三毛ジャガーの物欲日記

オートバイ、自転車、登山、カヌーカヤック、スキーなどアウトドアレジャーを楽しんでいます。物欲にまみれていて欲しい物は買う、戴く、無い物が欲しければ作ってでも手に入れております。

2019年01月

山のmochiさん、九太郎さん、Nさん、そして私。

この4人で巡る早春ツアーですが、3つの原案を用意いたしました。参加者の皆様、公平を期すために「内緒」にチェックを入れてご投票ください。私は投票いたしませんが、万が一3人3様だった場合にのみ、投票させていただき、決定したい思います。

A案 笠森観音からB級スポット巡り、そして波乗り道路の房総半島北側ぐるっとツアー。

B案 東京湾観音から久十九谷、もみじラインの走りを楽しんだら金谷で海を見ながらシーフード、そして東京湾フェリーで海の旅を楽しみ、久里浜から首都高速で帰る東京湾ぐるっとツアー。

C案 富津館山道を富浦まで乗り、千倉潮風王国、菜の花咲くフラワーラインとグリーンラインの走りを楽しみ、赤山地下壕の探検、渚の駅たてやまで海鮮を堪能、崖観音を見学したら海岸線を北上して保田小学校、房総半島先っちょ春を感じるツアー。

A案詳細 

集合0800幕張PA=(貝塚周辺渋滞加味)26.8㎞=0845市原ICーR297-米沢交差点左ーR409-市原ICから20㎞-0920笠森観音、見学1000発ー県道171-R297(ワインディングあり)ーR465ー県道151-笠森観音から23㎞-1045いすみ市ポッポの丘、見学1130発ーR465ー山田交差点直進、県道174ー県道273ーポッポの丘から20㎞ー1200御宿、地魚料理つきじ(昼食)1300発ー2.5㎞-1305レトロぶーぶ館、見学1345発ーR128外房黒潮ライン北上ー県道30号九十九里ビーチラインー九十九里有料道路、終点片貝までーレトロぶーぶ館から45㎞ー1515海の駅九十九里(お土産、いわし見学など)1545発ー少し戻って九十九里有料道路ー東金九十九里道路ーR126-東金IC =千葉東金道路=京葉道路=海の駅九十九里から48㎞=1700幕張PA=流れ解散

ポッポの丘、レトロぶーぶ館は私は行ったことはないので、一度は行きたいところです。その時代の鉄道、車のお詳しい方と行くと面白さ倍増でしょう。

B案詳細

集合0800幕張PA=(貝塚周辺渋滞加味)=市原SA8給油可能=幕張から53.5㎞=0900君津ICー県道92号ーR127-R465-観音下ー君津から13㎞-0930東京湾観音、見学1030発ーR465-県道182”もみじライン”ー県道34”長狭街道”ー東京湾観音から30㎞-1115道の駅保田1145発ー1200TheFish(昼食)1300発ーすぐ隣ー1340発の浜金谷港から東京湾フェリー乗船、750㏄以下自動2輪料金運転手込みー1,940円~~久里浜14時30発ー県道121-R134-久里浜から6㎞佐原IC=82.7㎞=四つ木IC 1630流れ解散

東京湾フェリーがお楽しみの一つになっています。首都高が混む前にあがるのが良いと思われるので、そこそこで引き上げてしまいますが午前中の走りは他のプランに負けない濃さだと思います。

C案詳細

集合0800幕張PA=(貝塚周辺渋滞加味)=市原SA給油可能=幕張PAから89.4㎞=0930富浦ICーR127-R128-R410(フラワーライン)-県道251-富浦ICから25㎞-1015千倉潮風王国1030発-グリーンライン入り口、グリーンライン経由ー潮風王国から16㎞ー1115赤山地下壕、見学1200発ー1.6㎞-1205渚の駅たてやま(昼食)1300発-1315崖観音、見学1400発ーR127-県道34号”長狭街道”-崖観音から22㎞ー1445保田小学校1515発ー保田IC=市原SA給油可能=京葉道路=保田ICから78㎞=(渋滞加味)1700幕張PA=流れ解散

赤山地下壕、崖観音が観光のハイライトです。高速走行がやや長いので、帰りには少し減らしてみました。


参加予定の皆様、内緒にしてコメント欄に案をお書きください。締め切りは2月2日20時にさせていただきます。よろしくお願い致します。

スズキ歴史館を1,2階とみてきましたが、いよいよ3階にあがります。これからが本当の歴史の学習になります。

スズキがかつての名称が鈴木自動車工業、そしてその前はスズキ式織機製作所だったことは皆様ご存知だと思いますが、どんな織機を製造していたのかまでは私は知りませんでした。

歴史館では当時のそれが展示されていました。
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早速、改良自動織機へ入って見ましょう。
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こちらが伝統的な人力の織機です。機織り器(はたおりき)、と言った方が正確ですね。
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鏡像の方がスズキの創業者、鈴木道雄です。創意の人、とされています。どんな創意があったのでしょう。
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とにかく機械の大きさに驚きます。
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スズキ織機の工夫はこの部分、杼を複数持ち、自動で選択して横柄を入れて行けるのだそうです。なるほど、こうやって格子柄を織り上げていくのか、と思わずうなる工夫です。パターンは穴の開いたカードを使って自在に変えることができるのです。これが全て機械式ですから確かに、創意の人ですね。しかも鈴木式はカードの節約もできる工夫がされているのだとか。その他数多くの工夫で特許を多く保持していたのだとか。
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自動織機で財を成した鈴木道雄ですが、飽和する業界に不安を抱き、次に手を伸ばしたのは自転車補助エンジンです。これがその最初のパワーフリー号です。ホンダとの共通点をここに見出せますね。
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自転車補助エンジンが好評だった上、世の中の自動2輪ブームに乗っていよいよモーターサイクルを製造します。それがこれ、コレダです。スピードメーターがヘッドライトについていました。熱でメーターが故障したりしないのでしょうか?
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コレダで富士登山レースに優勝、200社以上もあったとされる群雄割拠時代、一気にメジャーなブランドに躍り出ました。
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モーターサイクルで成功を収めたら、次は4輪に手を出します。スズライトです。スズキ歴史館では「初の軽4輪」とされていますが、本当はごくわずかながらも日本軽自動車のNJ号/ニッケイタローや、住江製作所のフライングフェザーなどの挑戦があったことを私たちは知っています。
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ガラスの反射があって分かりにくいと思いますが、全長3m未満の中にこれだけのスペースを確保できるのはFFだからこそでしょう。荷室にスペアタイヤがあるのは残念ですね。もう一工夫欲しかったところです。以前にも書きましたが、モータージャーナリストの三本和彦さんは「外装を見て、室内を見て、路上を走って、その素晴らしさに軽自動車の未来を感じた。スズキの技術者をいい車を作りました、と褒めたたえに行こうとUターンさせたら、最小回転半径が10mくらいもあり大回りしかできなかった、こんな車運転が面倒だから絶対買うもんか、と思った。」と棒自動車番組内で行っていましたっけね。
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三本さんにけなされたスズキのFFですが、それでも当時としては極めて画期的な技術だったことは疑いようのない事実です。軽自動車用の部品が世の中になかったし、等速ジョイントも1から開発、製造したのだそうです。「まずは良い物を市場に出したい。」というスズキの技術者の魂が込められた製品だったのです。言ってしまえば乗っただけで講評しているジャーナリストですから、何を言われても「じゃあ、お前作ってみろよ。」と心の中で思っていたのでしょうね。

下の写真は後ろから。きれいなカーブを描いて作られていますね。数年しか違わないニッケイタローやフライングフェザーがブリキ細工のような姿であったことを思うと驚くべき完成度です。

この展示はボタンを押すと解説が流れます。まずは開発の現場から。そう、下の写真は開発しているところを模した展示なのです。そして開発が終了すると驚きの展開が!円形の展示スペースが車両を乗せたまま反転、もう一台のスズライトが出てくるのです。こちらは最初の1台が納車されるシーンだそうです。浜松市内の開業医だったと資料に残っているのだとか。これ以外にもスズライトは展示されていて、今や希少文化財のはずなのになんでこんなにあるんだろう、もしかして大量に売れ残っていたのか?なんて思ってしまいました。
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スズライトは初期の段階でバリエーションとしてバンやボンネットトラックが併売されていました。この時代にすでにキャリイの名前が使われていることにもびっくりですね。
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こちらはアサヒビールの小売店用の車両です。アサヒビールの推薦車となっています。こんな風景は日本のあちこちで見られたことでしょう。後ろの画面に当時の風景が映し出され、しばらく見入ってしまいました。
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スズライトのサスはダブルウィッシュボーンでしょうか。当時の軽としては非常に贅沢なつくりだと思われます。私の2代目の所有車、ハイラックスは1989年式にもかかわらずリアは当然、フロントでさえリジッドリーフでしたよ。
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室内です。細いステアリングウィール、鉄板むき出しのインパネ、そしてちょこんとついたメーター。懐かしさを感じますね。フロントタイヤハウスが右足の置く場所を奪ってしまいますが、その後キャブオーバーになり消失、時代が進んで衝突安全性の観点からバンはふたたび前輪が前進し、同じように戻りましたね。
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ご町内の皆様へ
マイカーを購入いたしました。ブロック塀の穴から見てください

覗くと、モニター画面があって映像が流れています。
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ブロック塀の反対側に回るとこうなっています。コークボトルラインのフロンテ!いきなりリアエンジンになってある意味退化したのですが、やはり等速ジョイントに良い物が安く手に入らなかったのでしょう。私の記憶にあるスズキ車はここからです。近所で乗っている方がいらっしゃいました。
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2Stフロンテには800㏄という小型車も存在していました。本で見たことはありましたが、実車を見るのは初めてです。どこか初代サニーにも通じるマスクですが、こちらのほうがややバタ臭い感じがしますね。
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コークボトルラインフロンテはイタリアアウトストラーダで、ミラノ―ナポリ746.9㎞を平均速度122.44㎞で走り抜けたことが広告に使われていましたね。私のCB250Fでも正直、かなりきつい記録だと思います。
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初代ジムニー、LJ10も展示されていました。空冷2st幌トップのみという割り切った商品でした。ホープスターON型の製造権利を鈴木修社長が独断で買ってきて、車内で大批判を浴びます。社員からもしそんな車が売れたなら社内を提灯行列で歩いてやるまで言われたそうですが、本当に歩いたのかな?これがヒットするのはご承知の通り。
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フロンテクーペ。私の隣の家の兄ちゃんが乗っていました。リアシートの狭さは強烈ですが、走りは660㏄にも負けないとか。
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この車、大阪万博で使われた電気自動車だそうです。キャリイバンはリアゲートもフロントと同じくらいスラントさせているので荷物の積載量は減ってしまうでしょうが、デザインにこだわったのでしょう。リアゲートを開けた時に後ろに飛び出す量が少ないというメリットもあると言えばあるのですが、開いてもスペースがなければ降ろせませんからね。
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記憶に新しい初代アルト47万円。比べてみようのコーナーに私の最初の愛車、トヨタスターレットKP61が使われていて82万3千円とあります。このアルトは数回乗ったことがあります。一番初めは合宿免許の教習中、大型の取得で来ていた方がこれに乗ってきていて、コース内を覚えるために自転車で走っていたら、どうせなら車で走ろう、俺の車運転していいよ、と声をかけてくださり、ありがたく運転させてもらいました。おかげさまで教習車以外の車を初めて運転したのがこの車になりました。
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ウインドウ―ウォッシャーのポンプが手動など、コストダウンの並々ならぬ努力に驚いたものです。オーナーは渋いでしょう、これ以上安く作るのはほぼ不可能だよね、と自慢げに言っていました。教習車のローレルよりハンドルの手ごたえがはっきりしていて運転しやすかったのを覚えています。ただ、シフトがどこに入っているのかはっきりしない傾向があり、2速から上に上げるのは怖かったですね。

その他には親戚の本屋の配達を手伝う時にそこのお車がこれで、それは電動ミラーなどが付いているハイグレード車でした。

2輪を忘れてはいけませんね。でもこれ、なんだっけ。
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マン島レース50㏄の部に出て優勝した車両です。50㏄で2気筒、まさに時計並みの精密なエンジンでした。その後3気筒にまで進化するようですが、1気筒辺り16㏄程しかなく、ラジコンエンジンのようです。トランスミッションも9速もあったとか。
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私は知らない時代ですが、ファントムさん世代の名機、T20がこれですね。 
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そしてスズキの大排気量2stといえばこれ、GT750” ウォーターバッファロー”です。高校生の時にモーターサイクリストの読者の旅日記に、この車両の相方と旅する若者の投稿が掲載され、そんな車もあったのかと認識をしました。しかし後から実は大好きな仮面ライダーV3風見志郎の人間体で乗る憧れのモーターサイクルがこのGT750 だったことを知りました。今思えばずいぶんと大排気量の重たい車両でアクションシーンを撮影したものです。ハリケーン号はWikiで調べたところTM250だそうで、「普通のオートバイが変身するとかっこよくなる。」と思っていましたが、実際にはアクション用のハリケーン号のほうが安価で、変身前の見せびらかし車両がこっちだったのですね。車両の人間体見せびらかしはスーパーワンで最高潮、ハーレーが使われていましたがさすがに私自体は仮面ライダーという年ではなくなっていたからなあ。
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ダブルツーリーディングドラムブレーキは効きは良いそうですが、なにしろ調整の手間が大変。なのでマイナーチェンジでディスクブレーキに変更になります。なぜその事実が忘れられたのでしょうか、ST400テンプターで再びやらかします。どんなに見かけが良くても、手間がかかる機械はねえ。
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3気筒なので当然3本出しエキパイ。ですが、後ろから見ると4本あります。真ん中の排気管を二つに分けて4本出しにしてあるのです。後にホンダがMVXで3気筒なのに4本マフラーになるオプションを発売しますが、こちらが元祖かな?もっともあちらはマフラー型小物入れですが。
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2stのスズキが4stに乗り出してきます。その頃の車両がこのGS400です。
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ロータリーエンジン搭載の変わり種、RE-5もありました。
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イグニッションキーをONにするとパカッとメーターカバーが開く不思議な構造です。ロータリーの先進イメージを意識したデザインだったのでしょう。
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しかし、マツダ四十七士の話を知っている私たちは単なる変わり種と思ってはいけないことも知っています。これを市販レベルまで持ってくる苦労がどれほどの物だったか、マツダと違って語られることもないので知る由もありませんが相当なものだったことでしょう。
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空冷ハスラー50もありました!でも、私の所有していた物とは形が違います。展示はもっと古いものですね。
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マメタン50。これ、近所の高校の生徒が学校に乗ってきて、その辺に隠して停めていましたね。何か不良の匂いがするのはそいつらのせいでしょう。
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GT380は以前SAで出会ったことがありましたね。バンバン125も昔は良く放置されていたものです。
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ターボチャージドエンジン搭載、XN-85も実車を初めて見ました。
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ずらり並んだスズキの歴史。これを一台一台見ていくだけで食事が3回できます。
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カバルケイド!雑誌でしか見たことがありませんでした。当時のスズキのフラッグシップですが、ホンダのゴールドウィングと比べてしまえないほどマイナー車種でしょう。このデカさ、脚が踏ん張れずに倒してしまいそうですが、倒すと引き起こしも困難でしょうね。
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RG250Γ。これに乗っていたという友人知人が数名居ります。衝撃でしたね、発売当時。アルミフレームにセパレートハンドル、フルカウルと来たものです。モーターサイクリスト誌やオートバイ誌で大きな特集が組まれていましたね。
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Γの向こうはイントルーダー。こんな色のもあったのですね。
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そして、GSX-R750。モーターサイクリスト誌の試乗記事で、A級ライセンス 保持者の宮崎氏が「僕が乗っても危ない特性だなあ、と思う時もあるほど過激。」というようなことが書かれていました。
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そして九太郎さんが泣いて喜ぶであろうこれ!
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スズキにとって特別な車両なのでしょう、チョイノリが中央に展示されていました。中国で作れば安いのが常識、でもそれ、みんなやっているよね。他と同じ物は作らない、やるなら一位を目指すという社風が作り出したのが、「国産なのに一番安い」これでした。

説明を読むと、コストダウンのためにむしろ値の張るメッキシリンダーを採用するなど様々な工夫を凝らしてあの価格を実現したのだとか。会社の同僚が乗っていましたが、
「メットインもないから篭も付けなければいけなかったし、ヘルメットホルダーも必要になるし、ミラーも左はオプション。全部付けたら結局同じくらいの値段になっちゃった。」
はここでは内緒。
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GR650テンプター。友人が所有していてタンデムシートには何回も乗せてもらいました。これのフォークオイル交換に失敗して電話がかかってきた話は以前書きましたね。
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九太郎さんが泣いて喜ぶ2。
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実は私、これが当時とてもかっこよく思えていた口なのです。朱色のフレームがなんともイカしています。
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DR-800Sです。パリダカモデルのDR-Z(ジータ)がかっこよくてね。当時大型自動二輪免許があって脚がもっと長ければ買ったのになあ。
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珍車、GAGもありました。これのGSX-Rカラーの物に大学の学友が乗っていました。しかしこれだけあって、私初のエンジン付き愛車、ジェンマ50がないのは残念ですね。
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あっという間に2時間半近くが過ぎ、到底時間が足りません。もう一度行きたいくらいです。スズキの車両は若い頃に2台所有していただけですが、そのモノづくりの精神に感化され、今一度乗ってみたくなりました。ヤマハ、本田宗一郎と観た中で、ダントツのおすすめがこのスズキ歴史館であることは間違いないです。

  • 東京タワーインパルスカッコいいですよねー。
    チョイノリはカムの材質が悪くて(一説によるとプラスチック)すぐに削れてダメになるそうです。カムの交換だけで直るチョイノリがゴロゴロあるとか。 削除
    九太郎 ]
    2019/1/30(水) 午前 0:31
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    > 九太郎さん
    チョイノリのカムは初期型はプラスチック製、後期型は金属へ置換されているそうです。オイルポンプのない飛沫式、リアサスのないリジッド、種類さえ入れるところがない車体。これで日本一周という強者もいるそうです。 削除
    2019/1/30(水) 午前 6:52
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  • 後期型で金属製になったんですね。そりゃそうですよね。
    知らなかった。 削除
    九太郎 ]
    2019/1/30(水) 午前 7:47
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    > 九太郎さん
    さすがにね。なぜ最初から金属カムを使わなかったのでしょうね。もしかして、当初は10万台も売れるとは思わず、スケールメリットがそれほどないと思っていたのかもしれませんね。カムシャフトは高価ですからね。 削除
    2019/1/30(水) 午後 2:02
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    RG250Eで六甲を走り回ってました。懐かしいデス。RZやガンマの登場は衝撃的でした! 削除
    2019/1/30(水) 午後 2:43
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    > ぶーぶーさん
    うゎお!青春していましたね。ぶーぶーさん関西にもいらしたんですね。 削除
    2019/1/30(水) 午後 4:57
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    懐かしいですね(笑)
    初の原付はスズキのミニタンでした、メチャレア???
    次がGS?GSX?250E・・
    友人の刀の1100スタイルに憧れてました凹
    車はアルバイトで2ストのピストン交換ぐらいしか記憶に無いですが・・・
    職場に有ったセルボが・・・
    マニュアルで面白い、楽しい車でしたね(爆)
    高校時代GT750や同僚のGT550など憧れでした
    定時制高校でしたので・・・
    やたらバイク乗りや族ポイ同級生が多かったな(爆) 削除
    2019/1/31(木) 午後 10:03
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    > じじくんさん
    苦学されていたんですね。たくさんおスズキの思い出をありがとうございます。かつては若者のバイク乗りは普通でしたけど、今では希少種らしいですね。寂しさを感じます。 削除
    2019/2/1(金) 午前 11:06
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皆様もご一緒に、本日も歴史を学びましょう。
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まずは受付です。予約番号を伝え、説明を受けます。後は自由に館内を見学できます。

おお、現行型スイフトスポーツ!ですが、私の身近に2人も所有者がいるのでパスしましょう。
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GSX-R1000!
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自由に跨ることができます。跨るだけでも緊張を強いるようなオーラに満ち溢れています。
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ブレンボのラジアルマウントキャリパーもすごいけど、何よりすごいと思ったのはフロンドアクスルの固定台座です。こんな物までデザインされているのですね。
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カタナ1100も跨ることができます。その向こうのはいいと言えばよいのでしょうが、大人はダメっぽいですね。
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このメーターがしびれますね。常人では思いつかないデザインでしょう。
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さすがに舘ひろしには似ていませんが、イケメンなおじさまが乗っていました。ポジションは結構きつく、ハンドルがかなり遠く感じました。旅先でよく出会いますが、カタナでツーリングは半日程度ならともかく、長時間では結構きついかもしれません。
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スズキも船外機では大きなシェアを持ち、全世界15%だとか。何かの拍子に金持ちになったら買おうかな。しかしこれ、とんでもないサイズです。天井に付きそうな大きさで、排気量4.4ℓV6 350馬力とスズキは車ではこのサイズ作っていないですよね。スクリューは2重反転式だそうです。4輪では庶民派ぶっているスズキも実はブルジョア御用達の側面を持っているようで、何か寂しさを感じます。
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ジクサーも飾られていますよ、S君!
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2016年、イギリスグランプリでビニャーレスが優勝した時のGSX-RRが展示されていました。
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ハイブリッドシステムの解説展示ですが、シャシーに光るケーブルなどを使って分かりやすい展示になっていました。
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発売間もないジムニーは大人気、乗り込むのに並ぶ必要があるほどで諦めて次へ行きました。空冷2St360㏄時代の車体とは隔世を感じます。
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1回だけでも実はまだまだ面白いのですが、とりあえず2階に行きましょう。2階では車の開発、製造が学べるようになっているのです。この階段にはスズキの歴史が刻まれています。この階段だけでもじっくり見ると相当な時間を使ってしまいます。覚悟の上登ってください。
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製品の開発するに当たって、コンセプトをまとめる会議が行われているのですが、2004年3月の会議に何と!私も参加させてもらえるのです。
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開発のコンセプトを聴いているとどうやらスプラッシュを開発しているようです。車の形が具体的になってきたら、手前の板が後ろにずれてそこへ3Dで車が映し出されます。

次のコーナーへ行くと、デザイナーが作業しています。ここでどんな作業をしているのかも見ることができます。
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3Dプリンターなどを使って実物大の模型を作り、細部を練り込んでいくようです。
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クレイモデルです。半分だけ作り、向こう側は鏡を利用してあるように見えるようにして全体の感じをつかむのだそうです。
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横から見るとこんな具合です。
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クレイモデルを作る道具類の展示です。
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なんと!エンジンさえもデザインしていたのですね。必然の形ばかりではないとは思ていましたが、クレイモデルを作って検討までしていたとは驚きました。水冷なのに冷却フィンを付けたりと凝ったデザインのエンジンもありますが、そこには並々ならぬデザイナーたちの熱意が込められていることを感じました。
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スクーターはシート下スペースも模型で検討しているとのこと。
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驚いたのはこれ、クレイモデルを自動で3次元データ化していたのです。クレイモデルはな半分しかありませんが、残りは自動で生成して左右対称にするのだとか。
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そして、データをもとに色を変えて街中などその車の活躍する阿面で良く映え、そして浮かないような色を選んでいきます。思い付きで色を決めているわけではないのですね。線データを選ぶと写真ではなくデータであることがよくわかります。
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インテリアのカラーもたくさんの色を、実際の樹脂につけた状態で確認しています。そこまでじっくり車って見たことなかったなあ。反省です。
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シャシーの進化を説明しています。だんだんシンプルに、そして衝突安全性能が高くなって来ていることが分かりました。
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試作品ができたら、徹底的に試験をします。これがスズキの場合問題になりましたね。燃費偽装問題です。ただし、スズキの場合風の強いテストコースだったので正確な数字が出せなかったので計算で出した、正規の方法で測定したらかえって数値が向上した、など同情の余地はあるのですが、やはり倫理的には良いことではないですね。企業価値を下げた一件だったと思います。
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燃料電池バーグマンです。上手にスクーターの車体に詰め込んだとは思いますが、相当高価な車両になってしまいます。
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キザシが展示されていました。商業的には成功したとはいえないでしょうが、スズキのリーダーカーとしての役割を担った車であることには間違いないでしょう。パトカーでの採用例が多いので気を付けた方が良いという噂もありますが。
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これは懐かしい、NUDAですね。大学生になり、友人に誘われて初めて行った東京モーターショーで披露されていました。バンクさせるとシートが内側にスイングするというギミックが付き、デザインも超前衛的、しびれましたね。もっとも一緒に行ったライダーでもある友人に言わせると、「あんなポジションでは街中走れないよ。荷物だってどこ積むのさ。なんか高そうだし。あのまま販売されても絶対買わない。」でしたけどね。残念ながら写真だけでした。
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こちらのショーモデルは実車が置いてありました。e-SURVIVOR(イー・サバイバー)です。展示を盛り上げるストラクチャー付きと気合入っています。
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エンジンの製造過程の展示です。鋳造、鍛造等で作られていく様が段階を追って展示されています。解説も親切丁寧で分かりやすいと思います。
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ん、館内アナウンスが流れてきましたよ。
「3Dシアターにおきまして、、、、、。」
せっかくだら観ておくかな。
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3D映画を見て驚きました。内容はスズキがいかに優れた車を作っているかを宣伝しているのかと思ったらまるで違いました。車の製造過程のうち、プレスや塗装などの行程など、見学不能な箇所を紹介する映像が主体でした。しかも、部材や車体に3Dカメラをつけた状態で入れて、あたかも自分がプレスされたり塗装されたり、しかも塗料を吹き付けられるシーンでは3Dなので自分の顔面に飛沫が飛んでくるのはもちろん、バーチャルリアリティとして霧が吹きつけられる演出まであり、観客席から悲鳴が上がります。紹介してくれるのはスズキ坊や、彼は命がけで(本当)車の製造過程に潜り込みます。これは観ないと来た意味がないと言えるくらいの出来です。聞けば地元の小学校の社会科見学コースになっているとのこと。大人が観ても十分に楽しめます。

3D映画の最後、組み立て工程についての説明があります。それは、ここから先の展示を見てください、でした。

何とびっくり、本物の組み立てロボットが作業をしているのです。
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これはドアを運んで所定の位置まで持って行くロボットです。
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ラインも実物大の模型というか、本物のロボットを偽物の人間が使って組み立てています。
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車が流れてくるシーンはなかなか面白いですよ。
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タッチ画面でスズキに関するデータが検索できます。スズキバイクの日本での生産は全体の生産量の1割にも満たない部分でしかありません。でも、フラッグシップとなるような大型車は日本で生産しているようですから、金額の割合ではもっと大きくなるとは思いますけど。やはり寂しさは感じますね。
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グローバル企業らしく生産国の紹介がありました。また、ワールドアドベンチャーという映画ではスズキの生産拠点のある海外の映像がまとめられています。この映画で気になるところがふたつ、ひとつはスズキ坊やが先生から「スズキ君」と呼ばれるところ。ジェンダーフリーの考え方により、現在は小学校でも男女ともにさん付けで呼ぶのが習わしなのです。もう一つは「車が大好き」と紹介されているところです。モーターサイクルは範疇外なのでしょうか?映画の中でも海外で出会うスズキの4輪車には良い反応なのですが、2輪はそれほどでもなかったように記憶しています。
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各国の文化も紹介されています。社会科見学を意識したのでしょう、これだけの予算をかけて社の宣伝に積極的に使わないのは4輪が絶好調で余裕の表れなのでしょうか、それとも社会貢献をしている企業としての宣伝なのでしょうか。
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浜松のものづくりを支えた偉人たちに、鈴木道雄はもちろん、ライバル企業の山葉寅楠が登場。
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さらに本田宗一郎まで!この社の枠組みを越えた浜松愛が素晴らしいですね。
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この展示事情の床には静岡県の地図があり、工場や営業所などが文字で投影されています。
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浜松と言えばオートバイと鰻、その鰻の説明もありました。
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1,2階と駆け足で紹介してきましたが、いよいよ本格的な歴史の勉強の為、3階へ上がります。写真掲載の余裕がもうないので、次のブログにいたします。


  • 世の中には「輪止めマニア」なる人達がおりまして、モーターサイクルショーでは車体そっちのけで「今年は○○社の輪止めが新作だった」とかやってるみたいです。ネタと信じたいのですが。
    拘らないメーカーはターンバックル固定で済ませてるメーカーもあり、その中ではSUZUKIの輪止めはデザインが凝っているので評価が高いです。 削除
    九太郎 ]
    2019/1/29(火) 午後 6:23
    返信する
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    > 九太郎さん
    変態だ、、、、。到底ついていけません。 削除
    2019/1/29(火) 午後 10:49
    返信する

1月13日に立ち寄った、ヤマハコミュニケーションプラザについて記入しておきましょう。

入場は無料で、予約も必要ありません。エントランスを入るとこんな感じになっています。いきなり心拍数が上昇してきますよね。
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YAMAHA2000GT、と書かれているのかと思ったら、やはりTOYOTAになっていました。クラウンのM型エンジンにヤマハがDOHCヘッドを乗せて作った3M型、生産もヤマハだったのでヤマハとしては「うちの車」という意識が強いでしょうね。基本設計はトヨタ、販売ももちろんトヨタでしたけどね。ちなみに、初期型は私と同い年であります。
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この流麗なボディは芸術作品といっても過言ではありません。ただ、リアビューがジャガーに似ているのは内緒。
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レクサスLFA!これもヤマハが噛んでいたんですね。知らなかったです。知っていても知らなくても、どうせ買えないことには変わりはないのですが。V10天使の咆哮が聞ける幸せ者がうらやましい限りです。
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海でヤマハといえば、船外機とボート。カジキ釣りシミュレーターがあります。よし、大物を釣ってくるか。
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竿を立て、リールに手を乗せてカジキが食いついてくるのを待ちます。いや、待つまでもありません。いきなりブルブルっと来ました。軽く引いてフッキング、そしてリールを巻きます。げ、竿が持って行かれるぞ。ものすごい引きです。必死で抵抗してリールを渾身の力で巻き上げますが、暴れて竿が持って行かれないようにするのが精一杯です。命をかけたカジキの抵抗はものすごくなかなか上がりません。そして水面に彼の姿が出ないうちにおしまいになりました。出るも何も、ワイヤーが出ているだけの溝ですから魚が出る隙間ではないのです。
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まあ、こんな感じのですね。結構面白かったですよ。
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これくらいの小さい船なら買えるようになるかな。娘がお金持ちになったりしたらね。
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こんな物まで作っていたんですね。ヤマハはブルジョア御用達ブランドだったのかな?
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ヤマハのアメリカンクルーザーはかっこいいですが、パクリと言われてしまう恐れもありますね。ただ、市場が求めるのはやはりこの形なのかもしれません。
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岩手の義兄はV-MAXが欲しい普通自動二輪免許所持者です。こっちはどこのマネでもない、オリジナルデザインですね。
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ここに来ればその瞬間だけでもオーナー気分です。ホンダの車両で来て、チームスズキのチョッキを着ているのはヤマハの人には内緒。
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48時間以内に海底の地図を作成する競技に参加した、TeamKUROSHIOもヤマハの技術が活躍したとのことです。
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3気筒エンジンのカットモデル。4気筒ほど幅をとらず、2気筒ほど不等間隔ではないのでスムーズで軽量なバランスの良いエンジンになるようです。
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ピストンも展示。食い入るように見つめる人も中に入るのでしょうが、この日に見ているのは私だけでした。時代が進むとピストンの上下高さが減っていくのが分かります。
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この巨大なモーターサイクルは何だ?
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跨ってみましたが、これを押してガレージから出す体力は私にはありません。
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歴史のお勉強は2階にあがってからです。まずはYA-1から。日本楽器製造が初めてつくったモーターサイクルで、ヤマハ発動機が独立して10日目の富士登山レースでいきなり優勝したのだそうです。通称赤とんぼ、今見てもおしゃれな感じがしますね。
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こちらは浅間高原レースに出たレーサー。1955年ですから、さすがに時代を感じます。
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YA-1の次は、YB-1。非常にわかりやすい型式体系になっています。
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R1もYZFがつかない頃は2Stだったのですね。当時ヤマハとしては最大排気量の350㏄で、アルミブロックの白いエンジンとして売り出したそうです。きっと高価だったことでしょう。
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歴史の勉強中
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歴代のレーサーが並んでいます。
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2St500㏄時代のレーサーですね。
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YPVSの文字が懐かしいですね。ヤマハパワーバルブシステムですね。排気のタイミングを回転数に応じて可変させる仕組みです。
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この排気管レイアウトはしびれますね。僅かながらも左右非対称ですね。
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映画、汚れた英雄はこの時代のレーサーで撮影されたと思われます。
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隙間から覗くエンジン。しびれますね。びりびり来ます。
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映画でもこのポジション、このアングルからの走行シーンの撮影がありましたね。
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時代が進むとやはり、かっこよくなってきます。
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最も新しいMOTOGPレース車両にはチームスズキのチョッキを着た草刈正雄が乗っていました。いや違った、そっくりさんだな。冗談はここまでにして、ポジションは案外きつくはなかったです。この姿勢のまま1時間くらいなら走れなくはないなあ。コーナー?俺は曲がったことは嫌いだ。それとスピード狂ではないのであんまり飛ばさないしさ。
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RZ250も、もはや「歴史」の一部になってしまっていますね。
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オフロードもヤマハの得意分野。北極点、南極点へ行った風間深志もヤマハの車両でしたね。いやいや、私だってTDR50 を2台も所有したことがあるのです。(黒歴史)
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ヤマハがエンジンを供給していたF1。
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F1エンジン、OX11Aです。自然吸気V10、これで市販スーパーカーを作ったら、なんて妄想をヤマハの中の人もしていたようです。その妄想はある程度形にはなったのですが、市販まではいかなかったのはご承知の通りですね。
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妄想しながら現実にはトヨタ2T-Gを委託生産していたのです。
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ここにもトヨタ2000GTの3Mエンジンが飾られています。
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3階にはプラザカフェがあり、食事ができます。時間がなかったので立ち寄らず、アンケートだけを提出して退出しました。

ヤマハはブルジョア相手の製品が沢山ラインナップされているのですが、モーターサイクルだけは庶民でも手が届くのでせめてこっちだけでも所有してみようかな。そしてその歴史は初期のころから栄光に輝いていますが、挫折も多かったことを私たちは知っています。これからのヤマハの発展を願いたくなって館を後にしました。

伊豆下田の水仙まつりに行きましょう!という九太郎さんのお誘いに乗っかり、前日に車両整備しました。洗車、ワックスがけ、チェーンは洗浄と給脂、タイヤの空気圧もチェック。そして、これも。
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無くしたインカムリモコンの電池蓋のネジ頭があまりにも大きく重いので、ディスクグラインダーで薄くそぎ落とし、6角の角を丸めてみました。まだちょっと見た目にあれなので、次に暇な時にはきれいにしてみようかと思っております。

荷物をまとめ、車両に積載。各種デバイスの充電完了。衣類をまとめて玄関に置き、ヘルメットのシールドを磨き上げます。よし、明日は下田だ!

そうだ、天気はどうかな?NHKの天気予報の時刻でした。ん?んんんん!雪!
「西日本ではこのように、、、、」
という天気キャスターの身体の影が伊豆半島でした。なんか雨雲がかかっているようでしたが、よく見えません。

各地の天気で、スポット的に雪情報があり、そして伊豆半島では夜半に雨の予報。これではターンパイク~伊豆スカイラインは路面凍結の恐れありだなあ。さらに今年一番の寒気が南下という情報。

これはいかんな。PCを立ち上げ、気象庁にアクセス。あれ、気象庁ではそこまでひどくないなあ。でも天気図を見ると、低圧部が低気圧に昇格、二つ玉となって強い方が南岸を進みます。こりゃだめだ、九太郎さんへメール、そして下田行きを中止にしました。せっかくここまで計画、準備をしてきたのになあ。九太郎さんから、
「朝9時の時点で天気を見て、行けそうなら散歩程度に走ってきませんか。」
とお誘いがありました。

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今朝9時。天気は良い方に外れたっぽいです。ターンパイクのツイッターでは、「雪の予報も出ていましたが降りませんでした。今日はノーマルタイヤで大丈夫です。」
とありました。Too late!仕方がないね、どこ行く?筑波山に登って温泉入って帰ってくるかな。

10時30分過ぎ、九太郎さんが自宅まで来てくれました。よし、行くぞ。

常磐道はやや込み加減、理由はこの荷崩れでした。参ったね、こりゃ。
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でもその区間を過ぎればすいすい走れますよ。
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インカムでおしゃべりしながら走っていたら、谷田部ICで降り損ね、ま、いっか、土浦北まで行っちゃいましょう。

九太郎さん、
「昔、益子行きましたよね。真岡鉄道乗って、ペンタックス博物館観て、写真の撮影してね。あれ楽しかったですよね。また行きたいなあ。」
「そう、だったらさ、筑波山飛ばして益子行こうよ。」
「え、今日という意味ではなくて、また今度でも。」
「いいよいいよ、行っちゃおうよ。行きたいうちにさ。」

昼食はどうする?ゆりの郷を狙っていたけど、だったら真壁のペンギン行こうか。

真壁から県道7号線でペンギンに向かいます。この高架橋は自転車道路、筑波りんりんロードを越えるための物です。元筑波鉄道ですから、自転車道としてはなかなか贅沢ですよね。
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直線は退屈だ。でもこの先に俵ハンバーグが待っているのさ。
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ここだ、着いたよ。12時30分ちょっと前でした。
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荷物もまとめ、インカムと電熱グローブのバッテリーの充電をセット。そして店内へ。
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俵ハンバーグを蒸しています。もうじきだぞ、うひひひひ。
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うまいんだなー、これが。私はレアにしてみました。
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鉄板に押し付けて好みの火加減にしていただきます。
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13時20分、ペンギンを出発します。県道7号を西へ進みます。
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この辺りは道が広くて走りやすかったですね。広々とした風景が広がり、走っていて爽快な気分です。
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大和で水戸線を渡ります。
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長方で50号線に右折します。
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少し走った元岩瀬交差点を左折、県道41号線に入ります。
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軽快に走れるワインディングですが、前を行くアルファードが制限速度-20㎞という遅さでイライラさせられました。でもこの辺りまで走るとようやく普通の走りになってくれて、こちらも心地よい走りができるようになってきました。
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でもコーナーになると追いついちゃうなあ。
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あれ、どっちだ!右だ、右へ行こう。
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とっさの判断が合っていました。なかなかないのですよ、運の悪い私にはこういうこと。
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陶芸メッセの駐車場へ入ります。
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奥の建物で人間国宝の作品を愛でて(正直、高い物と安い物の区別がつかない)から、手前のテントの特価コーナーでお買い物を楽しみました。なんだか寒くなってきたぞ。おかしいな、走っている時には寒さを感じなかったのに、突然寒気が降りてきたかのようです。


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そうだ、トイレに寄っておこう。トイレまで陶器で飾られていますね。でもこっちは故障中、新館の中のトイレをお借りしました。
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トイレから出てきてびっくり、雪が降っています。しかも結構激しく。
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こりゃたまらん、合羽を着込んでとにかく北関東から退散することにしました。高速だと寒いでしょうから、R294バイパスに出て帰ることにしました。

まずは益子の踏切を渡ります。くそ、寒いのに踏み切りに引っかかったぜ。ん、なんだこの音は?そうか、そうだったね。

SLが通過していきました。今度これに乗るっていうプランはどうだい?
いいですね、でも車両を長時間駐車するのはちょっとなあ。また取手から関鉄で来るならありです。
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塙の交差点を左折します。ここを直進すればペンタックス博物館ですね。
「なんか見おぼえありますね。」
その後ペンタックスはHOYAに、そして今はリコーの傘下となってしまいました。博物館はどうなっているのでしょうね。
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再び雪が降ってきました。風も強く、もはや吹雪状態です。
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結構長い時間降ってはいますが、幸い積もる様子はなく、また装備もしっかりしているので寒さ冷たさは感じることなく走ることができました。
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レンズバリアが濡れているので映像的にはナニですが、ようやく雲の切れ端まで来ました。日も照らすようになっています。そろそろ雪も止みそうだ。
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ほら、止んできたよ。青空が広がってきました。黒い雲の下を走り抜けたようです。
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道の駅しもつま横通過。ここは納豆工場があり、見学もできる面白い道の駅なのですが、今日は早く帰りたかったのでパスしてしまいました。
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あれ、インカムに急に雑音が入ってきたよ。故障した?
「いや、マイクのスポンジが飛んで行ってしまって。破けてきていたのですが、ついにという感じです。」
九太郎さん、スヌードにマイクを入れて対処してくれました。雑音はほぼ消失しました。とっさのこの工夫、さすがです。

直線は退屈だ2。
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右にお城を認めます。ここは常総市水害の時に水没したアピタのすぐ東側です。あの時にはここだって水没していたようです。
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お米のサイロを過ぎれば、もうすぐ弟の家の側です。
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気温もだんだん上がってきました。合羽脱ぐ?
いや、このままでいいです。
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ちょっと頭痛がしてきました。疲労かな。というか、実は前日夜に前兆を感じていたので頭痛薬をタンクバッグに忍ばせていたのです。

「ちょっとごめん、コンビニ寄らせて。」
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オンボードカメラを回しっぱなしだったので私の後ろ姿も映っておりました。ただでさえ目立つチョッキを着ているのに、さらにオレンジに再帰反射材のテープが張られた合羽を着ているとこんな感じになるのですね。動画を再生して初めて自分お姿を目にしました。
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買ってきたのは栄養ドリンクです。疲労が頭痛の素ですから、栄養補給と血管の冷却を考えて冷たい飲み物で頭痛薬を流し込みました。
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谷和原ICから常磐高速へ入ります。
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なんていう美しさ!
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利根川を渡ればもう千葉県、北関東とはお別れです。この辺りでもう頭痛は消失しています。快適な走りが楽しめました。
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交差点で九太郎さんと別れ、自宅へ直行しました。散歩程度のはずが気がつけば200㎞を越え、しかも風雪を浴びながらのなかなか中身の濃い一日となりました。今回もまた後の語り草になる旅になりました。

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