三毛ジャガーの物欲日記

オートバイ、自転車、登山、カヌーカヤック、スキーなどアウトドアレジャーを楽しんでいます。物欲にまみれていて欲しい物は買う、戴く、無い物が欲しければ作ってでも手に入れております。

2023年01月

1月8日
喉の痛みが随分和らぎ、声は相変わらずしゃがれてしまって全く出ませんが呼吸に不自由は感じなくなりました。頭痛も昨日より改善されてきています。

朝の計測は体温36.5度、SPO2 99%とパーフェクトでした。毎朝会社に状況を報告していますが、体温が下がって血中酸素飽和度も改善されているのですが声の酷さに心配されてしまいました。

朝食は普通に食べられました。そう、味覚が戻ってきたのです。普通に美味しく食べられました。スポーツドリンクも美味しく感じられました。

持ってきた新聞を読んで見ました。うん、面白く読めるようになっています。10時頃疲れを感じたのでベッドイン、しばらく休みました。

やがて昼食のコールがかかりました。目を覚まし、食事を取りに行きました。食事が美味しく感じられるのでこれが楽しみの一つになってきました。飲み込みの時に喉に痛みを感じますが、今までの酷さを考えれば大した問題ではありません。

食べたらやはり横になります。どうも体力が極端に落ちている様子です。食事を貰いに行って、食べているだけで疲労感に満たされます。

あっという間に16時、計測の時刻を迎えます。放送で目を覚まし、計測します。体温36.5度、SPO2 99%といい数字でした。

夕食を食べ終えた頃、会社の同僚へLINEを送ったら直ちに既読、返信がありました。いま大丈夫そうだな、色々聞きたいこともあるしこちらの状況も伝えたいな。思い切って通話にしてみたら出てくれました。

現在の会社の状況は職員が私を含め3人が欠けていてやりくりがつけられず長時間残業と休日出勤で埋め合わせをしていること、そしてクラスターの発生に追われて大変な状況であることがわかりました。しかし、私の状況を伝えると
「それは良くなってないよ。まだまだ。ホテル療養が終わってもせめて次の日は休んでよ。」
と言ってくれました。本当に温かい職場です。

かなり長い間おしゃべりをしました。まともには声が出ないので私の言っていることが伝わらないかと思いましたが、じっくり聞いてくれているようでちゃんと伝わっていました。

しゃべり終わったらあたたかい気持ちのまま眠りにつくことができました。

1月9日
妻が療養を終える日です。朝食を取りに行くエレベーターに乗ると、上の階から乗っていた女性がいました。その女性、こちらを見ます。あれ、俺がイケメンだって気がついちゃったかな?いや違う、妻じゃん。何という偶然。妻は食事を終えゴミを片付けに行くところでした。私とは階が違うので食事を取りに行く時間帯が違うので、会う確率は極めて低いのです。

昨日より更に体が軽く感じられます。これならもう一度入浴できそうです。昼食後に入浴しました。そして新聞の続きを読みました。4日分の新聞を持っていったので、それなりに読み応えがあります。

午後の計測でも36.8度、97%と問題はありませんでした。これなら大丈夫でしょう。任天堂3DSで謎解きを楽しんだりして時間を潰しました。看護師から電話があり、退所日は1月11日と決まりました。ゆっくりできるのはあと1日ですね。何して過ごそうかな。

1月10日
朝からひどい頭痛です。検温36.8度、SPO2 97%です。数字的には問題ないんだけどなあ。元が偏頭痛持ちだから、体力が奪われている状況だと陥りやすくなるんだろうな。到底食事を取れる状態ではなく、朝食は欠食、取りにも行きませんでした。しかしそれではいけないのはわかっているので、メイバランスのもう一本を飲みました。
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ずっとベッドの中でひたすら頭痛が止むのを待ち続けました。こうなるとロキソニンも効かないだろうし、明日の退所が伸びてしまっても困りますから服用することは避けました。

昼食まで寝て過ごしましたが頭痛の改善は全くありませんでした。このままでは体が持たないだろうから、とにかく食べておきましょう。昼食は取りに行きました。たまたまローストビーフ弁当だったのでなんとか平らげ、紅茶などで水分を多めに摂りました。

午後も結局寝て過ごしてしまいました。明日帰宅できるというのに、風呂にも入れず荷物整理さえできていません。参ったなあ。でも今できることは頭痛の軽快を待つことだけなのです。

夕食も根性で食べ、早寝しました。

1月11日
一晩寝たら頭痛は消失していました。ああ良かった、もし昨日が退所日だったら道端で嘔吐していたかも。10時退所予定です。9時過ぎに看護師から電話が来ることになっています。昨日は入浴していなかったので、シャワーを浴びてから出たいのですが、浴びている間に電話がかかってきても困ります。朝食を食べたら荷造りをして、電話が来るのを待ちます。待っていた電話は9時10分くらいに来ました。もうこれで何もないでしょう、浴室へ入ります。手早くシャワーを浴びて片付けたら9時45分でした。15分かけて片付けられるものは片付けて、指示通り換気扇がオン、カーテンが閉まっていることを確認して、カードキーを用意。パルスオキシメーターと一緒に返すのでセットにしてポケットへ。

10時、エレベーターが動き始めました。さあ帰ろう。

パルスオキシメーターを返却して、書類を渡されて、人物確認を受けたらホテルから出られました。外の空気は朝の空気が昼のそれに変わってくころでした。

駅に向かって歩きます。途中、ホテルラングウッドの傍を通ってみました。ここで結婚式、披露宴をあげてからもう28年になります。披露宴後2次会を友人に青砥のシンフォニーヒルズでやってもらい、このホテルに戻ってきました。そして次の日、スカイライナーに乗って成田空港へ、そこからタイのプーケットへむかいました。今回は数日妻と同じホテルに宿泊しましたが、妻とは違う部屋、そして行き先は救急車に乗って中等症受け入れ病院と(行かずになんとか済みましたが)、新婚旅行とは随分違うものでした。
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帰宅したらまずは会社へ帰宅したことを連絡しました。明日から出勤可能であると伝えました。しばらくしてLINEで修正勤務表が送られてきました。なんと明日12日は公休になっていました。

娘は喉の痛みと咳き込みこそありましたが、私ほど重くはなく食材もあるものを工夫してなんとか食べていました。父も抗原検査を繰り返し実施してもらいましたが結局感染は認められず、なんとか免れた感じです。娘に感謝の意を伝えました。

午後はずっと寝たきりだった体を動かす為に、自転車でホームセンターまで出かけました。帆布生地などを購入しました。

1月12日
公休です。涙が出るほど嬉しい公休です。無駄にしてはいけません。たまたま妻も公休だったので、片付け物と清掃を一緒にやりました。一部部屋の模様替えもしました。そして午後からは自分の時間、半月もエンジンを掛けていないCB250Fに火を入れましょう。メンテ走行として2時間位は走ってきたほうがいいかな。

ややかかりは渋かったものの、回ってしまえば快調に回る水冷単気筒エンジン。
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まつぶし緑の丘公園に行ってみました。
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体を動かすとかなり早めに疲れが出てきます。後遺症ではなくなまっているだけだよな、うん。丘に登りました。
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夕暮れの町並みがなかなかいい具合に見えました。
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写真中央のアーチ状の構造物は東武アーバンパークラインの江戸川橋梁です。案外近く見えますね。もちろん写真はズームをかけていますが。
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池の周りも歩いてみました。
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茂みの中身鴨がいました。
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電熱グローブに不調が発生、左手は小指がやけどするほど熱くなるポイントができてしまい、右手はあまり暖かくならなくなってしまっています。直せるかなあ。

さて、明日から仕事に復帰です。今まで休ませてもらった分も頑張りましょう。




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1月5日続き

13時10分、予定通り迎えのタクシーが自宅に到着しました。タクシーはJPNですが、運転席との間は分厚いシートで隔離され、中央部に穴が開けられ塩ビ管が前から伸びていました。ここから外気を取り入れて車両後部から排出させるように思いました。荷物はリアドアから入れますが、全て乗客の仕事、運転手は一切触ることはないということでした。もちろん私も自分で積み込みました。同乗者がいる場合ありと電話で伺っていたので運転手に確認すると、今回は私一人ということでした。

日暮里までということでいくつかの道順が頭にありましたが、そのどれとも違うまさかの首都高速経由で扇大橋からアクセスという大変贅沢なルードを使いました。

療養ホテルに到着したら、チェックインします。人物確認後血圧を測定し、窓口で申告、パルスオキシメーター、カードキーと書類を一式渡されました。また、ロキソニンを持参したことを伝えると服用は指示があってから、服用後24時間は退所できないことが伝えられました。

部屋は6階でした。部屋に到着したらカードキーでドアを開け、荷物の整理をします。部屋が寒い!まずはエアコンを入れなくては。どこにスイッチが有るのかな?あれれ、ないなあ。あ、あったここか〜。まさかの照明コントローラー部に一緒にありました。

荷物を整理する途中、どうも体がだるくて仕方がありません。布団に潜り込みました。寒い、布団が薄すぎる!それにちっともエアコンが効かないじゃないか。

LAVITA(ラヴィータ)というシステムに検温、血中酸素飽和度(SPO2)を記入していくので、そのシステムにアクセス、打ち込みました。入所時の体温は37.3度、SPO2は97%でした。

寒いのは布団が薄いからでもエアコンが効かないからでもなく、要するに悪寒だったのです。これから熱が上がるぞ。

夕食は放送があったら1階まで降りて取りに行くシステムです。とにかく食べなければ良くならないので、食欲は感じていませんでしたが取りに行きました。

明治座というブランドの弁当で、自分で廊下にある電子レンジで温めて食べました。
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味はどうでしょう?うう、塩っぱい!なんてまずさだ。ご飯だって噛でも甘みが出てこない酷さです。こんなまずい弁当食べたことがありません。会議茶というペットボトルの茶ももらいましたが、これも渋みばかりでちっとも美味しくありません。さすがAPAだな、全てがまずい。

先行してここで過ごしている妻に報告すると、全くそんなことはないとのこと。
「味覚やられているんじゃないの。」

え、そうかな。むしろ敏感になっている気がするんだけど。水分を取ろうと買っていったスポーツドリンクをお湯で溶かして飲むと、これまた塩っぱい!なんだこれ。いやいや、いつもは美味しく飲めていたじゃないか。つまり甘みを感じなくなっちゃっているんじゃないの!!味覚障害って、こういうことか。

20時、看護師から電話があり、入所時検温で微熱があったので再度測定するように指示されました。検温してびっくり、なんと39.6度もあるではありませんか。SPO2は91%程度しかありません。深呼吸するように指示され、深く吸い込もうとしますが喉の痛みが酷く吸うと咳き込んでしまう始末。数字はちっとも上がってきません。時間をかけてなんとか95%まで戻しました。喉の痛みを訴えると、ロキソニンを服用するようにとのこと。早速2錠服用しました。しばらくすると喉の痛みは軽減され、呼吸もなんとかできるようになってきました。後頭部と鼠径部をペットボトルでクーリングしました。やがて眠ってしまいました。

1月6日
4時ころひどい頭痛で目が覚めました。検温すると37.8度ありました。冷蔵庫で冷やしておいたペットボトルで後頭部と鼠径部をクーリングします。喉の痛みが酷く、声を出すどころの騒ぎではありません。

6時50分、館内放送があり、計測とLAVITAへの書き込みをするようにと指示がありました。体温37.5度。SPO2 93%でした。数字が良くないからでしょう、看護師から電話が直ちにかかってきました。食事は入るけど味覚がおかしい事、喉の痛みが薬が切れると猛烈にあること、などを伝えました。ロキソニンは飲んでもいいけど、もし我慢できる範囲なら飲まずにいたほうがいいと言うことなので我慢することにしました。

朝食は時間をかけてなんとか全量摂取します。食べている最中に横にならずにはいられなくなって、ベッドに横たわり、しばらくしてからまた起きて食べ、を繰り返しました。

とにかく呼吸が苦しいし、固い痰がとめどなく出てきて痰壷として使っていた紙コップにたっぷりと溜まってしまったくらいです。この喉の痛み、もし気管支や肺に到達したらこれは死ぬんだろうな、と感覚的に理解できました。

9時過ぎ、葛飾区保健所のマイハーシスに入力したところ携帯電話にそこから着信しました。値が良くないということで確認の電話でした。昨日からホテル療養し、こちらの看護師に管理されていることを伝えると、主たるはホテルの看護師が当るけど保健所と連携するのでマイハーシスにも継続して記入をするように指示されました。

昼食になりました。取りに行きましたが、1/5程度しか食べられませんでした。どうしても喉を通らないのです。

横になっているうちに16時、計測の時刻です。体温は39.0度、SPO2 96%でした。高熱が出ているので20時も計測するように指示がありました。

夕食のコールがかかりましたが、到底食べられる状況ではなく取りにも行きませんでした。その代わり持参したメイバランスを一本、3回に分けて摂取。
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ホットスポドリを300ml程度飲んで横になります。20時、検温39.3度、SPO2 95%でした。看護師から、もし夜間具合が悪くなったら電話をするように指示されました。

23時頃、猛烈な喉の痛みで呼吸が困難になってきました。痰がひどく出てきて、また悪寒がひどくなってきています。寒くてどうにもいられない感じです。体温を測るとまさかの39.8度、SPO2は90%を下回っています。看護師に電話します。

看護師から、ここまでSPO2が下がると救急搬送することになります。とにかく深呼吸をしてください、と言われます。咳き込みながらも必死で深呼吸をしてちょっと盛った数字ではありますがなんとか救急搬送はしないことになりました。ロキソニンの服用を願い出たところ、服用して良いとのこと。服用後しばらくしてから喉の痛みが和らぎ、SPO2はそれほど改善はされませんが呼吸は随分と楽になり眠ることができました。

1月7日
朝、ウトウトしていると朝の計測のコールがかかりました。昨日に比べると随分と楽になっています。
検温36.8度、SPO2 97%と大幅に改善されています。喉の痛みが酷く声は出せませんが、なんとか食事は摂れそうです。

朝食は食べたい気持ちは全く起きませんがなんとか全量摂取しました。水分もホットスポドリなどをなるべく多く摂取するようにしました。この調子で頑張れば良くなっていくでしょう。

喉の痛みと頭痛はあるものの、熱も下がってきたので入浴することにしました。ホテルに来て3日目、その間着替えこそしましたが入浴できていなかったのです。

非常に狭いバスタブでしたがなんとかシャワーを浴びて湯船に浸かり、リラックスしました。しかし、入浴していると頭痛が酷くなってきたので程々で出てしまいました。

そうこうするうちに昼ごはんです。頭痛と喉の痛みで食べたい気持ちもなく、また味がしょっぱく感じてしまうのでもはや苦痛でしかないのですがそれでも食べないことには良くならないので我慢してなんとか平らげました。

午後、異常な疲れを感じて寝てしまいました。昨日深夜まで高熱と戦っていたからでしょう。気がつけば午後の計測のコールがかかりました。検温36.5度、SPO2 98%とすっかり改善されています。その調子で夕食も塩っぱさに耐えなんとか全量摂取。20時も値は良好でした。テレビでも見ようかとスイッチを入れてみましたが、やはり頭痛に音声が響くのですぐに消してしまいました。そういえば退屈だろうからと持ってきた新聞や本は全く読んでいないなあ。とにかく横になることを優先的にしてきましたからね。


LAVITAの記録です。
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コロナ感染ホテル療養篇2へ続く



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1月2日 
高熱が出てうなされる夢を見て目が覚めました。これが今年の初夢だよ。嫌な夢だ。布団の中で検温したところ36.3度でした。なんだかリアルな夢だったなあ。でも大丈夫。咳も喉の痛みもありません。抗原検査した結果も陰性でした。

会社に電話、妻が感染してしまったことを伝えました。経過観察期間として6日まで自宅待機になり、毎日体調の報告をすることになりました。

妻とは違う階で寝起きしてしています。家庭内隔離です。朝食、昼食を作り、部屋に届けます。マスク、使い捨て手袋をしてそっとトレーを差し入れすぐに退散します。そして取手類は薄めたハイターで消毒。

娘も抗原検査は大丈夫、父も大丈夫そうです。高齢の父を感染からま守らなければならないし、国家試験の近い娘にも感染させたくはありません。LINEで家族会議を何回もした結果、妻にはホテル療養をしてもらうことになりました。感染者登録をしてホテル療養を申し込み、明日3日に迎えのタクシーでホテルに行けることになりました。明日になればこの消毒地獄から開放されるな。

夕食は妻は不要とのこと。喉の痛みがあり食欲がないということです。ホテル療養する荷物を作るのでバッグを取って欲しいと言われ、手袋マスクで防備してそっと部屋へ入れました。

1月3日
喉に異変を感じます。検温38.2度。これはいけませんね。俺も感染したか?抗原検査は陰性です。いや、これ正月の疲れで過労になっているだけかも。会社に報告、抗原検査陰性なので熱が引けばだいじょうぶかも。

昼過ぎ、妻は迎えのタクシーに乗ってホテル療養へ出発しました。その頃から、猛烈な頭痛が襲ってきました。起きていることができず、布団の中で過ごします。そもそも片頭痛持ちなのでそれほど驚きはありませんでした。そして嘔吐が始まりました。これもいつものことです。ピークは長くても3時間ですから、とにかく横になって時間が立つのを待ちましょう。

しかしいつもの頭痛とはレベルが違います。嘔吐しても全く楽にならず、むしろ胃が暴れて他の臓器に当たってそちらが痛いというレベルです。胃の中が空になっても胃液を吐き、胃液を吐ききると今度は苦い濃い茶色い水が出てきました。これ十二指腸から出てくるんじゃないのか?

いくらなんでもこれは感染しているでしょう。抗原検査キットは底をついたので娘に買ってきてもらいました。薬局ではすでに売り切れ、インフルエンザと両方検査できるキットだけが残っていて、1セット2500円!もしました。娘は自分の分と2セット買い求めました。
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これだけの症状が出ているのにコロナは陰性、インフルエンザも陰性でした。おかしいな、もしかして違う病気かな。それにしてもきっと高いな、でも会社にもらいにくこともできなしなあ。そうだ、東京都のキット申し込んでみるか。

ついでに娘が買ってきてくれたOS-1を一口飲んでみましたが、やはり受け付けず数分後には嘔吐してしまいます。

とにかく苦しいので、診察を受けたいと思いました。正月期間なので殆どの病院がやっておらず、やっている病院へ電話したら
「あなたのような方が多量に来ていて対応不能です。」
と断られてしまいました。どうしたらいいの、こんなにつらいのに。

娘が夕食を差し入れてくれましたが、全く食べることができません。それどころか水分も飲んだ分以上を吐き出す始末。脱水になっているなあ。

トイレに向かうこともできなくなってバケツに吐き続けました。嘔吐は深夜まで続きました。

1月4日
結局一晩中吐き続け、ほとんど眠れませんでした。明るくなる頃最後に多量に嘔吐したらそれを最後に胃の痙攣は止まりました。でも頭痛は収まっていません。検温38,6度。会社に検温と症状を報告します。あれ、声が出ないよ。しゃがれ声にもほどがあります。

娘が昨夜作ってくれた夕食を食べていました。うん、美味しいよ。水も飲んでみましたが、嘔吐はありませんでした。ふう、ピークは過ぎたな。跡はこの頭痛と発熱、喉の痛みだけだ。

改めて4日からやっている病院に電話をかけます。正月が開けたといってもやっている病院はそれほど多いわけでもなく、少ない中にたまたま見つけた息子の勤める病院に電話して発熱外来の予約をしました。今日はもういっぱいなので明日以降と言われ、更に他が見つかったらキャンセルしてくださいといことでした。なんてこった。

昼頃、佐川急便が来て東京都の抗原検査キットが届けられました。今度はどうだ、早速検査してみました。

今度こそ、陽性でした。
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会社に報告します。それから家族とLINEで会議。これからどうする?
まずは陽性者登録をします。そしてやはり父と娘に感染させないこと、それと私の介護で娘に負担をかけてしまっているので、それもなんとかしなくてはいけないのでやはり私もホテル療養をすることにしました。

ホテル療養を申し込み、何回かの電話がかかってきたら申込み完了です。明日13時10分に家までタクシーが迎えに来てくれることになりました。

そして夕方、娘から衝撃的なLINEが入りました。
「私も感染した、抗原検査で陽性になっちゃった。」

!!

さてどうしましょう。再びLINE家族会議を開きます。

食料を買いに行けなくなるので、今あるもので食べるには二人では少なすぎる、もし私が再び悪化した時に娘の負担が大きい、深夜帯に悪化した時に対応をしてくれる人が自宅にはいない、などの理由で私はホテル療養確定、娘は父がもし感染した時のために自宅に残る決断をしました。感染してもリモートで授業を受けられるし、国試も近いなどの理由もあります。

夕食はもう娘と隔離する意味はなくなったので感染者同士一緒に食事を作り、食べました。
昨夜は殆ど寝ていなかったので20時には眠たくなり寝てしまいました。

1月5日
今日からホテル療養開始です。荷造りをしなくてはいけないのだけど、頭痛と倦怠感で動く気力がわきません。布団の中でダラダラ過ごしてしまいます。このままじゃダメだよね、10時をすぎるころようやく動く決心が付き、布団から出ました。衣類をまとめ、退屈になるだろうからと数冊の本も忍ばせました。そしてホテル療養するに当たってロキソニンを持ってこいと言われています。倦怠感と喉の痛みで食事が入っていなかいのでメイバランス(栄養補助食品)も欲しいところ。衰弱時の水分補給にはやはりスポーツドリンクの粉も欲しいところ。これどうしたらいいの?

なんとか手に入れ、それをパッキング。そして娘と昼食を食べたらタクシーが迎えに来ました。



コロナ感染ホテル療養篇に続く



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2023年1月1日

夜勤明けでした。勤務終了が9時40分、その時刻に息子の運転する車が会社に迎えに来てくれました。父も乗っています。

そのまま常磐高速に乗り、茨城県の弟の家に行きました。

正月に親族を集めるのが好きだった母。亡くなってもう半年になります。その意志を受け継ぎ、こうして集まったのです。

弟は庭を大きく作り変えている途中でした。剪定で出た枝などを燃やしています。切り株はスエーデントーチにしてあります。
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炭をもらって私のピラミッドグリルに火を入れ、熾になったところでバーベキュー開始。
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スエーデントーチは理想的な燃え方ですね。中央部分からゆっくり火が入っていきます。
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弟の用意してくれた大量のカニを楽しみながら、コストコアヒージョ、バーベキューを楽しみました。

食べ終えたら散歩にでかけけました。筑波山がきれいに見えました。
キウイフルーツが生っていますね。
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先日乗った関東鉄道常総線です。こちらはろうきんのラッピング車両。
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小貝川の堰堤に出てみました。ずいぶんと整備されていますね。決壊してもう8年目になります。弟の家も床上浸水してひどい目に合ったのはこのブログにも書き記しましたね。
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夕暮れが早い、そろそろ戻りましょう。
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もうじき弟の家に到着です。
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夜勤明けでそのまま来てしまったので、さすがに疲労しています。息子の運転する車の中でウトウトとしていました。その後娘の運転で息子を家まで送り、家に向かう途中会社からSOSが入りました。トイレが溢れてすべてのトイレが使用不能!

家に帰らずそのまま会社に送ってもらい、復旧作業に当たりました。そして終了したらもうじき日付が変わる時刻。一緒に作業してくれた若手はもうバスがないので、娘に迎えに来てもらい、家まで送りました。

その帰り道、妻からLINEが入りました。
「抗原検査でコロナ陽性になりました。」

!!!!!

コロナ闘病記に続く




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