2018年2月25日
14時新浦安駅に集合した色男三匹、これから探索する浦安について地図で検討します。浦安は現在「おしゃれな住宅街」イメージが震災で崩れて地震に弱い地域という評判になってしまいましたが、海が埋め立てられるその昔には貝と海苔の漁師町だったことは皆さんご承知の通りです。

新浦安駅から歩き出してすぐ、若潮公園に着きました。ここがかつて漁師町であったことを示すモニュメント、漁業記念碑があります。子供たちが遊んでいますが、漁師町として栄えていた当時ここはまさに貝を採り、海苔を養殖していた海だったのです。

若潮公園は動物園と、交通公園が併設されています。私たちの子供はすでにこの手の施設では遊ぶことのない歳になってしまっているのでスルーします。

いやいや、ここには4輪サイクルもあるのか、これはスルー出来ないなあ。

浦安郷土博物館へ向かいます。昨年夏に私も訪れていますが、数ある郷土博物館では1,2位を争う素晴らしい展示と文化遺産保護をしていると思っています。
向かう途中、あちらこちらに地面のずれが見て取れました。恐らくは震災の時にずれてしまったのでしょう。

道路には復旧作業の後も生々しく、現在も道路と側溝がちぐはぐになってしまっている部分もありました。

個人のお宅なので特定できないように写真を加工してあります。

境川東水門が近くなってきました。このすぐそばに浦安郷土博物館はあるのです。前回はモーターサイクルで来ているのですが、今回のようにこうして歩いてくるとまた違った景色と出会えます。

郷土博物館到着です。上からのぞくと、あれ、舟に人を載せているぞ!あの舟、漕がしてくれないかなあ。

いざ、館内へ!

なんど来ても、この風情はいいですね。明治村よろしく、移築で作られているのでよ「本物っぽいの」ではありません。まさに本物なのです。

前回は平日だったせいか学芸員がほとんどいなかったのですが、この日はあちらこちらで解説をしていただけました。
魚問屋さんにちょっとお邪魔しますよ。本物の良さというか、まるで他人の家にあがらせてもらっているような気分です。魚問屋としては成功した方のお家で、作りも豪華で浦安の中では大きいということです。

「この押入れを開けてみてください。中身も一緒にご寄付していただいているので、まさに生活していた様子がうかがえます。」
と学芸員。なにか人様の家の押し入れを開けて覗いているような、罪悪感さえ感じられます。
「押し入れの下を開けてみてください。そこには金庫があります。所有者も開けることが出来なくなってしまっているそうです。」

これは立派な金庫ですね。さぞやお宝がザクザクと眠っているのでしょう。
「エックス線で中を探索しましたが、残念ながら高価なお宝類は入っていない様子でした。」
本当かな~。そう言っておかないと、夜間に賊が忍び込んで持って行ってしまうからじゃないのかな?
タンスの中を開けるのも可でした。いよいよ空き巣のような気分です。

この傾斜の急な階段の上は、驚くべきことに子供部屋だったとか。子供にここあがれってか!公開の日には上がらせてもらえるのだそうです。またまた、来たくなっちゃうね。

店番の部屋は2畳に家具が置いてあるという狭小にもほどがあるという部屋です。俺たちだとうたた寝しちゃうとガラス破って庭に落ちちゃうね。

火鉢ですね。これも生活水準が高かったことを示すように、立派なつくりの物です。

駄菓子屋は現在でも営業中、私も懐かしいせんべいを購入しました。

声を掛けてやった方がいいと錯覚するほどリアルな展示です。

ベーゴマの実演と体験をやっているようです。今の子供たちじゃ回せないだろうな、ベイブレードならともかく。

焼玉エンジンには今日は火を入れないのでしょうか?
質問すると、土曜日限定なんだそうです。よし、次は日と時刻を合わせてくるぞ。

このかまどももちろん当時物、さらに現役で今でも実演しているということです。

まだまだ屋外展示も見て回ったのですが、今日の本筋は浦安に漁師町を面影を探すですから、ほどほどにして室内展示をご紹介しましょう。
べか船に乗れますよ。


S先生、海苔について驚くほどの知識を披露して驚きました。
「海藻の海苔を細かくするのに海苔きり包丁を使っていたけど、包丁を3枚平行に並べて叩けば効率が3倍になることに気がつき、発明されたのがこの飛行機包丁。」

「まだまだ時間がかかりすぎる、それならもっと歯数を増やそうと、しかしそれでは力が入れにくいので包丁の形でなくてもいいから上からつけるようにした突き包丁に、まだまだ面倒だ、いっそ肉をミンチにする裁断機をつかっちゃえ、と進化してきたんだよ。」

ここで私が一番驚いたのが包丁の名前です。飛行機包丁というなら、どう考えても1903年以降に発明されたことになります。それ以前には飛行機は存在しないのですから。日本で一般的に飛行機というものが目にされるようになったのが所沢でこれが19011年、少なく見てもそれ以前までは一枚歯の海苔切り包丁だったはずです。それまでの長さと、それからの進歩の速さに驚かされます。
博物館見学の紹介はこの辺までにして、いよいよ漁師町の面影を探しに行きましょう。
境川はべか舟に乗るコースとして整備されているようです。水路として使うことはできても、個人で桟橋を使用することが出来ないようにされているのでカヌーツーリングにはハードルが高そうです。

おっと、貝の業者を発見。もちろん現在も操業中です。まさに、浦安を感じさせます。

どうも境川沿いは面影が少ないですね。違うルートを歩いてみましょうか。

かつてを忍ぶモニュメントは散見するので、むしろ期待薄かな?

豊受神社に来ました。地図で見ると、この辺りは漁師町時代にすでに陸地の部分と思われます。

神社の隣が花蔵院というお寺です。こちらもなかなか大きくて立派なお寺ですから、想像するに漁師たちの多くが檀家にいたのでしょう。

いかにも漁師町時代から続くような寿司屋を発見。今度食べに来てみるかな。

妙に高級住宅街の佇まいになってきました。

この広い空き地には違和感を覚えます。考えるに旧家が立っていて、老朽化や相続などで立ち退きをしたのでしょうか?

やはり思った通りです、井戸がありました。浦安郷土博物館の魚問屋土間にもありましたね。そこで教えていただいたのですが、海が近いので塩分が混じり、魚を洗うのに使っても飲用には適さなかったということです。

この路地には井戸がいくつもありました。つまりここは漁師か、あるいは魚や貝を扱うなどの商売をしている人たちの仕事場だったということです。

近代的で非常に大きい邸宅と、大きいが時代を感じる建築物とが入り混じる不思議な町でした。

ここでも井戸が現役で使われています。

庚申通り商店会を行きます。名前からして古くからの町を感じさせますね。

かつて鮮魚店だった面影を感じます。

レクサスLC500!

庚申通りを行くとその最後に庚申様がお出迎えをしてくれます。庚申はかのえさるなので、猿が狛犬になっているのでしょう。

これまた魅力的な銭湯発見。漁師は潮に浸かるので風呂は大切だったはず、ここにも通っていたのかもしれません。

駅近くなってもまだまだ漁師町風情は続きます。焼蛤を看板に掲げる店もありました。

そろそろどこかで「海の幸」を胃袋で感じようじゃないか。

ここどうだい、店名も「貝鮮料理うらやす」と、いかにもいいじゃないか。

名前負けしないいい料理を堪能できました。

マグロのユッケ、うまいねー、これ。

近況から政治経済、それにこれから先の世界まで話は尽きることなく、何か注文しないと店に悪い感じがしてきます。マグロのカマ塩焼きでも突っつきながら語らうか。

浦安は漁師町の面影はほとんど残っていないとされているようですが、思いを持って歩くと意外なほど出くわします。今度は市場の方が空いている時間に行ってきましょうか。そして親友たち、また街歩きをご一緒に!