1月13日に立ち寄った、ヤマハコミュニケーションプラザについて記入しておきましょう。
入場は無料で、予約も必要ありません。エントランスを入るとこんな感じになっています。いきなり心拍数が上昇してきますよね。
YAMAHA2000GT、と書かれているのかと思ったら、やはりTOYOTAになっていました。クラウンのM型エンジンにヤマハがDOHCヘッドを乗せて作った3M型、生産もヤマハだったのでヤマハとしては「うちの車」という意識が強いでしょうね。基本設計はトヨタ、販売ももちろんトヨタでしたけどね。ちなみに、初期型は私と同い年であります。
この流麗なボディは芸術作品といっても過言ではありません。ただ、リアビューがジャガーに似ているのは内緒。
レクサスLFA!これもヤマハが噛んでいたんですね。知らなかったです。知っていても知らなくても、どうせ買えないことには変わりはないのですが。V10天使の咆哮が聞ける幸せ者がうらやましい限りです。
海でヤマハといえば、船外機とボート。カジキ釣りシミュレーターがあります。よし、大物を釣ってくるか。
竿を立て、リールに手を乗せてカジキが食いついてくるのを待ちます。いや、待つまでもありません。いきなりブルブルっと来ました。軽く引いてフッキング、そしてリールを巻きます。げ、竿が持って行かれるぞ。ものすごい引きです。必死で抵抗してリールを渾身の力で巻き上げますが、暴れて竿が持って行かれないようにするのが精一杯です。命をかけたカジキの抵抗はものすごくなかなか上がりません。そして水面に彼の姿が出ないうちにおしまいになりました。出るも何も、ワイヤーが出ているだけの溝ですから魚が出る隙間ではないのです。
まあ、こんな感じのですね。結構面白かったですよ。
これくらいの小さい船なら買えるようになるかな。娘がお金持ちになったりしたらね。
こんな物まで作っていたんですね。ヤマハはブルジョア御用達ブランドだったのかな?
ヤマハのアメリカンクルーザーはかっこいいですが、パクリと言われてしまう恐れもありますね。ただ、市場が求めるのはやはりこの形なのかもしれません。
岩手の義兄はV-MAXが欲しい普通自動二輪免許所持者です。こっちはどこのマネでもない、オリジナルデザインですね。
ここに来ればその瞬間だけでもオーナー気分です。ホンダの車両で来て、チームスズキのチョッキを着ているのはヤマハの人には内緒。
48時間以内に海底の地図を作成する競技に参加した、TeamKUROSHIOもヤマハの技術が活躍したとのことです。
3気筒エンジンのカットモデル。4気筒ほど幅をとらず、2気筒ほど不等間隔ではないのでスムーズで軽量なバランスの良いエンジンになるようです。
ピストンも展示。食い入るように見つめる人も中に入るのでしょうが、この日に見ているのは私だけでした。時代が進むとピストンの上下高さが減っていくのが分かります。
この巨大なモーターサイクルは何だ?
跨ってみましたが、これを押してガレージから出す体力は私にはありません。
歴史のお勉強は2階にあがってからです。まずはYA-1から。日本楽器製造が初めてつくったモーターサイクルで、ヤマハ発動機が独立して10日目の富士登山レースでいきなり優勝したのだそうです。通称赤とんぼ、今見てもおしゃれな感じがしますね。
こちらは浅間高原レースに出たレーサー。1955年ですから、さすがに時代を感じます。
YA-1の次は、YB-1。非常にわかりやすい型式体系になっています。
R1もYZFがつかない頃は2Stだったのですね。当時ヤマハとしては最大排気量の350㏄で、アルミブロックの白いエンジンとして売り出したそうです。きっと高価だったことでしょう。
歴史の勉強中
歴代のレーサーが並んでいます。
2St500㏄時代のレーサーですね。
YPVSの文字が懐かしいですね。ヤマハパワーバルブシステムですね。排気のタイミングを回転数に応じて可変させる仕組みです。
この排気管レイアウトはしびれますね。僅かながらも左右非対称ですね。
映画、汚れた英雄はこの時代のレーサーで撮影されたと思われます。
隙間から覗くエンジン。しびれますね。びりびり来ます。
映画でもこのポジション、このアングルからの走行シーンの撮影がありましたね。
時代が進むとやはり、かっこよくなってきます。
最も新しいMOTOGPレース車両にはチームスズキのチョッキを着た草刈正雄が乗っていました。いや違った、そっくりさんだな。冗談はここまでにして、ポジションは案外きつくはなかったです。この姿勢のまま1時間くらいなら走れなくはないなあ。コーナー?俺は曲がったことは嫌いだ。それとスピード狂ではないのであんまり飛ばさないしさ。
RZ250も、もはや「歴史」の一部になってしまっていますね。
オフロードもヤマハの得意分野。北極点、南極点へ行った風間深志もヤマハの車両でしたね。いやいや、私だってTDR50 を2台も所有したことがあるのです。(黒歴史)
ヤマハがエンジンを供給していたF1。
F1エンジン、OX11Aです。自然吸気V10、これで市販スーパーカーを作ったら、なんて妄想をヤマハの中の人もしていたようです。その妄想はある程度形にはなったのですが、市販まではいかなかったのはご承知の通りですね。
妄想しながら現実にはトヨタ2T-Gを委託生産していたのです。
ここにもトヨタ2000GTの3Mエンジンが飾られています。
3階にはプラザカフェがあり、食事ができます。時間がなかったので立ち寄らず、アンケートだけを提出して退出しました。
ヤマハはブルジョア相手の製品が沢山ラインナップされているのですが、モーターサイクルだけは庶民でも手が届くのでせめてこっちだけでも所有してみようかな。そしてその歴史は初期のころから栄光に輝いていますが、挫折も多かったことを私たちは知っています。これからのヤマハの発展を願いたくなって館を後にしました。