2020年11月3日7:59 定刻通りに到着した西部秩父線芦ヶ久保駅に高校山岳部御一行は降り立ちました。
そして、顔合わせ。今回参加の山岳部員は3名、引率はS先生ともう一人の顧問。その、もう一人の顧問について衝撃の事実をS先生より披露されました。
「M先生と言うのだけど、学年は4つ上の方で、高校は俺たちと一緒。しかもワンゲル部だったって。」
!!!!!!! つまりは俺の直接の先輩じゃないか!挨拶ももどかしく、いきなり盛り上がるワンゲルネタ。
ザックはさかいやの先縦者でしたか?いやICIでした。
山行活動記録誌YOKASHIはまだ持っていますか、あると思いますよ。
夏合宿はどこへ?蝶が岳から常念、燕まで。私は唐松から五竜、鹿島槍を経て扇沢。
顧問はO先生?そうそう!
しゃべりこんでいては明日になってしまうので、後ろで二人でゆっくりしゃべってとそう言うフォーメーションを組んでいただきました。
葉はやや赤みが差してきてはいますが、まだまだ紅葉と呼べるところまでは進んでいませんね。
登り出してすぐ、農業ハウスの倒壊現場に来ました。数年前の大雪で倒壊してしまったという事です。観光農園だった名残に看板が残されていました。鉄の梁が曲がっています。雪の重さのすさまじさを物語っています。
舗装路を歩いていますが、急坂なので高度はどんどん稼いでいます。ほら、もうこんなに登ってきちゃったよ。武甲山は残念、山頂が雲の中。あれがかつては海底で、しかも立ち上がって隆起したというのですから驚きです。
舗装路の終点で一休みしたらいよいよ本格的な登山道を歩きます。枝打ちがされた針葉樹林帯行きます。
途中でこんなものを発見。大日如来の横には弘化2と読めます。調べてみたら1846年に相当するようです。右の仏像は安永と読めそうです。とすると1772年から1781年ということになります。
S先生、この道は江戸時代にもう使われていたと講義。そう考えて歩くとまた歴史のロマンを感じます。もちろん当時はレジャーなどではなく、生産や商売などの為に大きな荷物を背負っていたことでしょう。あるいは馬も活躍していたでしょうか。
さあ、急坂に来ましたよ。
「よし、いくぞ。とつげーき!」
S先生の掛け声とともに走り出す部員。S先生も走ります。なにくそ、俺だって。
勢いよく走り、差を詰めていきますが追いつく前に足を滑らせて転んでしまいました。残念、そして高校生の若さに脱帽です。
登ってきた道を振り返ればこの急傾斜!
舗装林道を横切ります。この道は山のmochiさんと一緒に走った道ですね。
さらに上の舗装路ではその道に沿って歩きます。ここまで登ってくると紅葉がずいぶんと進んでいることを感じます。
もう落ち切ってしまったかのような場所さえありました。レッドカーペットを歩いているようです。
赤いトンネルもありましたよ。
県民の森で一休みしたら、いよいよ最後の登りにかかります。いつになく元気のS先生。気温が低くて体が楽ということですが、それ以上にコロナ禍で「飲み」が激減したことが良い作用をしているのでしょう。
そして、10:35丸山登頂です。
寒さを感じたので、防寒着を出して着ました。
昼はうどんです。この山岳部伝統の献立で、まずは関西風出汁うどん、次にカレー粉を入れてカレーうどんにして食べるのが定番の食べ方です。
食べているうちに空が開けてきましたよ。これは眺望期待できるかな?
食べ終わってから展望台に登りました。残念なことにガスは抜けきらず、そこそこの眺望しか与えてもらえませんでした。
S先生より部員へ靴紐をしっかりと締めるように指示が入り、12:00、山頂を後にしました。
落ち葉を踏みしめながらしっかりと歩いて行きます。朝まで降っていた雨のせいでしょう、かなり滑りやすく、注意が必要です。
パラグライダーの離陸場へ来ました。今日は誰も飛んでいませんでした。風が弱すぎたのでしょうね。モノレールなどもなく、用具一式をここまで担ぎ上げるのでしょう。
12:28、大野峠到着。ここからの下りは結構険しい印象がありますが、今日はどうでしょうか。雨で沢が増水しているのいけません。
昨年の台風で荒れてしまった部分があちらこちらに見ることができました。威力のすさまじさを肌で感じました。
ここは橋がありますが、流されてしまっているところもありました。
カニがいました。沢のカニって、幼体の時にはどこで過ごしているのでしょうか?不思議です。
これは酷い。土石流になって登山道を埋めてしまっています。
国道を走る車やモーターサイクルの音が聞こえてきました。なんだかとても残念な気分です。もっともっと歩いていたいなあ。13:30、走る車も見えるところまで来ました。
あれ、養蜂やっているな。
ここではちみつを販売していました。まさに、あの巣箱で採れたはちみつだそうです。このはちみつについては3日のブログへしたためましたが、とにかくものすごく香りが良く、味もしつこい甘さではなく上品でさわやか、おいしいはちみつだったのでパーティー全員が購入してしまいました。
後は舗装路を歩いて赤谷へ降り、R299を芦ヶ久保まで歩いて、解散です。芦ヶ久保到着は14時丁度くらいだったでしょうか。解散式を行い、私は第2駐車場へ行きました。14:16分の電車ギリギリまでS先生は私の愛車の所にいて別れを惜しんでくれました。
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そして、顔合わせ。今回参加の山岳部員は3名、引率はS先生ともう一人の顧問。その、もう一人の顧問について衝撃の事実をS先生より披露されました。
「M先生と言うのだけど、学年は4つ上の方で、高校は俺たちと一緒。しかもワンゲル部だったって。」
!!!!!!! つまりは俺の直接の先輩じゃないか!挨拶ももどかしく、いきなり盛り上がるワンゲルネタ。
ザックはさかいやの先縦者でしたか?いやICIでした。
山行活動記録誌YOKASHIはまだ持っていますか、あると思いますよ。
夏合宿はどこへ?蝶が岳から常念、燕まで。私は唐松から五竜、鹿島槍を経て扇沢。
顧問はO先生?そうそう!
しゃべりこんでいては明日になってしまうので、後ろで二人でゆっくりしゃべってとそう言うフォーメーションを組んでいただきました。
葉はやや赤みが差してきてはいますが、まだまだ紅葉と呼べるところまでは進んでいませんね。
登り出してすぐ、農業ハウスの倒壊現場に来ました。数年前の大雪で倒壊してしまったという事です。観光農園だった名残に看板が残されていました。鉄の梁が曲がっています。雪の重さのすさまじさを物語っています。
舗装路を歩いていますが、急坂なので高度はどんどん稼いでいます。ほら、もうこんなに登ってきちゃったよ。武甲山は残念、山頂が雲の中。あれがかつては海底で、しかも立ち上がって隆起したというのですから驚きです。
舗装路の終点で一休みしたらいよいよ本格的な登山道を歩きます。枝打ちがされた針葉樹林帯行きます。
途中でこんなものを発見。大日如来の横には弘化2と読めます。調べてみたら1846年に相当するようです。右の仏像は安永と読めそうです。とすると1772年から1781年ということになります。
S先生、この道は江戸時代にもう使われていたと講義。そう考えて歩くとまた歴史のロマンを感じます。もちろん当時はレジャーなどではなく、生産や商売などの為に大きな荷物を背負っていたことでしょう。あるいは馬も活躍していたでしょうか。
さあ、急坂に来ましたよ。
「よし、いくぞ。とつげーき!」
S先生の掛け声とともに走り出す部員。S先生も走ります。なにくそ、俺だって。
勢いよく走り、差を詰めていきますが追いつく前に足を滑らせて転んでしまいました。残念、そして高校生の若さに脱帽です。
登ってきた道を振り返ればこの急傾斜!
舗装林道を横切ります。この道は山のmochiさんと一緒に走った道ですね。
さらに上の舗装路ではその道に沿って歩きます。ここまで登ってくると紅葉がずいぶんと進んでいることを感じます。
もう落ち切ってしまったかのような場所さえありました。レッドカーペットを歩いているようです。
赤いトンネルもありましたよ。
県民の森で一休みしたら、いよいよ最後の登りにかかります。いつになく元気のS先生。気温が低くて体が楽ということですが、それ以上にコロナ禍で「飲み」が激減したことが良い作用をしているのでしょう。
そして、10:35丸山登頂です。
寒さを感じたので、防寒着を出して着ました。
昼はうどんです。この山岳部伝統の献立で、まずは関西風出汁うどん、次にカレー粉を入れてカレーうどんにして食べるのが定番の食べ方です。
食べているうちに空が開けてきましたよ。これは眺望期待できるかな?
食べ終わってから展望台に登りました。残念なことにガスは抜けきらず、そこそこの眺望しか与えてもらえませんでした。
S先生より部員へ靴紐をしっかりと締めるように指示が入り、12:00、山頂を後にしました。
落ち葉を踏みしめながらしっかりと歩いて行きます。朝まで降っていた雨のせいでしょう、かなり滑りやすく、注意が必要です。
パラグライダーの離陸場へ来ました。今日は誰も飛んでいませんでした。風が弱すぎたのでしょうね。モノレールなどもなく、用具一式をここまで担ぎ上げるのでしょう。
12:28、大野峠到着。ここからの下りは結構険しい印象がありますが、今日はどうでしょうか。雨で沢が増水しているのいけません。
昨年の台風で荒れてしまった部分があちらこちらに見ることができました。威力のすさまじさを肌で感じました。
ここは橋がありますが、流されてしまっているところもありました。
カニがいました。沢のカニって、幼体の時にはどこで過ごしているのでしょうか?不思議です。
これは酷い。土石流になって登山道を埋めてしまっています。
国道を走る車やモーターサイクルの音が聞こえてきました。なんだかとても残念な気分です。もっともっと歩いていたいなあ。13:30、走る車も見えるところまで来ました。
あれ、養蜂やっているな。
ここではちみつを販売していました。まさに、あの巣箱で採れたはちみつだそうです。このはちみつについては3日のブログへしたためましたが、とにかくものすごく香りが良く、味もしつこい甘さではなく上品でさわやか、おいしいはちみつだったのでパーティー全員が購入してしまいました。
後は舗装路を歩いて赤谷へ降り、R299を芦ヶ久保まで歩いて、解散です。芦ヶ久保到着は14時丁度くらいだったでしょうか。解散式を行い、私は第2駐車場へ行きました。14:16分の電車ギリギリまでS先生は私の愛車の所にいて別れを惜しんでくれました。
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