三毛ジャガーの物欲日記

オートバイ、自転車、登山、カヌーカヤック、スキーなどアウトドアレジャーを楽しんでいます。物欲にまみれていて欲しい物は買う、戴く、無い物が欲しければ作ってでも手に入れております。

2014年02月

ここ数日の事柄をまとめました。分かりにくかったでしょうが、タイトルは大河ドラマ、「風と雲と虹と」へのオマージュです。カテゴリはほとんど意味をなしませんね。
 
まずはリコールから。コジマからリコールを伝えるはがきが来ました。現在使っているTVのACアダプタが過熱の恐れがあるということです。早速日立リコール受付へ電話しますが、全然つながりません。何回かかけ、5日目にようやくつながりました。アダプタ交換は今日の午前に予約を入れました。
 
TVはWooo!UTシリーズです。チューナー部別体式の超薄型テレビです。もともとは両親の為に買ってあげた物でした。部屋のどこに置くのか決められなかったので、色々な設置方法がとれるこれにしたのです。私たちが使っている26インチ液晶と比べると発色がきれいで、サッカーを観たら芝目までわかって感動的でした。しかもハイビジョンで録画ができます。両親の所はアナログのハードディスクビデオ機しかなかったのでこの便利さに驚いていました。
 
しばらくは「いい!」と言っていました。ところが、しばらく経つと、不満の声が上がりました。チューナーは地デジ、BSそれぞれ一つずつのみ、父から録画中に裏番組が観られないから不便だという声が上がったのです。
 
さて、どうする?HDD+DVDデッキ、もしくはBDを買ってあげるか?しかし操作が難しいとか言われて何回も呼ばれるのもナニです。それならいっそ、このTVを私たちのリビングへ移し、もう一台買ってあげるかということになりました。あんまり人が言わないから自分で言いますが、なんていい息子なんでしょう。私たちはHDDDVDデッキがあるのでシングルチューナーでも困りません。
 
で、置き場所も固定され、超薄型でなくてもよいので3チューナーのTVを買いました。しかも、「今録画されているやつも見たい。」というわがままの為に、ちょっと高かったけどまたまた日立のiVDRSが搭載されているやつを。泣!そのままiVDRSカセットを入れれば観られます。UTと比べて値段はたいして安くなっていませんでしたが、しかし画像はものすごく進化していてびっくり。色味がより鮮やかに、そしてつややかになっています。わずか2年ほどのはずですが、急激に進歩している最中の製品だったんですね。
 
そんな訳で今の我が家の主力機がUT700です。
 
さて、午前中という予約でしたが、何時に来るのかはわかりません。ごちそうさんを録画して観ている娘の逆鱗に触れたくはないのでそれが終了したら外しましょう。ところが、8時9分、ピンポンが鳴りました。
 
なんてこった。しかし、またあとでなどというとこの配達員に無駄な仕事をさせることになります。労働者を大切にすることを旨としているので、対応します。まずは録画を終了させ、安全を確認、電源を抜きます。そして交換品を受け取ります。対策品は見た目には何も変わっていませんでした。ホコリの中で使う物(うちだけじゃないよね?)なので、安心ですね。そして製造番号を記入し、印鑑を押せば完了です。
 
このままでは娘の逆鱗間違いなしです。場合によっては妻より厳しいのです。電源を入れ、12時45分からの放送を予約しました。
 
さて、午前のかなり早い段階で一仕事を終えたので、次に行きましょう。PCを立ち上げ、ムービックス亀有のサイトへ。小さいおうちを観に行きたいのです。
 
10時20分からの上映に間に合いそうです。これだと1200円で観られます。ぽちっとやって番号を控えます。まだ早すぎるから、やることをやって行きましょう。
 
食器洗い、布団干し、風呂掃除とこなすと9時50分でした。ちょうど良いころでしょう。車で出かけます。自転車だと盗難が心配ですから。
 
ところがまさかの大渋滞でした。アリオの駐車場の打刻が10時22分、この時点ですでに遅刻!でも何とか本編が始まる前には席に着くことができました。結構客が入っていてびっくりしました。平日午前だし、真ん中の真ん中の席が取れたので客は少ないのかと思っていました。
 
映画は内容は書いてしまうとなんですから触れませんが、素晴らしい映画でした。山田洋次らしくないという評価ですが、なるほど貧乏、下町、やや下品な者が全く出て来ません。そしてくすぐりこそ所々に入って笑いが起こるところはありますが、喜劇では全くありません。これと比べると母べえでさえ、喜劇に見えてきます。
 
中流家庭の本当にささやかな出来事がリアルで美しいセットの中で繰り広げられ、それを邪魔せずに盛り上げる音楽があります。そして現実の一人暮らしのおばあさんが本当にリアルです。職業柄、この手の人には詳しい私でも、倍賞千恵子がもしかしてそんな生活しているのでは、と思えるほどうまくはまっています。
 
ノートへ記した過去と、現在(正しくはわずかに過去)の世界のつながりも情緒的でした。
 
私には黒木華の演技より、倍賞千恵子の方がむしろ良かったように感じたのですが、これは下町の太陽の印象を引きずる私のひいき目でしょうか。
 
さて、最後はシャワー水栓の交換です。
 
ソウルから帰ってきてすぐ、洗面台の下に入れておいたタオルが濡れていたのです。使ったやつ入れないで、洗濯出せよ、と思ったのですが、2回同じことが起こって息子の仕業ではないことに気が付きました。いつも疑われちゃうのは自分のせいだぜ。
 
止水栓から水が垂れていたので、パッキンの交換をしました。これで大丈夫でしょう。
 
しかし、また濡れが発生したのです。よくよく観察する洗面台下。
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ホースから滴っているのを発見しました。シャワー水栓はどうしてもホースに付着した水が落ちてくるのですが、ホースを引っ張り出さなくても滴ります。これはホースの劣化でしょうか。
 
ホースを取り出します。
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金属の中に入っているので劣化具合は分かりませんが、おそらく亀裂が入っているのでしょう。水を通すとぽたぽたしてきます。
 
で、ホースをインターネットで探します。しかし、ないのです。汎用品というのはなく、製品それぞれに専用品が必要な様です。
 
仕方がありません。全交換しましょう。何でこんな消耗品に規格がないのか理解に苦しみます。
 
ホームセンターへ行ったら、ハンドル別体式シャワー水栓は1種類のみでした。それを買います。ちなみに値段は¥16,000ほどでした。高いと言えば高いのですが、他のタイプだともっと高額な製品が並んでいるのでむしろ安っぽく感じます。
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買う時に驚いたのが、作業工賃欄。「この製品の御取り付けは承っておりません。」何で?
 
いままで付いていた水栓を外します。これが裏のナットが強く締め付けられているうえに、汚れで固着していてレンチでなければ回せません。しかも狭い!どうなっているのかわからずに、デジカメで撮影して確認しながら作業しました。
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抜けました。
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あとは施工説明書を見ながら作業するだけ。まずは水栓本体を取り付けます。ハンドルの方が本体だそうです。パッキン類を指定通りに入れ、裏からナットで締め付ければ完了。締め付け作業には本体が動かないように、表から娘に押さえてもらいました。楽々。
 
次は給水、給湯ホースの取り付け。ん、曲げ半径は30mm以上という指定が。我が家の洗面台はちょっと特殊な構造なので、止水栓の位置が高いのです。ぐるっと回してみました。ホースがつぶれなければOKかな?
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次は吐水口部の取り付けです。ここで第一関門発生。シャワーヘッドをひっこめると、先ほどの給湯管が当たります。違う向きで管を回すとホースがつぶれてしまいます。半径30㎜か、きついなあ。昔の製品のように、自分で管を切って接続する方式の方がかえっていいなあ。
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で、結局管潰れは困るのでそのままの位置で、パイプが当たらないように排水管から紐で引っ張りました。
 
次の行程は、ホースをカプラーで本体と接続します。こんなの簡単すぎるぜ。
できた。
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あとは赤いしるしにストッパーを付ければ完成です。試運転します。止水栓を開けてみます。本体のレバーをあげれば、ゴフッと空気が抜けた後、水が出て来ました。レバーを湯の方に回し、しばらくするとお湯も出て来ます。漏水のないこと確認をして、完了!
 
いや、もう一つ確認。吐水部を持ち上げ、シャワーホースも引きだします。んん、ダメだこりゃ。ホースがきれいに垂れていないので、一度上げると下げる時にあらぬ方向へ行き、管が折れたりしてスムーズに下がりません。
 
洗面台下の寸法が短すぎるのです。今までの物も同様の状態でしたが、管の柔軟性が低いので問題が出にくかったのです。ただし、ホースを引っ張ったら、まずシャワーヘッドを戻してから吐水口を下げるという方法を取る必要はありました。
 
問題はこの、後ろ側が高くなっている構造です。この中は何が入っているのでしょうか?覗いてみましょう。
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思った通り、配管でした。隣がトイレで、そっちの排水がここを通過して外へ出ています。洗面台の上水配管と下水配管もここです。でも、ここまで高い必要はなさそうです。
 
そもそもシャワー水栓は、ホースに付いた水をどうしてもたらしてしまうので、下に水受けタンクが必要なのです。ところが我が家の場合、ホースが水受けタンクに収まる様には降りてこないので省略されてしまっていたのです。これは新築当初から気が付いていましたが、観察していると微々たるもので拭く必要さえ感じない程度だったので、放置していました。
 
さて、どうする?中をよくよく観察すると、意外にスカスカです。金の延べ棒の隠し場所はここにしましょう。
 
これでどうでしょうか。
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台の上に穴を開け、ホースを収めるようにしてみました。自然にぶらりとなります。ところが、ストッパーがつっかえます。それなら、吐水口の方はさらに広く穴を開けてみましょう。
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これで万全です。次の困ったは、外から冷たい風が入ってきてしまうことです。隙間にグラスウールを詰めますが、完全にはなくなりません。それならこれで一石二鳥、牛乳パックで水受けタンクを作りました。風も防げ、水も漏らしません。ついでにストッパー部の出し入れもスムーズになりました。
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これで終わり?今のところはそうですが、まだまだアイデアは止まりません。この上の板が今までのホースでこすれて傷んでいることですし、思い切って作り直そうかと思っているのです。止水栓の位置をもっと前側にずらし、奥にたっぷりの余裕を作って市販の水受けタンクを入れてみようかと思っています。また、正面側の板にヒンジを付けて開閉可能にし、点検口を作れば隠し財産をしまっておけますね。正面に取っ手をつけず、トイレ側の小さい穴に針金を差すと開くようになっているとか。これで安心して自販機で本が買える?(今どきそんなものがあるかどうかは怪しいところですが。)


うちもシングルチューナーなので多チューナー機が羨ましい時があります。時々ですが。

混合水栓の交換は面倒ですよね。洗面レンチとかよく持ってましたね。俺は仕事で時々使うけどさすがにうちにはありません。 削除
九太郎 ]
2014/2/24(月) 午後 8:24
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本職の(かな?)九太郎さん、コメントありがとうございます。

洗面レンチっていうのかな?説明書ではKG-9(対辺38)と書かれていました。持っていないので、ウォーターポンププライヤーでつかんで回しちゃった。プラナットなのでそれほど強く締め付けなくてもいいだろうと思ったのです。プライヤーでは狭くてやりにくかったですね。でも、買うほどでもなさそうです。ちょっとずつ回して対処しました。 削除
2014/2/24(月) 午後 8:35
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本職じゃないです。あくまでも本職の業者につなぐまでの修繕や応急処置が仕事なので。
ウォーターポンププライヤーで回すのは結構疲れますね。俺も新人の時洗面レンチなんて便利なものあるの知らず同じことして苦労しました。
トップの洗面レンチで画像検索すると「あー」って感じで一発で使い方わかると思いますよ。 削除
九太郎 ]
2014/2/24(月) 午後 8:44
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九太郎さん、どうもです。なるほど、LIXILのような、これにしか使えない簡易の物でなく、いろいろな種類のナットに使え、しかも真下が空いていなくても何とかなる優れものなんですね。買っちゃおうかな。カランはキッチン2か所も交換、今回の洗面台で3カ所目です。やはり20年近いといろいろ出てきますね。まだ交換していないところが怖いなあ。

あ、浴室のサーモスタット水栓は中身だけ交換しました。全てがこうあって欲しいものです。 削除
2014/2/24(月) 午後 8:52
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「小さいおうち」面白そうですね(・∀・)今度ボクも行こっかな。
シャワー水栓は便利だよね。ウチはキッチンにはついていたけど、
洗面所には無くて残念な感じです(´・ω・`) 削除
2014/2/25(火) 午後 6:16
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くまそんさん、コメントありがとうございます。

シャワー水栓は施工すると分かりますが、いろいろと問題が多いので、なくて済むならない方がトラブルがなくてよいかもしれません。
キッチンのシャワー水栓は便利ですね。時々水受けタンクを覗いてみてください。よくホースを伸ばすならば特に!

小さいおうちは本当にお勧めです。 削除
2014/2/25(火) 午後 6:24
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「小さいおうち」は面白く見て頂けたようですね。
倍賞千恵子はボクも元から好きです。ポプラーな歌を癖のないいい声で歌うのでボクはCDも少し持っています。
戦争にはまっていった昭和10年代の世相の特徴が良くでていました。妙な高揚感が今の政治の流れと通底しているようにボクは思いました。

それにしても、車寄せの屋根の貼り替えと言い、水道工事といい、DIYの腕前に感心します。 削除
2014/2/26(水) 午前 5:14
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少年Hに続き、山のMochiさんお勧めの映画でしたが、こちらも大変素晴らしかったです。

当時は母べえに見るように、暗い世相と思っていましたが、小さいお家で描かれているのは、国民はむしろ戦争を歓迎するような傾向もあり、悪気がないだけに気味の悪さを感じました。

もっと多くの若い人たちに観てもらいたい映画でした。

DIYは、山のMochiさんのレベルに到達することを目標にしております。
 

2014年2月16日
 
午前に会社から帰って来ました。ものすごい強風が吹き荒れていました。3階建に挟まれた庭は時々ビル風の様な不規則で突風性の強風が吹きぬけて行くことがあります。時々ビューと音を立てて抜けて行きます。この日は音が大きく、怖いくらいでした。
 
さて、昼寝するかと歯磨きをしていたら、外から大きな音がします。もしかして看板でも飛んできたのかな?とガレージを見るとびっくり!
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ガレージの屋根が外れてしまっていたのです!!なんてこった。
 
もし、ポリカーボネイト製の板が折れて飛んで行ったら大きな被害を出してしまうかもしれません。何とかしなくては。
 
脚立を持って外に出て、強風の中、屋根を外しました。板を留めているストリップ材を外せば取れるのですが、すでにはずれている部分が風で暴れるので手で押さえながらの作業です。そしてストリップ材は隣の板も押さえているわけですから、そっちが飛んでいかない様にもしないといけません。桟の上に乗り、足で押さえて作業しました。
 
突風は容赦なく吹き付けてきます。その時には体を低くして桟につかまり、暴れる板を体で押さえます。下から吹くあげてくる風に体が浮き上がりそうです。怖!!
 
なんとか外し、屋根板はブロック塀に沿わせて立てかけて保存しました。そして両側のストリップ材をタッピングビスで留め直します。
 
なんとか怪我なく、また破損させることなく応急処置を終えました。
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実はこの飛んだところとその前板、合計2枚は物干しの竿受けが壊れて落下、破損し、新しいのもに交換した物なのです。純正品が入手不能で、同じ寸法の代用品になったのですが、純正に比べて柔軟性が高く、割れにくい半面、強い力がかかると外れやすくなるようです。風にあおられてバタバタしても壊れなかった柔軟性は驚嘆しますが、外れてしまう様では困ります。
 
次に日、まだ風は吹いていましたが、2名で作業すれば十分安全を確保できると判断し、息子を連れだして屋根を乗せ直しました。
 
まずは両側のストリップ材を外します。
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後ろ側は私が外し、前側は息子が外します。技術家庭科が5だった男はとっとと終わり、3だった男の終了を待ちながら写真撮影します。
 
二人で屋根材を乗せます。傷つけないように、そっと。
 
ここまで来たら、上に登ります。本来上に登らずに留めるべきなのですが、その方法では端からやる必要があるので半分の枚数を外さなければいけなくなるのです。
 
もし、ポリカーボネートに体重をかけてしまったら踏み抜き、落下となるでしょう。そこで より多額の生命保険をかけられている より注意深く経験豊富な私が登りました。 
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息子には上から声をかけ、板をまっすぐに直させます。上に居てはうまくできないのです。何とか定位置に収め、ストリップ材を戻していきます。
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靴はこんな時の為に買ってある、ワークマンの「健さん」を使用しています。
 
家の仕事が終わったら、息子の仕事につきあいます。
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まだ雪残るグラウンドで短パン半袖、気合入っていますね。1対1、フリーキックなどの練習に付き合いました。そのうちに小学生の時に所属していたサッカーチームの、平日練習が始まりました。その、お手伝いに行かせました。
 
このチームのコーチの一人、Tさんは全くのボランティアで、自身のお子さんはもう卒業しているというのに、平日に時間のとれる仕事を理由に子供たちのサッカー練習を見ているのです。しかもそのために指導者資格まで取得してしまった凄い人です。
 
息子も2年間平日練習に参加させていただき、楽しくて仕方がなかったのです。そこで身に着けた技術を使って高校も受験に成功しているという見方もできます。息子にとっても大いなる恩人なのです。
 
サッカーチームに所属していた3年間のお世話になった恩返しを、出来る時にはした方がいいでしょう。特に今日は平日練習では大恩ある方です。大人が一人しかいない中での指導では大変でしょうから、ここは先輩としてできることをやってきなさい。
 
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しばらく見ていましたが、あんまり役に立っていないなあ、という印象。全然声を出さずに、黙々とディフェンス業。休憩時間に呼び、指導の指導。そして一足早く家に帰りました。
 
ソウル旅行記を打っていると、息子は帰ってきました。
「楽しかったよ。小学生の指導はいいね。あれからはちゃんと声もかけて、見本も見せたよ。」
 
「最後にコーチが、僕のことを紹介してくれたんだ。最初入ってきた時には脚はべらぼうに速かったけど、それ以外は何もなくて、才能は普通以下だった。でも、毎日ものすごい努力して追いついて、ここまでになったんだ、って言ってくれたよ。」
 
「高校ではなかなか上位カテゴリーに上がれなくてイライラしていたけど、やっぱり毎日積み重ねてもっと上に行きたいって気持ちになったよ。」
 
卒業してもう4年になりますが、今でもよい導きを下さるコーチです。本当に良い出会いがあったなあ。サッカーができているるのもこうした多くの方々のおかげです。


  • お疲れさまです。自然災害とはうまく付き合っていかないといけないですね。人間がほんの少しの間地球を間借りしてるだけですから。 削除
    九太郎 ]
    2014/2/22(土) 午後 2:12
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    屋根外れましたか~σ(^_^;)
    ウチは家のペンキ塗りの為、足場を組むのに
    自分で屋根を外しと取り付けしたので、
    怖さが良くわかります(^_^;)
    純正品では無いとの事ですが、強風対策が
    必要かもしれませんね(・・;)
    落ちない様に気を付けて作業して下さいね~! 削除
    2014/2/22(土) 午後 5:11
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    九太郎さん、Kikuさん、コメントありがとうございます。

    強風対策は必要だと私も感じました。今まで台風でも外れたことはなかったのですが、下からの突風には弱いということが判明しました。板がたわまないような処置を考えているところです。

    Kikuさんのリフォーム記事、楽しく読ませていただいていました。D、I、Y、をやる人がカヤック乗りに多いのは偶然ではない気がします。艇は未完成状態で売られていて、乗る人の目的に合わせて作り上げなければいけませんからね。これからも、よろしくお願いいたします。 削除
    2014/2/22(土) 午後 6:09
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2014年2月6日13時
 
明洞へ戻ってきた私たちは、昨夜の興奮を思い出すナンタ劇場のある、ヌーンスクエアへ行きました。B1Fのスクールフードへ、ここで昼食にします。
 
 
トッポッキの辛さに参った私ですが、キンパッは美味しかったですね。妻は両方美味しかったと言っていました。まだ時間はあります。ソウルの観光は明洞から、そして〆も明洞になりました。やはりソウルを代表する繁華街であることには間違いないですね。
 
妻が、
「ロッティーボーイのパンが食べたい。あなたも口の中が辛いだろうから、コーヒーどう?」
 
それなら私に任せなさい。ずっと持ち歩いていたのでボロボロになってきたまっぷるソウルの付録、ソウル街歩きマップを取り出します。もうページも調べなくても明洞は18ページと分かっています。
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ロッティーボーイは一発で探し当てられました。さすがはまっぷるです。そしてソウルっ子の俺。
 
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美味しいコーヒーととろりと甘い蜜の入ったパンで一息つきます。
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もうあとわずかな時間でソウルから離れるのです。面白かったなあ。本当に来てよかった。最後に名残惜しむように、4日間の思い出の詰まったこの町を歩きます。
 
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警察署がありました。何やらゆるキャラがこんなところにもいました。
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南大門市場の方が似合いそうなリアカーの果物売りもいました。
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けっこう売れていますね。おいしいのでしょうか。
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さて、そろそろ集合時刻です。14時55分、ホテルに戻ると李ガイドはもう来ていました。
 
車に乗り込みます。4日前の運転手とは違う人でしたが、こちらの方も親切で、運転は丁寧でした。
「空港まではもう2名の方が同乗します。PJホテルなので、そこまで迎えに行きます。」
 
車は数分でPJホテルに着きました。路側に車を停め、李ガイドは二人を迎えに行きました。
 
車窓からは街並みが見えます。ここは東大門に近いところなので、明洞とはやや空気が違います。
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なかなか来ません。長時間路側はまずいのでしょう、運転手は結局ホテルの駐車場へ車を入れました。
 
まだ来ません。どうしちゃったのかな。
 
まだです。
 
、、、、、、、、。
 
あ、やっと李さんが来ました。同行者は続いて来ました。運転手は荷物をリアゲートを開けて積み込み、急いで発車させます。
 
乗り込んできた方々は、だれでしょうか?
はい、ご名答!昨日の水原で置いてけぼりになったあの2名のおば様でした。
車窓からソウルの街並みを見ていると、また私たちのホテル前を通過します。これで見納め、いや、また来るぞ!きっと。
 
坂を上ります。
「次の橋の上から右を見ると、南大門がちらっと見えるはず、ほら見えた!」
私が言うと、
「ずいぶんソウルに詳しくなりましたね。やはり自分の足で歩いた人は詳しくなりますね。」
と李さんが言ってくれました。
「はい、ソウルのことは何でも聞いてください。ソウルっ子ですから。」
生まれも育ちも東京ですが、ソウルにはもう4日もいるのです。
 
おば様、何か探し始めます。あれ、ないね、さっき有ったのに。
李さん、
「何か忘れ物ですか?」
「はい、カメラが、、、、、あ、あった、ここだ。」
 
パスポートなら戻るしかありませんが、それ以外なら他のお客様もいるし、飛行機に間に合わないと困るので行くしかありせんよ、と言われていました。
 
本当に、頼みますよ。
 
車の中で、昨日の話をしました。私たちが知り合いと聞いて李さんはびっくりしていました。置いてけぼり事件について、李さんは
「ガイドもいろいろ失敗を重ねてレベルが上がってくるんですよ。私もよく失敗します。」
でも、さすがに置いてけぼり事件はやったことがないそうです。
 
おば様たちも昨日は20時のナンタを観たそうです。2階席だったとのこと。プレミアムシートにも水原ツアーの同行者がいたので、10人中最低6人が同じナンタを観たことになります。
 
車は高速道路に入り、空港に向かっていきます。空港そばの干潟は、いずれ埋め立ててカジノを作るそうです。
カジノは興味ありますか、と李さん。
「ギャンブルは、人生だけで十分です。」
 
同乗者のおば様も、私も、干潟の埋め立てもったいないなあ、という感想でした。
 
もったいないという話のついでに出たのが、食品のこと。しかし、李さんはやはり腑に落ちないようです。これは文化が違うので仕方がないところでしょう。ナンタについても、本物の食材使わないと面白くないでしょう、という意見でした。そしてちょっと悲しそうな顔をしました。ちょっと失敗したかな。私たちの文化を押しつけ過ぎたかもしれません。
 
車は空港に近づきました。
「間もなくインチョン国際空港に到着いたします。昨日のナンタで声がかれております。」
と私が言いました。
大笑いしてくれた李さん、笑いながら、
「昨日いっぱい笑って、いっぱい叫んでって私、三毛さんに言いましたからね。」
と言ってくれました。私のフォローを感じてもらえたでしょうか。
 
車を降りる時、運転手に
「ギサニン、カムサハムニダ」
と声をかけました。笑顔で答えてくれる運転手。李さんもいい挨拶だと褒めてくれました。
ギサニン(技術者)は、運転手などの技能職種への褒め言葉だそうで、ガイドブックに載っていたので使ってみました。
 
空港では手続きも李さんがしてくれますから、ただ列に並ぶだけでした。おば様たちがトイレで居なくなったところで、そっと李さんが言いました。
「PJホテル前で長く待たせてすいませんでした。あの二人、私が行ってから荷物のパッキング始めたんです。やっと終わったと思ったら、パン食べたいって言うから、もう車の中で食べて下さいっていって強引にひっぱって来ちゃいました。」
 
やはり、、、、、、。
 
「また、ソウルには来てくれるでしょう?」
「はい、また来ますよ。必ず来ます。」
「その時には連絡してください。電話番号ずっと変えないから。」
「わかりました。必ず連絡します。」
 
バゲージを預けたら、次は手荷物検査です。列に並ぶところで、李さんにお願いして、妻と3人で写真を撮りました。
 
列はどんどん前へ進みます。一緒に進んでくれる李さん。
 
そしてついに、列は壁の中へ。李さんは壁で見えなくなるまで側にいてくれました。
 
イミグレーションを抜け、自分たちのゲートへ向けて歩き出します。免税店がぎっしり入っています。ピアノ重奏の生演奏がありました。
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巨大な空港ですが、ゲートナンバーを目指していけば迷子にはなりません。ゲートの先には私たちの乗るシップが見えました。
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出発はやや遅れましたが、その分空港でゆっくり景色を楽しみました。沈みゆく夕日で染まるインチョン空港はなかなか風情がありました。
 
機内では映画を観賞しました。今回はゼログラビティを観ました。ちょうど人工衛星の破片が飛んでくるところで気流が乱れてバーチャルリアリティな楽しみが得られました。
 
今回の旅行は久しぶりの海外旅行でした。一番最初に海外へ行ったのは二十歳の時でした。香港に渡り、中国へのビザを取りました。そして上海へ飛び、そこから寝台列車で烏魯木斉(ウルムチ)へ。自転車でシルクロードを走ってトルファンへ。カシュガルへ出て、バスでクチャ、コルラ、イーニン。漢族もウイグルもいない、キリギスの村も訪れています。いずれこの旅も紀行にまとめようと思ってはいますが、この放浪の旅が私の考え方に大きな影響を与えています。
 
中国と日本は政治レベルではうまくいっていません。しかし、週刊誌が書く様な「戦争だ!」「中国は本気だ」という意見にはうさんくささを感じます。週刊誌は売るための見出しが欲しいのでしょう。
 
生で、現地の人とのふれあいがあったので、中国でもいろいろな意見の人がいること、そして日本へは過去への怒りはありますが、現在の姿への憧れがあることも肌で知っています。差別的な態度をとる人には一人も会いませんでした。
 
中国人も人がいい人が多いのです。道が分からなければ、自腹でバス代を払って連れて行ってくれた人もいました。寝台列車の中では中国語を教えてくれ、さらに食堂車で豪華な中華料理をおごってくれる家族もいました。ホテルでチェックインに遅れ、締め出された時には粘り強く交渉してくれた人もいました。
 
インターネットでは汚い言葉で中韓をののしる輩が出没しています。しかし、それを書いている人は行ったことがあるのでしょうか?行きもしないで思い込みで情報を巻き散らかしているだけでしょう。
 
若いうちに、海外を旅しましょう。放浪の旅をすれば、その国が、日本にいて受ける印象とはまるで違う事を知るはずです。そしてその国の人を、文化を好きになれば、きっとあなたも現地で受け入れてもらえます。交流が盛んになれば、対立は減るでしょう。
 
本来、日中韓は、他の地域の人がうらやむような安定した地域のはずなのです。宗教、宗派の対立もなく、何千年と交流があり、漢字文化圏に属し、また国境もわずかな岩礁レベルでしか意見の相違がないのです。住む場所をすべて奪われた地域を思えば、解決はいかに簡単であることか。
 
若い頃放浪した時のことを思い出しながら、今回の旅を思い返していると、飛行機は滑走路へ滑り込んでいきました。
 
韓国もいい人いっぱいいたなあ。
まずはガイドの李さん。
粥の多味さん。
海苔屋のおやじさんもいっぱいサービスしてくれたっけなあ。
登山道具店の兄ちゃんもいい人だったし、カフェのお姉ちゃんも。
それから、それから、いっぱいいるけど、やっぱり李さん!
 
「反日」がいっぱいいるんじゃないかなんて思っていた俺、やはり海外にしばらく行っていないから、人間が小さくなっちゃっていたのかもしれません。
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高砂駅でソースの匂いがしました。ああ、これ葛飾の匂いだ。甘い砂糖や化粧品の匂い、それに地下鉄から上がってくるグリスの匂いの明洞は、遠くなったんだなあ。


どこに行っても旅行は良いものですね。 削除
九太郎 ]
2014/2/20(木) 午前 10:58
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九太郎さん、コメントありがとうございます。

海に出ない者に海は語れず、山に登らない者に山は語れず、まだまだやらなければいけないことが山積みです。老け込んでいる場合ではないですね。 削除
2014/2/20(木) 午前 11:43
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旅の締めくくりが素晴らしい文章で、お二人で良い旅をしてきたことを実感出来ました。
「インターネットでは汚い言葉で中韓をののしる輩が出没しています。しかし、それを書いている人は行ったことがあるのでしょうか?」←同感! 削除
2014/2/20(木) 午後 9:52
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山のMochiさん、コメントありがとうございます。

本を出版されている文筆家の方にお褒めいただきました。何よりうれしいことです。

13年ぶりの海外でしたが、これをきっかけにもう少し出かけてみようかと思い直しています。子育ての佳境でしたが、もうピークはとうに過ぎたので、自分の時間に当てて行きたいと思うのです。 削除
2014/2/21(金) 午後 0:52
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旅は色んな景色を見せてくれるものですね。
人間同士は分かり合えるのに、国家間となると簡単にいかないのは
ナゼなんでしょうね。ソウルっ子になった三毛ジャガーさんには
又異なった日本が見えて帰ってきてるんだろね。 削除
2014/2/24(月) 午後 6:39
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くまそんさん、コメントありがとうございます。

国家同士ではどうして人間として付き合えなくなるのでしょうね。人間が動かしているはずなのですが。おしゃる通りですね。平和と安定こそ、何より大切なはずだと思います。それが分からない人が国を動かしているからダメなのでしょうか、それとも権力を握ると分からなくなるのでしょうか。 削除
2014/2/24(月) 午後 7:58
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2014年2月6日
 
とうとう最終日になってしまいました。あとは帰国するだけ、なわけはありません。仁川空港行きの集合時刻はホテルに15時です。それまでは観光しなくっちゃね。
 
朝ごはんは、昨日ナンタでもらったお菓子とコンビニで買ったクッキー類を食べて済ませました。ずっとお腹いっぱいの旅になってしまったので、食べ歩き用にお腹に隙間を作っておくことにしました。
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8時、ホテルをチェックアウトします。ただ、空港までの送迎車がお迎えに来るのはここなので、スーツケースは預かってもらいました。
 
今日はどこへ行こうか?やはり、行き損ねている宗廟へ行ってみましょう。9時から日本語ガイドの時間です。まずはそれに参加します。
 
地下鉄に乗り、鍾路3街で降ります。まだ8時30分です。しばらく散歩して時間の調整をしましょう。
 
木の上に鳥の巣を発見しました。
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宗廟付近は宝石商が集まっています。せっかくだから妻に何か良さそうなものを買ってあげようかと思いました。何しろ勤続20年、頑張ってきたのですから。その、感謝を込めて。
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でも、石には興味がないと見もしませんでした。そのうちに9時になり、入場料を払って門の前に集まります。スピーカーをぶら下げたガイドさんが登場。いよいよ宗廟の見学スタートです。
 
ここでも通路の中央、高くなった所は神様の通り道、歩かないように指示されます。
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宗廟といえばこの写真ですね。
 
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ここに位牌を収めています。その前の石畳は霊を慰める式を執り行うところ、位牌は体を失った祖先の魂を宿らせるのに使うということでした。
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「世界遺産に指定されていますが、実はこれ、2代目なのです。初代は日本の秀吉の軍が朝鮮出兵の際、破竹の勢いで進撃し、ここソウルまであっという間に攻めてきました。王様はソウルを捨て逃げ出し、その時に焼失してしまったのです。」
 
宗廟焼失はガイドの李さんにも伺った話です。私が歴史の時間に習った記憶では、晩年の秀吉が朝鮮出兵にこだわり、出ることは出るが、朝鮮と明の軍に阻まれて平定できず、やがて秀吉の死去で終了した。進軍も家康や正宗はぐずぐずと出なかったくらいで、士気が低かった、であったのでは、ないでしょうか。
 
しかし、朝鮮側から見ると、朝鮮3国時代から李氏朝鮮になり、戦の時代はひと段落、平和な時代になったのに、いきなり秀吉軍が攻め込んできてほぼ占領、多数の生命を奪い、李王朝の文化財焼失などの被害を受けた、となるようです。
 
李舜臣の亀甲船が活躍して秀吉軍を苦しめたという話をしたら、
「んー、日本の人は秀吉軍が苦しめられたっていう人多いんですけどねー。実際は伝説みたいなもので、本人左遷されたりしていますから。」
 
秀吉~、何やってくれたんだよ。だからやめておけって言ったじゃないか!
 
宗廟の見学は50分ほどで終わりました。もっとじっくり見たい気もしますが、自由見学は土曜日のみ、保護のためにこのような形態になったということですから、致し方ありません。でも、なかなか見ごたえあり、来てよかったところの一つです。
 
さて、次はまだ見ていないところ、景福宮を見に行きましょう。地下鉄は5回目なので、キャッシュビーカードへチャージが必要でした。100w硬貨があるのでそれで必要分を、と思ったら最低でも1000wでなければチャージできません。ちょっともったいないなあ。でも日本のスイカやパスモは1000円単位、韓国は実質100円単位だから良心的な方か。
 
門番と記念撮影しました。絶対に笑わない、動かない辛い仕事ですね。交代式面白いのだそうですが、残念ながら見ることはできませんでした。
 
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いい加減にお腹が空いていました。どこかに売店でもないかなあ。あ、この門の名前は!「生協」があるじゃないですか。よし、ここへ入りましょう。
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さて、生協では何売っているのかな?太鼓の音が聞こえてきます。ああこれか、軍事訓練しています。そうか、もうじき米韓合同軍事訓練がありますから、それの練習ですね。
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お腹がすきすぎてギャグもさえません。しかしさすがは「門生協」をくぐったところです。売店がありました。そこで魚肉ソーセージを温めた物を売っていたので購入しました。
 
あつあつはふはふ食べ、お腹が一息ついたところで入場券を購入し、景福宮へ入ります。
 
 
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こちらは世界遺産にはなっていませんが、どうしてなのでしょうか。昌徳宮より数多くの建築物があります。そしてその一つ一つが大きく豪華絢爛です。これは王様の政治処でしょうか。
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王座はもちろん豪華、北京との共通点を多く見ることができます。
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寒い地方ですから、オンドル用の煙突がついています。
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これは迎賓館でしょうか。ガイドがいないと辛いですね。
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さて、外国人が多く訪れていましたが、必ずしもマナーが良いわけではありませんでした。障子で中が見えない部屋がありましたが、なんと10歳くらいの子供が中を見ようして、障子に穴を開けようと指で突っついているのです!
 
「NO!」
とその子の手を取り、やめさせました。親はすぐそばにいましたが、見てみないふり。どういう育て方をしているのでしょうか。その子の前に、すでに開けて覗いている子がいました。
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景福宮の中は広く、しかも迷路のようになっています。たっぷり時間をかけて見られてよかったです。ツアーなんかで、はい、何時集合とやられると迷子になって遅れては困りますので、奥の方まで見に行けなかったかもしれません。
 
これで一応、見たかったリストすべて制覇したことになります。遠くてあきらめていた水原、北村韓屋村、火曜日定休だった景福宮、ガイド時間に間に合わなかった宗廟、何とかなりました。
 
景福宮を出た後、地下鉄の乗って明洞まで戻ろうかと思っていました。ところが、ウォンがもう2800wしか残っていないのです。また地下鉄に乗るには1000wずつ必要ですから、カードの使えない屋台では食べられません。
 
人生でしてはいけないものが二つあります。遠慮と貧乏です。私が高校生の時、ユースホステルで出会った大学生が教えてくれました。今、そのしてはいけない貧乏をしてしまったようです。
 
仕方がありません。歩いて明洞まで帰ることにしました。どうせならまた、仁寺洞を通過しましょう。仁寺洞入り口にある、筆をモチーフにした石碑です。
 
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一昨日来た時には中央通りだけでしたので、脇道にも入ってみました。いくつも行き止まりがあります。
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筆の石碑があるくらいなので、きっと筆がここの名物なのでしょう。
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字下手で、キーボードなしには何も書けない私ですが、こういう物を買ってじっくり書けばきっと良い精神修養になることでしょう。
 
でも、お金が2800wしかない、、、。みんなビンボが悪いんや。
 
怪しい露天の骨董商。こういうところで安く買ったら、あっと驚く実は本物、国宝級のお宝なんて話は期待しない方がよいでしょう。どうせ買うお金がありません。
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そういえば10万w余らせて李さんへのチップにするという話、知らないうちに流れちゃったね。お金は本当に、「御足」というくらいすぐにどこかへ行ってしまいます。でも、来る方はなかなか来ないので、不思議ですね。
 
仁寺洞のレストランで昼食を食べようと思うのですが、妻はトッポッキとキンパッの美味しいやつ(まずい方は前日に食済み)をまだ食べていないと言うのです。でも、カードの使えるところでしか食べられません。ガイドブックでスクールフードが紹介されているので、そこまで戻るというのです。おい、本気かよ、ここは仁寺洞だぜ。明洞なんて遠過ぎるぜ。
「そんなことないでしょう、一昨日歩いたじゃない。どこか寄るつもりなの?」
 
いや、途中でちょっと、本当にちょっとだけ東大門市場の登山用品街を、、、、。はい、そうですね。却下ですね。
 
そんな訳で、明洞まで歩いて戻りました。
 
続きはソウル旅行記4日目の2へ。


歴史っていうのはその国その国の主観がある程度入って編纂されるから並べてみると面白いですよね。日本ではこう伝わっていた事が別の国では別の形で伝わってるなんてしょっちゅうですしね。
まあ韓国は中国の正史史観に思いっきり影響を受けているから当の韓国の歴史研究家ですら「そうとう眉唾もの」とは言っていますが(んなこと言ったら日本の古代史だってかなりめちゃくちゃだと思いますけどね)。 削除
九太郎 ]
2014/2/19(水) 午前 9:23
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九太郎さん、コメントありがとうございます。

「日本史」として見た場合、日本側の書き方は間違いではないでしょう。しかし、「朝鮮史」から見れば、侵略された側の意見ですから、また違った書き方になるわけです。世界史として中立的に見れば朝鮮史の方がより史実に忠実であるわけです。

大戦中の歴史認識は両国間で食い違いを見せますが、やはり戦地となった場所、あるいは被害を受けた当事者の話を基本として事実確認をしなければいけません。日本側だけの意見でガンガン言っても相手が納得するわけもなく、国際的には孤立を深めてていくばかりです。

自分の書庫を探して「証拠が出てこないから、事実もなかった。」では通用しません。 削除
2014/2/19(水) 午後 6:34
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アレ? 町中にATMはないのですか。¥を下ろしてwにするのは難しいのですか。
しかしまあ、旅先で気が緩みすぎるのは良くないでしょう。
でも結婚20周年なら貴殿の優しい気持ちもわかります。キラキラ石を欲しがらない賢い奥さんですが、ね。 削除
2014/2/19(水) 午後 9:15
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山のMochiさん、コメントありがとうございます。ATMは、、、近代的過ぎて使いこなせません!というのは半分は本当ですが、実は日本円ではお金持っていたので両替すれば良かったのです。でも、少額だと手数料が高くなるで、もう最終日だし、いいか、って感じでした。

あ、そうすれば李さんへのチップの分も換金で来たぞ!やはりATM行けばよかったかなあ。 削除
2014/2/19(水) 午後 9:48
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4日目の昼はスクールフードへ行きました。韓国最後の食事です。
 
3日目に食べたキンパッは、朝時間がないので前の日にコンビニで買った物でした。しかし、冷蔵庫で冷やしていたせいか、ご飯が硬くやや乾燥気味で、あまりおいしくありませんでした。ホテルのそばにキンパッ天国という店があるとまっぷるソウルに書いてあるのですが、どうも違うお店になってしまっているようです。メニューにキンパッがありません。
 
さて、どうしたものかと開くまっぷる。スクールフードでキンパッが食べられるとのこと。それにトッポッキも現代風にアレンジの物が、と書いてあります。場所はヌーンスクエアだから、昨日のナンタの劇場のそれですね。
 
もはやソウルっ子になっている私には目をつぶっていても行くことができます。
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ヌーンスクエア内でちょっと探してしまいましたが、ありました、ここです。おしゃれな雰囲気です。スクールフードなんて言う店名だから、学食感丸出しの食堂かと思っていました。
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席に着くとやはりここでもサービスのおかずが付きます。ただし、ちょっと洒落た感じにアレンジされています。スープと、
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漬物
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それではメニューを見てみましょう。
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やはりここはキンパッと、トッポッキを注文ですね。キンパッはいろいろ種類があります。良くわからないので上から二番目にしました。一番上がスペシャルだったでしょうか、量も倍くらいあるようです。
 
店内は明るい雰囲気で飾り付けてあります。店員もおしゃれな子が多い気がします。店内写真はまずかったかな?
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いよいよお待ちかねのキンパッとトッポッキが登場です。これで妻の食べたい物リストへのチェックは全部行ったのではないでしょうか?
 
3種のキンパッです。マヨネーズをつけて食べます。ジャコのキンパッは意表をついた美味しさですね。
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こちらがトッポッキ。一口食べてびっくり、辛い!でも、ソースを落として餅だけ食べる結構おいしいですね。妻はそんなことはせず、そのままおいしいと食べていました。辛い物が苦手な方には注意が必要です。
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水はセルフサービスなので、ぐいぐい飲みました。辛さを和らげようとキンパッが進みます。
 
店名 School Food(スクール・フード)
所在地 ソウル市中区明洞2街83-5 ヌーンスクエアB1F
電話 02-3783-4111
営業時間 11:00~22:00


韓国料理も美味いけど時々辛すぎるやつがあるのがちょっとね。理想的なのは口に入れた瞬間辛くてすっと辛味が引いていく辛さ。
最寄り駅前の韓々麺は唐辛子マーク1個でも辛いんだよなー(韓々麺が韓国料理かどうかは見解の分かれるところですが)。
南口駅前商店街中腹にあるアーケードの外れ(長い)にある韓国食材屋のキムチは美味いですよ(最後に行ったのは何年前だったか…。まだあるのかー?)。 削除
九太郎 ]
2014/2/17(月) 午後 8:20
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九太郎さん、コメントありがとうございます。
韓国で食べた料理は激辛なのはスクールフードのトッポッキと明洞餃子のキムチくらいでした。むしろ、日本の韓国料理屋の方が辛い気がします。日本人の方が、韓国料理は辛くないとおいしくないって考えている人が多いと、韓国、朝鮮系の人に思われているかもしれません。 削除
2014/2/17(月) 午後 8:34
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そうなんですよねー。辛けりゃいいってもんじゃないと声を大にして言いたい。 削除
九太郎 ]
2014/2/17(月) 午後 8:42
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タイでは、カレーもあまり辛くないものがありましたね。 削除
2014/2/17(月) 午後 8:49
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キンパッっていうのは海苔巻きの事なのかな?
コリは食べやすそうで( ・∀・)イイネ!!
トッポッキは食べたことアルヨ。味が濃くて全部食べるのがきつ
かったけど、辛いの大好きなおヨメさんは平気だったみたいだね。 削除
2014/2/19(水) 午後 6:49
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くまそんさん、コメントありがとうございます。

その通りです。キンパッは海苔巻きです。韓国海苔で巻いているので、味が日本の物とはかなり違います。中身もいろいろで、どんどん新しい味が出てきているそうです。トッポッキは細長い餅のことらしいです。ですから絡めるソース次第ですので、マイルド味をかければ食べやすいと思います。 削除
2014/2/19(水) 午後 6:54
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