10時15分、平沼ゲートから歩き出しました。まずは林道歩きです。バス便が畑薙大吊橋までという物はないので歩くしかありませんが、マイクロバスが追い越していくのを見ると釈然としない物も感じます。
風弱く、天気晴れ。ただし、雲が強く湧いてくる気配を感じます。
畑薙大吊橋が見えてきました。渡ればやっとこの林道歩きから解放されるのです。
対向者はいないのですぐに渡り始めます。
ダム湖の上では風は弱くはありませんでした。ひんやりと気持ちの良い肌触りが汗を止めてくれます。それにしても湖面には多量の流木が浮いています。先週の豪雨の影響はここにもあったのでしょうか。
10時15分、渡り終わりました。いよいよ登山道です。
部分的に崩壊しているところがありました。注意して通行します。
11時17分、ヤレヤレ峠通過。
昨年通過しているのでわかってはいますが、沢まで下降してしまいます。
沢まで下ったら、すぐに吊橋が見えてきます。1号橋です。
1号橋も傷んではいましたが、2号橋の傷み加減はそれ以上でもはや踏板が抜けている部分もありました。
3号橋は比較的安心して渡れますね。
沢の側を歩けるのは案外短い距離で、登山道はここから高巻いていきます。
ここを越えて金属の階段を登ると、
ウソッコ沢小屋が見えてきます。
12時10分、ウソッコ沢小屋到着。お腹が空いたので昼食にしました。
3つの菓子パンが本日の昼食です。昨日が賞味期限の半額物ばかりです。
12時35分、出発します。昨日の疲労は仮眠程度では完全には抜けなかったようで、歩行の振動が脳の揺れを引き起こして頭痛に繋がってきました。片頭痛持ちには高所登山はあまり良い物ではないのです。
滝があちらこちらに観られる、非常に美しい登山道です。
ここまで来ればもう大丈夫、一歩一歩確実に登って行けばちゃんと時間通りに着くさ。5号橋の下は山行十話のシゲル少年が取り付いたと思われるオーバーハングした岩です。今年はあの合宿からちょうど40年目に当たると思われます。
その気になれば沢登も楽しめるかな?
濡れた靴底に金属の階段は怪談予備軍です。
よし、中の段の看板が見えたぞ。いや違った、もうすぐだったか。昨年も騙されたっけなあ。
13時25分、ようやく中の段通過です。
歩行が苦痛になってきました。頭痛が酷くなってきたのです。でも、自分でコントロールできる範囲ですね。歩行をゆっくりにして、ため息をつきながら何とか悪化しないように努めます。
そして、もうすぐ横窪沢小屋の看板が出てきました。
本日最後の登り!
13時57分、横窪峠通過。
14時02分、横窪沢小屋到着!テント泊の申し込みをしたら、まずはどうぞと麦茶がサービスされました。ずっと汗だくで歩いてきたのですから、嬉しい配慮ですね。
本日の宿泊はここにしましょう。テントを張ってシュラフを干し、エアマットの上でまずは昼寝。片頭痛の特効薬です。ちなみにテントはNaturehikeのTagar1です。本日がデビュー戦です。
夕方、雷雨が襲ってきます。雨漏りなんて全くせず、シングルウォールの部分は結露はするものの、荷物や体が触らずに済む部分だけなので意外なほど快適に過ごせました。このテントについてのインプレは後にまとめたいと思います。
雨が止んだら夕食にしました。シチューは非常用備蓄食料の消費期限切れの放出品なので、缶を開けたら6人分食べなければなりません。仕方がないので、3つに分けてきました。3回の山での夕食は毎食これが付くことになりました。味はともかく、栄養が十分ならそれでいいか。
昼寝もしていたのに、18時には寝てしまいました。
名著を追いかけて2-3に続く。
大分間を空けて、単独行でここを往復通過したのがいつだったっけ、と思うのですがうまく数えられません。・・・おっと! 1987年で、親父が亡くなった年=31年前ですね、でもその2回ともとてもリアルに覚えています。2回目が三毛ジャガーさんより数歳若かったのに、なぜかとても疲れたことも忘れられません。
仰る通りですね。下山してからの暑さは地獄でした。
丁寧にお読みいただいているようで、大変にありがたく思います。
名著、山行十話に
「1978年7月下旬に南アルプスの赤石岳を目指して大井川の畑薙に入った。ところが……。」
とあります。数日の誤差であれから40年で間違いないと思われます。
印象に残る登山は年数が経っても鮮明な記憶として残りますね。私にとってもこのルートは本で読んだ想像から昨年の実体験を経ているせいでしょうか、他の登山と比べても思い出に強く残る登山となっています。
名前がとってもチャーミング。
望月孝一著となっていました。「もちづき?」1974年版の山岳会名簿は望月さんは6名ほどいましたが該当者がありません。
望月はもともとルーツは信州です。真田などと同族です。真田十勇士の中に霧隠才蔵、三好清海入道などとともに望月六郎が出てきます。
同じく海野六郎と望月六郎は同族です。
生年は1944年とあります。あれ!俺と同じじゃん。と思って考え直しました。著者は「山のMochi」さんでした。
「山行十話」の該当項を読みなおしました。まさに同じ行程が書かれています。ゲートでストップされた話は今も変わっていないんですね。
山のMochiさんは小田原に疎開されてんですね。
おかげさまでいろいろ勉強になりました。
おとぎ話に出てくる架空の地名のようですが、間違いなく地図に記載されている本当の地名なのです。由来について知りたくなってきますね。
私の愛読書の一つです。面白く読んではいましたが、実際に行ってみなければ本当の様子は分からないので昨年ついに行ってみることにしました。一回行ってみればアクセスの悪さも何とか克服できることが分かったので、今年も再訪してみました。今回は「赤石岳遥かなり」の本体の行程を追いかけてみました。