今日、息子は新空手K3の試合でした。たまたま公休だったので応援というか、見学というか、息子に動画撮影を頼まれて行きました。その話はまた次回に。
さて、息子の試合が終了してから、妻に電話します。これから一度帰り、車に乗って息子を迎えに再び東京武道館へ行こう、という内容です。どうしても行きたい所があるのです。
会長に挨拶をしたら、自転車に乗ってかっとびます。大汗をかいて家に戻り、汗臭いポロシャツだけ着替えたら、妻と娘を乗せて西へ向かいます。
東京武道館へ着くと丁度そのタイミングで表彰式を終えた息子からの電話が鳴ります。
加平から首都高速へ。東関道、京葉道路と走ります。行先は千葉県がんセンターです。そう、先日入院した叔母さんのご主人をお見舞いに行くのです。
息子のK3が終わるのが17時30分と遅かったのですが、そのおかげか道はあまり混んでいないので、1時間ちょっとで現地到着です。駐車場に車を入れて受付を済ませたら、病室へ向かいました。
個室だったのですが、今は大部屋に移ったようです。部屋へ入ると、車椅子に乗り、後ろ向きに座るおじいさんがいました。名札を探しますが、見当たりません。よく見ると腕に名前が書いてありました。果たして、その方が当人でした。筋肉質で野良仕事や大工仕事が大好きだった方とは思えないほど痩せていました。
顔を見せると、しばらくわかりませんでしたが、やがて
「ああ、わかるよ、三毛さんじゃないか、よく来てくれたね。目が悪くなっちゃって、良く見えなくなっちゃったんだ。」
そして息子、娘、妻を見てとても喜んでくれました。食事が終わったところでした。トレーにはゼリーとお茶が残っていましたが、他の物はすべて食べていました。
今困っていることは、口内炎ができていること、匂いが分からなくなってきていること、何を食べてもみんな同じ味になっちゃうんだ、と言っていました。そして背中が張るというので、タオルをかけて指でさすってやりました。
毎日のように来ていた奥様が突然来なくなってしまった原因は、彼女の入院であることは伝えてあるそうですが、それが長期になることと、ご自分の回復の見込みのない病状が残してくれている余命との兼ね合いがどうなっているのか、まで理解できているかどうかは分かりません。
その辺の八百屋では手に入らないような特別なスイカを作っていて、それを食べきれないほどいただいていたことなどを話すと、とても嬉しそうでした。
「こんなに元気なくなっちゃって、せっかく来てくれたのに何もできないよ。元気になって、いろいろできるようなるから、また来てね。」
妻と息子は泣き出してしまいました。おじさんに見られないように向きを変えさせました。しばらく病室で過ごしてから、病院を出ました。
私の今後の公休を見ると、おそらく家族で行けるのは今日で最後でしょう。学校が忙しくなる娘と息子ももう行くのは難しいかな。これがお別れになってしまう可能性は低くはないと思われます。
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叔母さん夫婦とは、たくさんの思い出があります。息子が1歳の時、餅をついて持ってきてくれました。1歳の誕生日に、1㎏の餅を背負って歩かせると丈夫に育つという風習があるのだそうです。息子は大喜びで担ぎ、風習では子供は転ぶと良いとされているらしいのですが、足腰が強かったのか、背負ったままとっとこ走り回ってしまいました。
スイカやメロンの畑で収穫をさせてもらったり、鶏卵を取るために鶏も飼っていたのでそれに餌をやらせてもらったりと、息子や娘たちにテーマパークのように遊ばせてくれていました。
そして忘れてならないのは、私のエスティマのガレージです。実はあれ、このおじさんと父の弟の叔父さんが組んでくれた物なのです。その他、外構工事もやってくれました。職業は自動車販売会社勤務だったのですが、本当に何でもやる方だったんです。
千葉県がんセンターを出てすぐのところにあるレストランで食事をして帰りました。
試合で疲れていた息子は、ご飯を3杯食べていました。
人生の中で幾度かは経験しますが、見舞え無いのもツライよね。
生き物は一度は通る道ですが、お互い悔いなく過ごせるといいです。
本当につらいお見舞いとなりました。でも、まだまだ私にはやらなければならないことが山積みなのです。今日も区役所へ行ってきました。
身内のご高齢の方をご家族でサポートされているご様子がよく分りました。とても尊いことですし、お子様にはただの言葉ではない何よりの教育です。
他方、世間では、こういう絆がちぎれちぎれになりかけています。
心にしみるコメントをありがとうございます。父とは電話で状況の説明をお聞きになったと思いますが、こんな感じです。子供たちへの教育効果は正直、よくわからないのですが、親族としてできる限りのことをするのは当然のこととして私は考えています。