三毛ジャガーの物欲日記

オートバイ、自転車、登山、カヌーカヤック、スキーなどアウトドアレジャーを楽しんでいます。物欲にまみれていて欲しい物は買う、戴く、無い物が欲しければ作ってでも手に入れております。

2021年06月

BSトランジットスーパーライトには専用の輪行袋があります。
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専用品でなくても、オーストリッチなどから小径折りたたみ車用輪行袋が販売されているのでそれでもいいのですが、何しろ車輪径が14インチと極小のこの車はたたむとものすごく小さく(そして軽い)なるのです。
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それに合わせて作られた専用品なら余分な部分もなくきれいに収まるのです。
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例えば、献血に行った時などこれをクロークへ預けることも可能です。しかし、輪行袋として問題がないわけではありません。ファスナーや巾着などがなく、ただのトートバッグ状なのです。ですから、ストラップを持っている時ならともかく地面に置くとメカがむき出しになってしまいます。電車の中でよそ様の衣類を汚したりしたら大変だ!
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一体何を考えてこの製品を企画したのでしょう。正直、あきれています。これが大手自転車メーカーの純正品だなんて。

だめなら自分で何とかしましょう。要は上を閉じられるようにすればいいわけです。まずはどう加工するのか検討します。

マチの部分はホックで留めればいいかな。中央部は紐で閉じるか。ファスナーだとより完璧だけど、大きなマチがあるしかえってコンパクトにならなくなりますね。まあダブルファスナーをつければいいと言えばいいのですが。
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ホックは買い置きのこれを、中央部のひもはハトメに紐を通して留めることにしましょう。
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ホックの部分は3㎜Φポンチで穴を開けます。
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ハトメもポンチで穴を開けますが、こちらは7㎜Φです。
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ホックに裏金を入れて打ち込みます。ハトメは専用のプライヤーで締め付けます。
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極めて簡単に出来てしまいました。早速車両を入れていましょう。左右のマチはホックで開かなくなりました。
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中央部はこのようになりました。うーん、まだ開いちゃうなあ。
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下の写真でいうと中央部と右端の間にもう一か所ずつハトメ穴が必要ですね。
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撮影後、早速増やしました。これで車体が出ちゃう心配はほぼ解消されたことでしょう。








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BSトランジットスーパーライト”トラさん”のテールライトとしてペンダント型テールライトを使っていますが、恒常的に使用するとやはりゴムひもの耐久性に問題を感じます。それに明かりの多い市街地で使うならもう少し光度は高めであって欲しいものです。何かいい物ないものでしょうか。のんびりと探しているある日、ディスカウント店でこれを発見しました。安全にかかわるものですから、これくらいなら出してもいいかな。

早速開封してみました。電池が入っているのは良心的ですね。クリップでもつけられるので、ザックやサドルバッグに付けることもできます。取り付けの金具は大変良くできていて、角度調整をするネジがなく取り付けベルトで締め付けると角度も保つようになっています。それと細いステーに取り付ける時にかませるスペーサーがついているのも私にとって大変ありがたいことでした。
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電池を入れてみました。本体を分離するのはコインでできます。パッキンは全周タイプで防水の点でも安心できそうです。
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1秒長押しで点灯と消灯、短押しで点灯、点滅、ランダムの切り替えをします。かなり明るいですね。
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360度点灯というので裏から見てみました。なるほどね。でも裏から見える必要あるかなあ。
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車体に取り付けてみましょう。シートピラーに付けるのが一般的ですが、折りたたむときに邪魔になるのでこの車両の場合シートステーに取り付けた方がよさそうです。チューブが細いので例のスペーサーをかませます。あれ、こっちじゃブレーキアウターに当たっちゃうね。
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左に付ければ大丈夫。いや、見た目的に変だな。傾いで見えるよ。
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それでは、もっと下に付けてみましょう。ここならフレームチューブが横方向には斜めにはなっていないのでまっすぐついているように見えます。私の美的感覚からするとこっちの方がいいな。
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雨さえ降らなければ、これで通勤と買い物、出先のポタリングとあちこちで活躍することでしょう。夏至付近である今のところではあんまり点灯の機会はありませんけどね。





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息子には彼女がいます。大変美しい方で、ほぼ長濱ねると思えば間違いはない感じです。

「17日はたまたま彼女も俺も休みだから、逢う約束しているんだ。」

ふーんそうなの。そりゃいいね。ゆっくり過ごして来いよ。あれ、俺もたまたま(本当)に公休だ。え、妻も公休なの!これも本当にたまたま。こんな偶然めったにないよな。家に連れてこないか?

「そうだな、LINEで聞いてみるよ。」

ま、来るわけないか。そりゃそうだよね、二人で過ごしたいだろうから。

数日後。

「あのさ、昼頃行くからご飯出してよ。」

マジ?本当に来てくれるの?すっげー嬉しい!!よし、俺に任せろ。スキレットパンと保温鍋で作るタンシチューにするぞ。久しぶりだなあ。昨日夕方、藤森畜産で牛タン一枚まるごと購入してきました。

それを5等分します。
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にじみ出る血はキチンペーパーで丁寧に拭き取ります。
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オリーブオイルをスキレットパンに敷きます。この鋳鉄のフライパンは焼き加減が抜群によくできるのです。いきなりステンレスの保温鍋で焼いたりしてはいけないのです。
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6面全部に焼き色を付けて行きます。この焼き加減、これこそ鋳鉄スキレットパンの真価です。
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そこへ赤ワイン500mℓを注ぎます。
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ローリエを入れます。
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本当は玉ねぎを炒めて入れるのが良いのですが、今回は炒め玉ねぎペーストを使ってしまいました。夕食を同時進行で作るので時短もしなくてはいけませんからね。
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あくが浮いてくるので丁寧に取り除いていきます。ワインも少量ですが捨てることになってしまうのはもったいないけど仕方がない所です。
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ある程度火が通ったら、保温鍋に移し替えます。煮込みはやはりこの鍋がいいのです。あと、スキレットパンだとデミグラスソースを入れる余地がないしね。スキレットではなくダッチオーブンを使うなら入れられるけど、保温鍋に移す時重すぎるのです。
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炒めたブナシメジを入れます。
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デミグラスソースも出来合いの缶詰を使用してしまいました。こちらは時短より失敗を恐れてという方が正解です。これ使っとけば間違いないからね。
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後は真空保温ケースに入れて18時間寝かせます。時々取り出しては過熱を繰り返します。
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日付変わって今日。前日から泊まっていた息子は車で彼女の迎えに行きます。その間は荷物片づけと掃除をしました。妻のリクエストでガラスも本格的に掃除しました。
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それから埼玉屋に注文していたオードブルを取りに行き、その帰りにキャラントでケーキを、スーパーで飲み物などを購入しました。
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そしていよいよ昼。ブロッコリーを塩ゆでします。
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シチューには塩、オイスターソース、ケチャップなどを入れて味を整えます。味見は娘にやらせました。
「うん、おいしいよ。塩はもういいよ、結構塩味を感じるよ。肉の味がシチューにしみ出しているのを感じるよ。」

12時25分、車が戻ってきました。よし、盛り付けだ。
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よく笑う彼女は私のシチューをはじめ、たくさん食べてくれました。歓談を楽しんだ後はコストコへ買い物に行きたいというので、息子と出かけるそうです。そのまま送ってくるのか。じゃあさ、ちょっとだけ時間ちょうだい、せっかく来たんだから写真撮らせてよ。

レンズはFA☆1:1.4 85㎜で息子との2ショット、F☆1:4.5 300㎜で彼女のアップを撮りました。逆光にレフで光を当てての撮影は初めてという事でしたが、天使の輪が光る髪の下に美しい笑顔で撮れました。最後はFA1:1.9 43㎜Limited"J☆パンケーキ”に付け替え、私たち夫婦も入って4人で集合写真。

写真は2Lサイズに印刷して渡し、後に息子のラインへも送っておきました。彼女へも必要な物だけ送れるでしょう。

彼氏の家族総出の誕生会は緊張したかもしれませんが、こちらはとても楽しい時間を過ごすことができました。まさか来てくれるなんて、大いに驚き、そして喜びました。息子は本当にいい人を見つけたものです。大事にするんだぞ。これは家長の命令だ。

Iさんの訃報を受けてここしばらくずっと沈んでいましたが、久しぶりにすがすがしい気分になれた一日でした。




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Iさんの訃報にショックを受けてからもう6日となります。Iさんとの思い出の一部は前回のブログへ書き記しましたが、まだまだ書き足りないことが山ほどあるわけなのです。しかしそれを書いたところでこのブログの読者の望む物でもないので、それは奥様への手紙にすることにして、今日は出会ったころIさんのご実家でお住まいだった、佃島へ行ってみることにしました。

佃島では前回書いたとおり、ウォーターフロントとして再開発のために立ち退きを迫られていた時期でしたので、それほど長い期間ではありませんでした。それでも3回か、あるいは4回くらいは来たことが有ると思います。引っ越しされてからは通過はしても立ち寄ったことはありませんでしたので、およそ30年ぶりの訪問となります。

相生橋を渡れば佃島です。右折すると交差点があり、交差点名は佃2丁目です。
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ここから南を見ると佃大橋が見え、その先はもんじゃで有名な月島です。
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Iさんに美味しいもんじゃの店を尋ねると、

「どの店も美味しいよ。特徴はそれぞれあるけどね。好き好きがあるからお勧めって言うのは難しいなあ。いくつか入って見るとなんとなく特徴がつかめてくると思うよ。俺は好きな店ってないなあ。子供のころから沢山食べて来たから、実を言うともんじゃはもういいかなって感じ。」

だそうです。地元では案外そんなものなのかもしれません。

街歩きを続けましょう。開発を逃れた地域もすぐ隣にあるんですね。
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あれ、路地が分からない。景色が変わり過ぎだよ。あるいは記憶が薄らいできているのか。
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いや、ここで間違いないな。何回も通りを歩いて、曲がり角を間違えていないことを確認します。するっていうと、このマンションが立ち退きを要求してきた不動産屋の建てた建物という事になりそうです。
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この隙間!ここがかつては路地で、そこにご実家が建っていたと思われます。
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Iさんは少年時代、この店で買い物していたんじゃないかな?
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佃島のガソリンスタンドは営業していました。このガソリンスタンドの裏は写真にあるようにマンションですが、かつては月極駐車場で、そこにスープラを停めていたと思います。
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この駐車場にはゴルフGTiが置いてあり、Iさんの友人の所有車という事でした。買い替えの予定があり、150万円程度で売りたいと言っているという事でした。だいぶくたびれたKP61の私ですから、じっくり見させていただきました。マニュアルシフトのノブがゴルフボール型というジョークが盛り込まれたゴルフ(本当はガルフストリームからの命名)は、外装の程度もよくまた機関もメンテを怠らない方なので全く問題ないようでしたが、バイトの身分ではさすがに手が出せませんでした。クロカン4駆が欲しかったという事もありましたが。

佃大橋のすぐ脇には駐車場が広がっています。あの頃もこれあったかな?記憶が薄いです。もしかしてこっちがスープラだったかなあ。いや違うなあ。
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駐車場の隣は月島駅入り口です。ご実家が駅まで徒歩2分という好立地ですから、今の人なら車なんて買わないかもしれませんね。
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もう少し町歩きをしてみましょう。そうそう、こんな感じの路地でした。Iさんは玄関前にヤマハのシグナスを置き、通勤に使用していました。
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ここもいずれビルになるようです。だんだんと下町風味が薄れていくのを目の当たりにするのは辛いものです。
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せっかくだから、石川島公園に行ってみましょう。この道路を渡ればすぐそこです。
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記憶が正しければ、この公園は造成中だったんじゃないでしょうか。この辺りのどこかで川を眺めながら話をしたと思います。すぐ側に見えるスカイツリーは計画さえ全くない頃ですね。
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プッシャーボートがはしけを運んでいますね。この船はここで左折し、勝鬨橋方面へ向かいました。
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中央大橋とお花畑。
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なぜか?パリ広場と名付けられています。
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観光船でしょうか、時間があったら乗りたいなあ。
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佃大橋の向こうには勝鬨橋が見えます。跳開する部分が良く見えます。開くところが見たいなあ。Iさんはごく幼少の時に見た記憶があると言っていました。
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川沿いを歩いていると、道は途絶えて上にあがるようになります。そこにあったのがこのトイレです。これは30年前にはなかったんじゃないかなあ。
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川沿いの道が途絶えた理由はこれ、住吉水門と水路があるからでしょう。
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水路の先は右に曲がっていますね。
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この辺りにも下町の面影が残っていました。
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佃煮丸久の前に歌碑が立っています。ああ、そうだ、佃島は佃煮発祥の地だったんですよね。Iさんの生まれ故郷としてよりそっちの方が有名だ。
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佃島渡船の碑が立っています。かつてこの島には橋が架かっておらず、渡船で行き来をしていたということです。江戸時代から始まり、佃大橋完成の1964年まで300年以上運行していたというのですから驚きです。前回の東京オリンピックの時ということになりますね。
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資料館が隣にありました。
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佃大橋があるのだから佃小橋もあります。
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先ほどの住吉水門から続く水路の先は船溜まりになっていました。これも歴史がありそうです。
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船溜まりの手前には土砂の堆積しているところがありますが、ここはなんと歴史的な価値があるものが埋設されているのだそうです。立て看板には
「1798年徳川幕府より許された大幟の柱、抱が埋設されています。」
と書かれていました。
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最後に住吉神社をお参りしました。きっと境内でいたずらっ子だった(私個人の予想です。)Iさんがご迷惑をおかけしていたことでしょう。
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佃島での思い出の一つが、Iさん失恋の話を聴いたことです。当時付き合っていた方は足立区在住の女性でした。スープラで迎えに行くのをとても嫌がったのだそうです。なぜ?

「品川の3ナンバーだからだって。だって仕方がないじゃん、たまたま生まれたのが中央区なんだから。でもさ、ここは見て分かる通り足立区以上に下町なんだよ。それに3ナンバーは税金が高いから中古価格が安くてさ。もうじき普通車も税金安くなるから買ったのに。金持ちと勘違いされて身分違いとか言い出してさ。」

バブル期の電気工事職人は相当稼いでいましたから、持ち物全てが一流品だったのは事実です。結局それ以外の事でも理解が得らず別れてしまったという事でした。でもその後の結果を知っているこのブログの読者はそれこそまさに塞翁が馬で、奥様との出会いの為に「Iさんの彼女」を空席にしておくことに運命はしてくれていたのです。

もっともっとIさんの思い出に浸りたいところですが、午前でおしまいです。午後には松戸で献血の予約を入れているからです。フルメッシュジャケットにメッシュパンツでしたが、それでも暑かったですね。セルフシャッターで。
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で、献血ですが、湿疹が腕にできていて、「消毒ができないから今日は無理。」とドクターからストップされてしまいました。








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探したけど写真が出てこない!申し訳ございませんが、ネットからの拾い物です。
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大学生の時、叔父の所で夏休みに電気工事のバイトをしていました。元から電気や土木が好きだったこともあり、1か月ちょっとのバイトの間にある程度の知識、技術を持つことができました。夏休みが終わって学校へ行くと、体育会山岳部の先輩が(私は体育会ワンダーフォーゲル部)バイトの話を持ってきました。電気工事の会社で梱包開けや資材運搬のバイト探しているけど、そういうのに使えるのは山やっているやつという偏見から私に声をかけて来たとのことです。ちなみにこの先輩、富山県警山岳救助隊へ就職いたしました。

電気工事のバイトできますよ。梱包開けなんて容易すぎますぜ、こちとらケーブル埋設の溝堀りも、電柱に登って線を引っ張っていたこともありますから。

「よし、お前やはり第一候補だ。いついつ面接だから、ここへ行くように。」

時はバブル景気真っ最中の1989年でした。その年の6月に先輩からもらったKP61スターレットの維持費と山行費用捻出のためにバイトをしたかったので、まさに渡りに船でした。

指定された時間に行くと、おじさんたちがゾロリと揃っていました。
「F君から聞いているよ。制服はこれ、開始は明日から。学校は優先していいし、山に行くときには遠慮なく休みとって。」

え、面接じゃなかったの?

「F君が太鼓判押すからさ、大丈夫。」

そして次の日からその会社で働くことになりました。現場は新築の高層ビルで、照明器具をリフトであげて開梱、器具付けをできるようにセットすることでした。F先輩の顔をつぶしてはならないと猛烈に働きました。午前中に予定の仕事をあらかた終えてしまいます。そして昼休憩。近所の中華料理屋へ連れていかれて炒飯大盛りをごちそうになりました。隣にはその会社で2番目に若い電気工事士、Iさんが座っていました。この方も炒飯大盛りを食べていました。

「三毛君、ずいぶん働くね。そんなに働くと疲れるでしょう。」

いや、資格がないから、力で稼ぐしかありませんから。

「あんまり働くと俺がさぼっているように見えちゃうよ。」

そして午後、残りの器具を処理していました。するとそのドライバーを回す手つきを見ていた職人の一人が、
「三毛君手が早いし正確だよ。腰道具ぶら下げて器具付け出来そうだよ。結線だけ他の人がやればいいから、天井付けは任せられるよ。」
と言ってくれました。器具のセットを終えた所で腰道具の予備を貸していただき、二人一組で行う器具付をIさんと行うことになりました。

Iさんとおしゃべりを楽しみながらも手を猛烈な勢いで動かし、次々と器具を付けて行きました。そして夕刻。社長から終業の声がかかりました。

「三毛君のおかげで早く終わったよ。F君の言うとおりだった。いい人紹介してもらって本当に良かった。」

そう言ってくれました。それから週5日、山に行かない週は6日か7日も働くことになりました。何しろバブル絶頂期、電気工事の仕事は3年先まで埋まっているほどの建築ラッシュだったのです。

Iさんは仕事以外の付き合いもするようになりました。車好きという共通点もあり、また歳が3つしか違わなかったのでお兄さんのような感じだったのです。そのIさんの愛車がタイトルのスープラ3000GTターボエアロトップでした。夜、学校が終わると校門前に迎えに来てくれて、夜の首都高をこの車でドライブに連れて行ってくれました。横浜の夜景スポットを教えてくれたりしました。加速は猛烈で、シートに背中がめり込むよう、マニュアルのセカンドでも加速中にホイールスピンを起こすほどでした。逆に私のKPでドライブしたこともありましたが、ガチガチに固めたラリー仕様のサスに付き上げられてIさんの虫歯が傷みだし、もう帰ろうとなったこともありました。いや、ここでエアロトップの悪口も書いておきましょう。雨の日にブレーキを踏むとサイドウインドーの上から前に向かって漏れてきましたね。


また、ご自宅も訪問したことが有ります。場所は佃島で下町情緒あふれる所でしたが、時はバブル、タワーマンション建設のために立ち退くことが決定していました。

やがて私はバイトをやめ、今の会社に就職しました。しかしIさんとの繋がりは続きました。時々連絡を取っては会い、ドライブしたりファミレスで食事をしたりしました。

やがてIさんは友達3人と行ったスキー場で「上から落ちてきた」女性と知り合い、付き合うことになりました。ところがこの女性、長崎県の方で、超遠距離恋愛をすることになったのです。

ちょっとでも休みがあれば車で延々高速を走って長崎県まで行って会いに行っていました。車はご家族のコロナで、80㎞/hで坦々と走るとすごく燃費が良いのだそうで、1回給油をすればたどり着けるのだそうです。

やがて二人は結婚しました。私も披露宴に呼んでいただき、ギター弾き語りを披露いたしました。下手で申し訳ないことですが。歌ったのは薬師丸ひろ子の手をつないでいてでした。

新居にもお招きいただきました。奥様の作る皿うどんは長崎の名物だそうで、ものすごくおいしかったのを覚えています。

次は私が結婚する番です。Iさんにも報告するととても喜んでくれました。その時、悩みがあったのでIさんに相談しました。妻の実家は岩手県で東京(父の出は千葉で親戚はほとんど千葉)と風習が違うこと、また妻も披露宴だけでなく神前式をやりたがっていることなどです。信仰していないのに?

「そうか、それなら解決は簡単だな。奥さんになる人の希望を全部聞いてやればいいじゃん。」

Iさんぐちを聴いてくれると思っていたのでびっくりしました。しかし、Iさんは続けます。

「君が結婚するのは奥さんだけだけど、ご両親がいることを忘れてはいけないよ。あの人なら安心だ、良い人と結婚できたと思ってもらうには、絶好の機会じゃないか。そもそも披露宴って、親戚に理解してもらうためにやるんだから、それがけち臭いって思われたらダメじゃないか。大事に育てられた娘さんをもらうのだから、それが男の責任だよ。」



「だいたいがさ、そもそも披露宴って新婦の為にあるんだよ。男はいないと成り立たないから居るだけ。好きなようにやってもらって、満足してもらえたら大成功、金で済むのだからむしろ安い物さ。」

Iさんのご指摘を受けて、結婚式の神髄を知ることができました。なるほど、その通りです。カネカネ言っているのは愚の骨頂、この際なんでもやりましょう。

しかし、残念ながらIさんはその披露宴には来ていただけませんでした。電気工事関係の試験と日程がバッティングしてしまったのです。お祝いを頂いたので、後日妻と引き出物を持ってお礼に伺いました。妻が満足できる式が挙げられたのはIさんのお言葉があっての物ですから、二人で感謝を申し上げました。

やがてお互いに子供が出来たりして連絡は年賀状だけという状況が続きました。でもそろそろ子供も手が離れて来たし、スマホも購入したから連絡取ってみるかな。なんて思っているとコロナ禍です。これが開けたらIさんの家行ってみるか。

二日前、当直明けで帰宅したら、テーブルの上に訃報が届いていました。Iさんはお亡くなりになったとのことです。56歳でした。差出人はスキー場で上から落ちてきた奥様でした。

俺はまだまだこっちで機械いじりしているから、そっちで気長に待っていてください。ご冥福をお祈り申し上げます。

久しぶりに泣きました。





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