三毛ジャガーの物欲日記

オートバイ、自転車、登山、カヌーカヤック、スキーなどアウトドアレジャーを楽しんでいます。物欲にまみれていて欲しい物は買う、戴く、無い物が欲しければ作ってでも手に入れております。

2012年10月

今日は参りました。いろいろと。粕尾峠は鹿沼市と日光市の境にある峠で、標高は1,100mあります。今日はそこを越えてきました。夕刻から雨の予報が出ていて、その前には列車に乗れそうだし、風予報もやや強い南風。今後の休日もいろいろ予定が入っているし、行くなら今日しかないでしょう。
 
朝8時出発予定ですが、できれば10分くらい早く出られれば日程に余裕ができるので前日にパッキングと自転車の整備は終わらせておきました。ところが、なぜか出発に手間取り、気が付けば8時15分過ぎ。まあ南風なので新栃木に着くまでに取り返せばいいか。
 
また定番の江戸川に出て、北上します。最初は北風です。これは予報通り。でも、9時からは南風なので気にせず脚に負担がかからない程度、23㎞/hくらいで足をくるくる回していきます。9時。玉葉橋通過。まだ北風のままです。10時。関宿通過。まだ北風のまま。11時。渡良瀬遊水地通過。まだ北風だよ!!!脚に早くも疲労を感じていますが、12時新栃木のイオンを左折していなければ、私の脚では15時39分のわたらせ渓谷鐵道に乗れなくなるのでペースを下げることはしたくありません。
 
自転車はエネルギーマネージメントが重要で、少ない出力と熱量を小出しにして何とかゴールまで持たせなくてはなりません。しかも筋肉の回復を図りながら、不足しないように水分カロリーの補給をしながら、道を間違えないように、他の交通との事故も避け、さらにトレーニングとして成り立つ程度の疲労にしなくてはならないのです。筋肉を使いすぎて壊してしまうと今後のトレーニングメニューがこなせなくなったり、本番で十分なパフォーマンスを発揮できなくなってしまいます。もちろん最後の一文は大げさです。
 
渡良瀬遊水地の端まで来ると一般道を走ることになります。ここまでおよそ70Km、本日の行程の半分です。サイクリングロードでここまで来れてしまうところが今回のコースの良いところです。県道11号、日光例幣使街道を走ります。路肩が十分あるところはいいのですが、そうでないところは広いので歩道に上がらせてもらいました。
 
そしてメーターで88㎞地点、イオン手前のセブンイレブンで補給食を買います。時刻は11時50分。何とか出発の遅れを取り返しました。しかし、脚にはかなりの疲労感があります。一応ストーブとシェラカップ、それにカップヌードルも持ってきてはいますが、今回は非常食扱いです。妻から毎回それではダメだと言われ、また、ここ以後1~2店のコンビニもありますが、そこを過ぎた後はゴール地点まで、いやゴールも何にもないか、とにかく商店のないところなので十分に食料を仕入れる必要があります。おにぎり2つ、4連ミニアンパン、なんとかチャージドリンクが昼ごはん、チーズバーガー、QBBチーズが到着後のタンパク質補給用。そのほか行動食として持参したのは父の手作り饅頭2つ。水はザックに仕込んだハイドレーション1ℓ。
 
コンビニを出てイオン前で左折、この道はその名も栃木粕尾線。広い道で走りやすく、本日初めての追い風の恩恵も受けながら走ります。腕のプロトレックの高度計は高度上昇になっていますが、まだ100mでしかありません。あと1,000m、登るわけです。歩道橋の下で昼食。あまり時間を取ると帰りに差し支えるのでパクパクッと食べて直ぐにバイクの上、ハイドレーションの水を吸いながら口を漱いでごっくん。13時、大越路トンネル通過。高度計は235m。トンネルを抜けたらもったいないことに下ってしまいます。下りきると県道15号、鹿沼足尾線にぶつかります。そこを左折。
角に販売店があり、以前に来たときにはここで休憩しました。今日は通過します。
 
ここからが登りの本番です。これまではアプローチにすぎません。山登りでは林道歩き、飛行機ではタキシング、ラリーではリエゾンといったことろでしょう。そのアプローチがちょうど100㎞でした。
 
ここから峠まで33㎞。2時間ありますから、何とかなる範囲でしょう。最初は傾斜は緩く、23㎞/h~25㎞/hで流せます。脚へ負担がかからないように頻繁に変速しました。少し行くと思川沿いに出ます。思川は渡良瀬遊水地に流れ込んでいる河川の一つで、一部サイクリングロードがあります。ずっとここまでつながっているといいのですが。川の水は結構きれいです。ポーテージ(担ぎ)を厭わなければカヤックで下ることもできそうです。 墨田区自然の家前後が一番傾斜がきつく、最後の九十九折は意外にたいしたことはないのはもう3回目なので当然わかっています。そこをいかに無難にやり過ごすか。そのためには脚を残すように登っていかなければなりません。
 
だんだん傾斜がきつくなり、ギアはとうとうインナローに入れっぱなし。それでも12㎞/h程度では走れています。途中工事区間があり、片側通行で信号機規制がありました。警備員に話しかけられ、どこまで?と尋ねられ、粕尾越えで足尾まで、というと、たいしたものだね、車でもえらい道だよ、がんばってね、と言ってくれました。
 
墨田区自然の家まであと4.7㎞の看板があり、このペースで行くと、そこまであと20分くらいかな、などと思っていたら、雨が降ってきました。たいした振りではないのですが、気温が急激に下がってきています。樹林の下を走っていうので体が濡れることはあまりありませんが、ひどくなるなら合羽を着るしかないでしょう。時刻はまだ14時。予報よりかなり早いぞ!高度は485m。
 
ここからかなりの急傾斜になります。シッティングではきついのでダンシング(立ちこぎ)。そしてある程度クリアしたらまたシッティングと交互に繰り返して登っていきました。14時15分、高度は590m。右脚裏にぴきーんと痛みが走ります。攣る寸前。急いでバイクから降り、脚の裏筋を伸ばします。これはやばい。少し休憩。思えば今日、脚が地面の上にあったのはコンビニに入っている間と昼食を食べている間だけ、あとはゆっくり走って休憩にしていたし、朝の向かい風でも消耗していたし、急激な気温の低下もあり、と攣る要素は盛りだくさん。とにかく回復させて完全に攣るようなことがないようにしないと、峠をあきらめてもエスケープさえできなくなります。最悪の場合は17時まで待つとバスがあるのではありますが。
 
回復に時間がかかり、少し長めに休むことになりした。いきなり負荷をかけると怖いのでゆっくりと立ちます。何とか大丈夫。まだ違和感はあるので、自転車に乗るのは不安があり、かといってこのまま進まずにいると列車には乗れず、雨もひどくなるだろうし、いよいよ状況は悪化するのは確実、しかたなく押して歩きます。これでヒルクライムトレーニングになるのだろうか。
 
5分も歩いたでしょうか。再びまたがり、ペダルを踏みます。何とか攣らずにペダルが回せます。しかしかなりの斜度、ダンシングを余儀なくされ、ピリピリを感じたら早めに停車。立ったまま回復を待ち、再び乗車。そんなことを繰り返し、自然の家、山の神と通過。そして14時50分、九十九折入り口に到着。ここで最後の休憩。なんとかドリンクを飲み切り、再び自転車の上。15時、高度875m。もう39分には間に合いません。仕方がない、次の59分トロッコ列車にするか。
 
雨がだんだん激しくなってきました。たまらずウインドーブレーカーを着ます。これの柄はスパイダーマンです。masamasa師匠がオークションに安値で出品したので買ってしまいました。息子が好きだったので、当時は大いに受けた(と思っているのはオトッツアンだけかも)のですが、今となっては派手好きの変な中年にしか見えないでしょう。でも、これとヴィテスのピングーしか自転車用ウインドーブレーカーを持っていないので仕方がありません。被視認性も考慮すると、自転車用品は派手な方が安全でもあります。
 
さて、つづら折りにはカーブごとに番号が振られています。鹿沼側の下から1番、2番と。しかし、峠が何番なのかわからないので、何の指標にもなりません。あといくつという励みになるように、峠から付けて行って欲しいものです。
 
15時15分高度1015m。あと85mか。と思いたいところですが、気圧が下がってきているでしょうからおそらくもう数十メートル上にならなければ越えられないでしょう。15時30分、案の定1165m。そしてここで峠を登り切りました。予定より30分も遅れています。あとは9㎞の下りと、平坦1㎞位のはずですから何とか間に合うでしょう。雨は激しさを増したので、合羽を出して上下とも着こみました。腕時計は見えなくなりますが、今更見る必要もないでしょう。メーターにもついているし。
 
さて、下りだしてすぐ、濡れた落ち葉が道に多量に張り付いていてグリップしないことに不安を覚えました。これはひどい。ペースが上がりません。ただでさえ下りが苦手なのに、これではスピードはかなり控えることになってしまいます。メーターは17㎞付近をうろうろします。コーナーがブラインドになっているところが多く、対向車とすれ違う十分な幅がないところもあります。ブレーキはほぼ、握りっぱなし。強弱をつけるのみです。かなり下の方までそんな感じで、道が広くなってからは30㎞/hを越えましたが、デュラエースにオープンプロのリムでもブレーキの利きは悪く、停止距離はものすごく長くなっていてかなり手前から強烈にレバーを握りしめないと停止できません。ただ、サングラスは雨弾きが良く、大雨の中、視界が良好なのは救いです。
 
うんざりする長いを下り、ようやくR122に出ました。もうすぐ間藤です。大型トラックに泥水浴びせられながら、ぎりぎりの時間だからどうやって自転車を輪行しようか、合羽着たまま車内に入るとまずいかなあ、など、作戦を立てているうちに間藤に到着。すると、なんてことでしょう。目の前で列車は発車してしまうではありませんか。後ろにトロッコ車両をひいています。ああ、間に合わなかった!
 
家に電話し、無事到着と、乗り遅れたので帰宅が遅くなることを報告。いつごろになりそうか、と聞かれ、時刻表を確認。なんと!次は17時15分ではありませんか。電話の父に報告すると、1時間以上待つのか、そこからどれくらいかかる?3時間以上。
 
まずは自転車を輪行袋に入れます。道中、とりあえず前後輪外して袋に入れ、手で押さえながら列車に積み込み、中でストラップだけかける。相老でりょうもう号を待つ間に入れなおす、という作戦を考えていましたが、そんな心配まったく無用でいつも以上にしっかりとしたパッキングができました。それから着替え。合羽を脱ぎ、ザックに仕舞います。スパイダーマンは寒いのでそのまま来ています。レーサーパンツとレッグカバーはほとんど濡れていないのでそのまま、靴下は脱いで、靴は歩けないレーサーシューズは脱いで持ってきたサンダルシューズに素足を突っ込みます。
 
それから補給食。ハンバーガーとチーズを食べてタンパク質を補います。暇なので写真を撮ったり(そういえば今日初めてカメラを出しました)傘さして散歩したりしました。16時45分、列車入線。
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台風接近中の雨の中、自転車持ってくる物好きがそうはいないでしょうが、この列車は輪行袋を置くところが限られているのでいちばんで乗りたいのです。運転士に声をかけ、乗れる様になったら声をかけてもらいました。間藤からの客は私を含めて2名だけ。
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草木トンネルでは列車内の音を、カメラの機能を使って録音しました。神秘的な感じさえします。相老からは東武のりょうもう号で北千住まで。金町からは迎えに来てくれた妻の運転する車で帰りました。
 
休日に家事を一切やらなくていいのかって?いいえ、風呂掃除は朝早めに起きてやってあります。水分のふき取りまでしっかりやっています。今日はこれで許してください。
 
本日の記録(すべて持参計器値) 
走行距離  142㎞
走行時間 7時間08分
最低高度 自宅 25m
最高高度 粕尾峠 1,165m(1,100m)
累積高度上に 1,190m
累積高度下に 495m

輪行袋について思うことを今日は書いてみます。
 
以前にも書きましたが、私はオーストリッチ派です。現在手元のあるものは写真の5つですが、そのうち3つがオーストリッチです。
 
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左から、T’sSPICEの生地厚手タイプ、オーストリッチ超速FIVE、同ロード220、同L100、寸法比較用のボトルを挟んでいちばん右がサイクルショップヒラガオリジナルランドナータイプ。
 
下の灰色の物はフレームカバー、右はエンド金具どちらもオーストリッチ製。他に、かつてちび輪バッグとT’sSPICEのボトルケージに収まるタイプの物、シートタイプでひもで縛るものも所有していたことがあります。
 
身も蓋もない言い方をすれば、一長一短です。面倒なので左から①、②と番号をふることにします。
 
前後輪を外すのは①、③、④です。①と③はホイールを入れるポケットが付いているので、フレームを入れた後そのポケットにホイールを仕舞ってからフレームを挟み、いちばん上だけストラップで止めればOK。④はホイールポケットがないのでサドル部分、チェーンスティ部分と3点で止める必要があります。その代わり、しっかりと止められるので立つように固定すれば便利です。また、その分小さくく軽くなる点も見逃せません。ファスナーもなく、上で紐を縛るのですが、故障がないのでかえっていいかも。リアホイールを抜いてしまうのでエンド金具でエンド幅の保護とディレイラーが地面に当たるのを回避します。④は別売りですが、持っていなければ買うか自作するかした方がいいです。①の付属エンド金具はネジで止めるタイプで、力が加わるとまわってしまって傾いてしまうし、使いにくいので自分で加工してキャスターが付くようにしました。キャスターがあれば移動も楽で、その金具がネジの回転を防いでくれます。輪行袋にもネジ貫通の穴をあけました。
 
②は前輪のみ外すタイプです。前輪は付属のホイールバッグに入れて、フレームにストラップでつるします。簡単に収納できるし、リアエンドに後輪が入ったままなのでエンド金具が要りません。その代わり小さくはないので、混んでいる列車やデッキのある列車などに乗せるには不自由することが多いです。車で移動するときに使うこともあります。車内の汚れ防止として有効です。
 
⑤は、高砂のサイクルショップ、ヒラガのオリジナル輪行袋です。私が買った最初の袋で、もう30年になります。これはランドナー用で、後輪とフォークを抜くタイプです。四隅にループが付いていて、簡易シェルターにもなります。これで東北野宿旅の帰路、18きっぷで仙台から帰ってきました。また、香港経由、ウルムチ、カシュガルと航空機輪行して大陸を走ってきたこともあります。今どきのアヘッドとバーテープに巻きこんだブレーキアウタータイプのロードだと、入れることはできません。
 
さて、収納サイズと運搬方法の問題です。ボトルケージにさせるのは③④⑤。サドルの裏に付けられるのは一応全部。
①はサドルバッグのようにつけられるストラップと、シートピラーに固定するベルクロが縫い付けてありますが、その付け方では腿に当たるのでよろしくないです。サドルフレームに縦に付けるとずれてきてしまうし、ザックに入れるのが得策でしょう。ザックを使わない時には、持って行きたくないです。
②はサドルには縦付するようにできています。やはりずれは生じます。時々締めなおすか、やはりザックの中がいいところかもしれません。
③はボトルケージにはまりますが、長さがあってサイズの小さいフレームだと厳しい時があるかもしれません。
④はケージにすっぽり入るサイズです。
⑤はいろいろな付け方ができます。サドルバッグのようにも、ケージにも、フロントバッグのようにも、もちろんバッグに入れてもよい優れものです。ランドナーならこのタイプで決まりでしょう。
 
付属の袋にも優劣はあります。するする入っていくのはオーストリッチ勢。ケースに余裕があるので軍手を入れることも可能です。ギュッと巻いてもスベリの悪い生地でなかなか入っていかないのはT’sSPICE。その分生地は丈夫そうですが。走り出そうという時になかなか収納できないとイライラしてくるのは事実です。途中であきらめ、そのままザックに詰め込んだことも数回あります。最寄駅から家までの間は、むしろ仕舞ったことがありません。ザックでない時でも、落ちていたレジ袋に詰めてハンドルにぶら下げて帰ったこともあります。今はあげちゃった同じメーカーのケージに入られるタイプの物だと、さらにひどくてかなりきつく巻かないと入りませんでした。あんまりひどいので金具類は別にしておいたくらいです。ただし、どちらも10年以上昔の製品なので、最近は改善されているかもしれません。
 
塗装に傷をつけたくない人はフレームカバーをどうぞ。私はめったに使いません。妻の自転車は特注で塗ってもらったので使いますが、うまく入れればそう傷がつくものではないのです。やばそうなところだけ軍手なので養生すればOK。
 
初めて買うなら、何がいいかって?ケージに差せて、軽量コンパクト。L100とエンド金具でいいんでないでしょうか。これ買っておけば、他の物を買い足しても、これの出番は必ずあります。生地はかなり薄くて弱いけど、丁寧に使えばそう破れるものではありません。破れたら縫えばいいだけ。

今日は公休。天気もいいし、トレーニング日和です。本当はそろそろ峠へ行きたいのですが、朝は洗濯物干しと風呂掃除、夕からは食事当番もあるし、子供が帰ってくるときに鍵を開けておかなければならないので(持たせていき損ねた)16時帰着は絶対命題。そんなわけで平坦にしました。
 
今日の平坦100㎞はmasamasa師匠の開拓したコースを行きます。もう何十回も走っています。ロードバイクは久しぶりの登場です。
 
家を出たのが11時。家事やら準備やらでなかなか出発できませんでした。でも、5時間もあればゆっくり昼ご飯を食べてもお釣りがくるでしょう。風次第ではありますが。
 
いつものように水元公園、江戸川の土手を通過し、流山橋で左岸へ。さらに北上します。風は緩い北風。向かい風でも軽めのギアでくるくる回し、27Km/h 程度で走ります。常磐高速をくぐってしばらく行くと、運河が分岐しています。運河にもサイクリングロードは途切れながらですがあり、そこを走ります。運河のサイクリングロードは自転車乗りではない人の設計らしく、(ここに限らずそう思わざるを得ない道ばかりですが)道に細かい砂利が浮いて走りにくいうえ、 左岸、右岸、最後にまた左岸と走らなければうまく利根川に出られない変な道です。
 
運河はその名の通りの使われ方をしていて、かつては旅客船や荷役船が往来していたのですが、私の知る運河はどぶとしての使われ方しかしていません。葛飾橋の松戸側に船着き場を作ったようですが、観光船を就航させ、運河を通って銚子まで運行、なんてことになれば、自転車で佐原まで行って、帰りは船で帰ってくるなんて贅沢な旅ができるんですけどねえ。
 
運河を抜けてそのまま利根川を下流に向けて走ります。ここは人通りもほとんどなく、やや追い風なので結構スピードが上がります。30㎞/h以上の巡航速度が出ていました。ケイデンスも100以上は常時維持。これぞロードバイクという走りを楽しめました。
 
常磐高速、ついでTXをくぐり、速度はさらに上がってきてケイデンスは110を上回るほど。追い風の威力は駄馬を一流選手気分にしてくれます。
 
あっという間に新大利根橋へ。気持ちのいい走りもここまで。この橋を渡ります。渡った所が戸頭のジャスコ。ここで右折、坂を上って左折すると守谷流山線。R294を渡ると、和菓子屋さんの前を通過します。masamasa師匠はよくここで大福でカロリー補給しますが、歯科医に歯の質が悪く、間食控えないと歯が持たないといわれている私は通過します。
 
戸頭の駅前で踏切を渡ると、意味不明なオブジェがあります。棒が数本建っているだけで、年度予算消化以外に何の役にもたたない代物のように思うのは私だけでしょうか。
 
野球場を抜け、さくらの杜公園交差点で右折。東京鉄骨橋梁の工場の前を通り、高井城址の脇を抜けて小貝川堰堤に出ます。出たところにベンチとテーブルがあったので昼食。
 
前回よりさらにリッチにSOTOMUKA食堂のラーメンライスです。おにぎりに入っている具は我が家産、抜いても抜いても生えてくる、もはや雑草化した植えてから数世代目のシソから採った実です。
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ここで家から40Km。12時45分でした。後わずか60Km ですから、少々のんびりしていても大丈夫。
 
小貝川沿いは右岸、左岸ともサイクリングロードになっています。特にこの辺の右岸は道幅も十分で、大変に走りやすいです。やや向かい風の部分もありますが、今日は調子が良いので空気を切り裂きながら走っていきます。そして右に体育館が見えてきます。藤代総合公園です。ここはMTBの練習場があるので、子供が小さい時には車で来て遊んだことがあります。息子は当時、TVアニメ、韋駄天翔(イダテンジャンプ)にはまっていて、将来の夢は自転車競技選手だったのですが、その翌年から父の反対を押し切り少年サッカーチームに入ってしまい、もうこちらには帰ってきません。
こう書くと寂しい感じですが、そのチーム、MIZUMOはオトッツアン仲間や中高年コーチたちとのふれあいが楽しく、私も大いに楽しませていただきました。今思えばもっと早く入れておけばよかったかも。
 
小貝川は蛇行を繰り返し、道もそれにつれて蛇行しています。文巻橋を渡って少しの間小貝川から外れます。
R6を渡り、常磐線の踏切を通過すると牛久沼から流れる川の排水機場に出ます。この川に沿って下ると、すぐにまた小貝川に合流します。東寄りの風なのでここからやや向かい風っぽい感じです。しかし調子の良い私には何の関係もなく、自分でもびっくりするほど脚がよく回ります。メーターの平均速度が25.1㎞になっていました。独走でこの数字は、たいしたことないじゃん!の人が多いのは承知の上で書きますが、自分的にはかなりの物です。
さすがに腿に疲労も感じてきました。しかし脚を止める気にもならず、ケイデンス100程度で回し続けます。もう少しで利根川に合流というところ、戸田井橋は信号機がなく、なかなか渡れませんでした。横断歩道に人を見つけたら止まるように教習所で習ったのですが、一台としてそれを思い出す車はありません。
 
そのまま利根川沿いを走り、栄橋で利根川右岸へ。ここからわずかですが、一般道路です。都の交差点ではリヨン小麦館があります。masamasa師匠は100%ここでパンを買い、表のベンチで食べながら店員の女の子の批評をするのですが、すでに昼食を食べている私は今日は通過。確かにかわいい子が多いので、気になる方は行ってみてください。
 
成田線を渡って高校の横あたりからサイクリングロードへ入ります。東寄りの風なので、ここはもうずっと追い風です。他に人もほとんどなく、またペース良く走れます。1本目の橋で川の南側に移り、まっすぐな道を西へと進みます。
 
手賀川が終わると、手賀沼です。ここからはランナーや低速自転車、子供などもいるのであまり飛ばすことはできません。安全第一で行きます。手賀大橋の南に道の駅があります。ここのレストランも結構おいしいのですが、脚を止める気がせず、通過。柏ふるさと大橋をくぐり、北柏橋で道路を横断すると目の前は常磐線です。
 
常磐線とR6をどう渡るか、3つの選択肢があります。
 
①そのまま自転車道で行き、階段を下りて大堀川の水面ギリギリの部分に出る。常磐線、R6をくぐり、また階段を上ってサイクリングロードの続きに出る。
 
②サイクリングロードを下りて、南側の常磐線ガード下を通過、ラブホテル脇から信号のないR6を渡る。masamasa師匠のコース。
 
③途中まで②と一緒、さらに遠回りをして、信号のあるところでR6をわたり、サイクリングロードへ戻る。
 
①はコンクリートの階段で、クリートの付いた靴だと本当に危ないので嫌なのですが、②は結構危険が伴うし、③も良い道がないのでけっきょく①にしています。ほんと、この道設計した奴、自転車乗っていないでしょう。ちなみに、大堀川増水中は当然通過できません。
 
大堀川沿いの道は狭いうえに子供の遊び場になっているのでさらにペースを落とすことになります。道路の横断もあり、やはり車は止まってくれないので切れるのを待つしかありません。
 
豊四季駅の北500m位のところで大堀川と別れ、流山おおたかの森に出ます。ここは何年も造成中なので何回も道が変わり、来るたび道が変わってしまいます。
 
師匠はここから江戸川に向けて走っていくのですが、私は少し南に向かいます。すぐに流山総合運動公園に出ます。ここは息子の所属するサッカーチームの、ホームグラウンドです。ここを使うのももう数か月のみ。早いものです。何回か妻と自転車でこっそり試合を見に来たことがあります。駅名はなぜか流山セントラルパークで、まるでサイモン&ガーファンクルがコンサートをやるような感じです。ここから流山駅方面へ向けて走ります。
 
流山電鉄の終着駅を下に見ながら、左折、線路に沿って走ります。平和台駅のところで踏切を渡り、イトーヨーカドー前を通過、流山街道を渡ると、一茶双樹記念館があります。いずれ寄ってみたいものですが、子供が待つ今日は無理、とっとと帰ります。
 
流山橋で江戸川に出ます。今日は完全な追い風。庭みたいなここからは時間が読めるので安心です。現在15時調度。30分後には家に着くでしょう。しばらく28㎞/hで流し、上葛飾橋のアンダーパスの下りを使ってアタック。アウターに入れ、ギア倍数をかけてぐいぐい加速。45㎞/hをメーターで見たところで力尽き、ダウン。
 
出し切ってしまったのでその後は辛く、よれよれになりながら水元公園に。そして自宅到着は15時30分ころ。
 
夕食を作る前にひと眠りし、回復したところで調理開始。本日は鶏肉のソテー、ポン酢の照り焼き、ゴーヤ炒め添え。野菜と大豆の煮物、ご飯は和風ピラフ土鍋炊き、それに味噌汁。ほとんどの材料があまりもの。

山のMochiさんより奥多摩の寒い話をコメントでいただき、装備の点検をすることにしました。
 
寝具はやはりブラッカンを持って行くことにします。エアマットがやや嵩張るのと、ボイラーという荷物が増えるのが欠点ですが、それほど重いわけでもないので快適な睡眠環境のためには十分な価値ありと判断しました。室内で点火するわけにもいかず、ボイラーはベランダです。
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エアマットは室内に広げてあります。5分もしないうちにぽかぽかで、眠くなってきました。ガスカートリッジは寒冷地用でも気化しにくくなる気温になることも予想されるので、ブラッカンジャパンさんのレポートのように温水管をカートリッジに接触するようにして、さらにKマットをサイズに切ってカートリッジごと巻きつけられるようにしてみたいと思います。
 
これからの季節は、低体温症には十分以上に対策を取るべきでしょう。特にテント泊の場合には。

来月の勤務表が出まして、10月の最後に2連休がありました。ヒルクライムトレーニングとして山登りに行きたいところです。
 
さて、どこへ行こうかとガイドブックを数冊読んでいるうち、行きたいと思っていた石尾根にまだ足跡を残していないことに気がつきました。雲取山の尾根の一つで、新田次郎の寒冷前線の舞台となったところです。小説に従うとここは下山路に使うべきでしょう。
 
すると、登りはどこにするのか。鴨沢~三峰は何回も歩いているので、そこを外すところを探すと、結構いろいろあるんですね。一般的には三条の湯、その向こうの飛竜から行く手もあります。東側からは日原林道から大ダワ林道、その南には唐松谷林道もあります。その次のページ、長沢背稜が目にとまりました。
 
八丁橋からいきなり1,000mを超える登り。1泊2日、体力☆☆☆、技術☆。トレーニング山行にもってこいでしょう。電車やバスの時刻調べはこれからなので、まだコース決定ではないのですが。
 
幕営地は雲取山荘か奥多摩小屋。夜は寒そうです。それなりの装備は必要でしょう。シュラフは冬用か、3シーズンにしてブラッカンを使うか。食事は暖かい鍋系かな?ストーブはSOTOMUKA、もしくはMANASLU96にしてマナスルヒーターを使うか。このヒーター、3本足ならカートリッジガスを除き、ほとんどのストーブで使えるのですが、安全性を考えると灯油が一番です。
 
行動計画と装備計画をもっとよく練らないとダメですね。


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雲取山、いいですね! 石原さん(いちおうあなたも物書き)、尖閣も大事ですが雲取も大事にして下さい。ほとんど埼玉の山と思われてしまっています。深田久弥が『百名山』で「東京は幸せだ。2000m以上の山をいただく都県はそうあるものでない」(大意)と書いてくれています。
さすが2000mは寒いですよ、貴殿なら百も承知ですけれど。
ボクが3人組んで12月中旬に三峯から鴨沢まで一泊で縦走したとき、雲取山荘(改築以前)のコタツに入ってノンビリと缶ビールを飲んでいたらビールが凍りジャリジャリになりました。寒波が来ていたとはいえ、暖かく火の入ったコタツの上なのであきれてしまいました。テントだったなら自分たちの体も凍ったことでしょう(笑)。一人は「かまくら」で知られた秋田県横手出身者で「どんなシバレる晩でもコタツの上でビールが凍った話しは聞いたことがないですよ」とその寒さに感動してくれました。彼もそれ以来、山好きになってくれたのでした。 削除
2012/10/13(土) 午後 7:52
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雲取山は4回登っています。高校生になってワンゲル部に入り、最初の山行が鴨沢~三峰一日半(土曜日は授業がありました)縦走でした。その時には山頂にブランコがあり、奥に行くと山梨県、手前に帰ってくると東京都という説明書きがありましたが、以後見なくなってしまいました。

この山に最後に登ったのは息子が小学校1年生の時、彼の2回目の山行として同じコースを行きました。三峰からはロープウェイで大輪まで下りましたが、これも廃線になってしまいましたね。残念です。

人がいる室内でビールが凍るという話は私も聞いたことがないですねえ。飲まないので経験もないです。12月の寒波襲来時だと、小屋泊まりでも信頼できる火器が重要になってきます。なるほど、それでマナスルやピーク1ですね。 削除
2012/10/14(日) 午前 11:18
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ボクの雲取は3回か4回かはっきりしない? 
小1の息子さん、よくお父さんについて歩いてくれましたね、息子に感謝しないとね。近年のロープウェイ廃止は残念。
ボクは初回が20歳の夏で本当の初心者でした。三峯から入り山荘泊。バイオな浄化槽から細く流れてくる水が冷たくて美味て。小屋の主人が「冬がお勧めです。除夜(大晦日)はとても混み合いますが、クリスマスがお勧めです。宿泊者が少ないしデコレーションケーキも用意します」とのこと。当時は登山ブーム、鮨詰だったのです。1964(65?)という大昔。
とうとうクリスマスには行けずに今日まで、でも残り3回は全部冬場でした。他に三条の湯泊まりで飛竜に、これも真冬。客が数人なのは嬉しかったけれど宿の湯がとてもぬるくて(鉱泉で沸かし湯)真夜中に尿意で起きたとき腹いせに2Fの窓から下のトタン板の庇に向かって放水してやりました。それがみるみる凍結していくのが煌煌たる月の光でようく見えました。
翌日飛竜の往復で人に会うことなく同宿者はみな雲取に向かったようでした。ぬる湯の方は今なら「宿代返せ」ぐらい言えたでしょうが元々ボクは気が小さいもので、、、。 削除
2012/10/14(日) 午後 8:56
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その頃の奥多摩を知らない私には大変に興味深い話です。1967年生まれなもので。意外にやんちゃな山のMochiさんの若かりし姿も見たかったです。まだまだ面白そうな話がありそうですね。

「続、山行十話~さらに昔の山の話~」(仮題)の発行が望まれます。 削除
2012/10/14(日) 午後 9:33
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一つ前、浄化槽と書いたのはまずかった、浄水槽とすべきでした。
檜板でこしらえた、寸法がちょうどお風呂みたいので飲用水を浄化していたのです。 削除
2012/10/14(日) 午後 11:52
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こんばんわ、餌が少なくてクマも山を下りるこの時期に2000mとは
真の修行者?ですね 。(・∀・)。
雲取山というと犬の神様の御札を思い出します。
怪我に気を付けてがんばってきてね~! 削除
2012/10/15(月) 午後 7:06
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くまそんさん、ありがとうございます。十分気を付けて行ってまいります。真の修行者はおそらくヒマラヤあたりで6000m峰に登っておられます。私なぞ足元にも及びません。 削除
2012/10/15(月) 午後 8:12
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