北側からは入れないのか。すると南側に回るしかありません。
 
塀に沿って歩いていきます。すぐ隣は宗廟ですから、塀を乗り越えれば入れます。あ、はしごがあるぞ。ちょっと借りるか。しかし、世界遺産でそれやると私の勘が当たれば逮捕、拘留されるでしょう。場合によっては刑罰を食らうかもしれません。
 
仕方がありません。どんどん歩きましょう。幸い最近妻はウォーキングにはまっていますから、歩く距離が長くなっても文句はあまり出ないので助かります。
 
結構広い敷地です。なかなか入り口は見えて来ません。やがて左に曲がれるところに来たら、そこが入り口か?しかし、そこでたむろしていたオジサマが、
「チョンミョ、ファイブミニッツ。」
と言って道を指さしてくれました。
 
あと5分も歩くのか。そして歩くこと3分程度。チケット売り場に来ました。しかし、すでに閉まっています。ああ、ついに時間が過ぎたのか。
 
仕方がありありません。それでは仁寺洞散策に切り替えましょう。仁寺洞は「古き良き韓国の文化を今に伝える」とまっぷるで紹介されている通りです。
 
宗廟からは大通りを西へ進みます。タプコル公園前で地図を広げて信号待ちをしていた時のこと。前にいたおば様がクルリと後ろを向き、私の持っている地図を覗きこみます。タプコル公園は抗日を記念するところ、ドキッとします。
 
「いまここ、仁寺洞行くの?この道をあっちに進めば、それ仁寺洞。」
 
お礼を言う間もなく、青信号で渡って行ってしまいました。親切な人が多いとは思っていましたが、とにかくみんな親切でびっくりします。毛皮のコートを着ていました。お金持ちの奥様でしょうか。
 
教えられたとおりに進み、仁寺洞へ入りました。街の雰囲気は自由が丘が、日本では一番近いかなあ。落ち着いたたたずまいです。
 
ちょっと疲れたのでカフェで一休み。ソウルで驚くのはカフェが異常に多いことです。スターバックスはそれこそ100歩に1軒ぐらいの割合である所もあるし、韓国ブランドのチェーンも、もちろん個人経営も、これでもか、というくらい展開しています。どれもが優雅な雰囲気でおしゃれに楽しめそうです。
 
階段を上がり、「トゥミョン」(2人)と言いました。明洞は日本語で不自由しないと聞いていました。ここは仁寺洞(インサドン)ですから。
 
「チュムン プッタカムニダ」(注文 お願いします。)
と私。
「すいません、わからないので日本語で話してください。」
と店員。はいはい、すいませんね、それでは日本語で注文しますよ。
 
妻はアメリカンコーヒーを、私はエスプレッソを注文しました。あとはパンケーキとチュロスを。
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コーヒーもおいしい!
 
韓国通の友人は、つい10年ほど前まではインスタントコーヒーの様な物が提供されていたとのこと。ずいぶんよくなったようです。
 
疲れをいやしたら、いよいよ仁寺洞探検です。
何やら行列ができています。行列のお目当ては油で揚げたお菓子のようです。
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外国人観光客も多く来るのでしょう。I♥韓国なる、着るのが恥ずかしいデザインのTシャツも売られています。チープなチマチョゴリもどきは、浅草で和服もどき売っているような感じでしょうか。
 
お茶屋さんがあり、店内に入ってみます。しかし、いい値段がします。価格差も激しく、良し悪しが分からない私たちには買うのはばくちになってしまいます。
 
サムジギルへ来ました。ここは仁寺洞のランドマーク、らせん状のフロア構造になっているのでぐるぐる回って全部のショップを見ることができます。
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頂上にはこんなオブジェが。コンクリートジャングルのソウルにあって、どこかほっとするスペースです。
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そして何やらお札の様な物がたくさんぶら下がっていました。恋愛成就の何かがあるのでしょうか。若い人たちは必死ですね。日本でもパワースポットだのなんだので賑わっていますね。
 
仁寺洞を突き抜けました。まっぷるの付録の地図を見ると、三清洞から北村韓屋村へのお薦め散策路が記されています。よし、この通りに歩いてみましょう。
 
まずは女子高校横を歩いていきます。この氷点下の寒さの中、生脚ミニスカートがいて驚きます。さすがに稀な存在ではありますが。写真?そんなの撮らないよ!女子高校の隣は、また女子高校と中学校です。なんでまっぷるはこの道を推奨しているのでしょうか?ちなみに週末の10時~22時は歩行者天国だそうです。
 
交差点まで来ました。ここからは分岐があるので、しっかりと地図を見ながら歩かないとルートを外してしまいます。
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観光客が結構います。仁寺洞とは、隣り合わせの町ですが、また違った雰囲気の所です。
 
くねくねとしたルートをなんとか外さずにトレースしていると、登り坂に出ました。結構急ですが、距離は短いのでえいやっと登ります。
 
見えてきました、韓国伝統の建物が。日本でいえば川越や、前の週に行った佐原のような感じでしょうか。
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この辺りは伝統的建築を保護しているのでしょうが、所々現代の実情に合わせて改造してあります。石塀の一部をくりぬいて車庫になっている所もあります。これは仕方がないでしょうね。
 
ターンするところがよくわかりませんでしたが、何とかルートの戻って今度は南下、北村の中心を歩きます。写真で紹介されている北村韓屋村は北側に向けて撮影しているようです。南側を向けると、遠くには、ああ、ビル群が写ってしまいます。
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でも、雰囲気は出ていますね。ソウルの面白いところは、日本では京都、奈良、自由が丘、佐原などがセンター街やアメ横のすぐ隣に位置していることでしょう。全てがギュッと凝縮されているようです。
 
日本と時差はなくても、かなり西に位置していますので、なかなか暗くなりません。まだまだいけますね。歩いて帰りましょう。
 
安国の交差点へ戻ったら、今度は郵政局路を通って鐘閣タワー(チョンガクタワー)を目指します。ここは展望台があるということなので、明るいうちにここに登り、暗くなったらNソウルタワーに上るというプランを立てました。
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鐘閣タワーの下に来ました。エレベーターはありますが、どれが展望台につながっているのでしょうか。ビジネスマンたちが忙しそうに出入りしています。
 
インフォメーションにいるお姉さんに尋ねてみました。
「展望台はありません。」
 
本当か???ガイドブックには絶景と書いてあるんだけど。♪もしかしてだけど~、もしかしてだけど~、俺に側にいて欲しくてそう言ってるんじゃないの♪
 
後で調べると、展望レストランはあるけど展望台はないようです。そう言ってくれればレストラン入ったかもしれないのになあ。
 
明洞まで戻ってきました。本当に今日はよく歩きます。明日、7時50分に集合の近ツーラウンジを下見しておきましょう。ロッテホテルのロビーへ行きます。
 
下見しておいてよかったですね。一発では行けません。ロッテホテルはさすがに高級ホテルの格を感じさせます。でも、かえって面倒だなあ。入り口から入ってすぐにエレベーターのニューオリエンタルは便利ですよ。
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だんだん暗くなってきました。いよいよ核心のNソウルタワーへ行きましょう。まずはエレベーターでロープウェイの乗り場へ行きます。このエレベーターは斜面に沿って斜めに登って行きます。
 
ロープウェイは結構な混み具合でした。中は真っ暗です。けっこう高くまで登って行きます。
 
そして、ついたところが南山山頂駅です。ここからタワーまではわずかな距離です。ライトアップされていました。
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券を買って、いよいよ中へ。エレベーターを待つ列は、写真撮影コーナーへと導かれます。ブルーバックの前で全員写真を撮られます。商魂たくましいですね。
 
エレベーターを待つ間、扉に映像が映し出されていて飽きさせません。けど、ちょっと大げさかな。
 
そしてエレベーター内では天井に映像が。これが地球を飛び出し、宇宙まで突き抜ける映像で、これまたいくらなんでも大げさすぎ。タワーまではるか下の方。
 
でも、エレベーターを降りるとこの景色です。
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妻と二人、息をのんで景色を見ていました。展望台にもレストランがあるので、景色を楽しみながら食事もいいね。でも妻は、参鶏湯が食べたいというので景色をしばらく見た後にタワーを降りて明洞参鶏湯へ行きました。
 
 
明日は早朝から水原華城へのオプションツアーです。朝食を食べに行く暇はないでしょうから、キンパッ(韓国のりまき)をコンビニで買って帰りました。妻の万歩計は3万8千歩を越えていました。でも、その分食べているからなあ。
 
ホテルに戻ると、巨大なバッグが届いていました。昨日の分で書き忘れていましたが、李ガイドお勧めの店で韓国海苔を買ったのです。岩海苔の高級品で、その辺で安売りしている養殖海苔とは味が違うと店のおやじさんが言っていたのでつい、買ってしまったのです。
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「もし、バッグに買っていないものが入っていたとしても、それはサービス品ですから返しに来なくても結構です。」
面白い親父さんでしたが、この量はすごいね。海苔を壊さずに持って帰るのは至難の業となりそうです。

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