昨日は今年最後の公休でした。どうしようかな、風も強いし前日の仕事の疲れが抜けていないし。でも、空が青いぜ、俺に家でくすぶらさせない気だな。

CB250Fに火を入れ、中川沿いに北上します。松伏で富士山が綺麗に見えました。やはり、今日は出かけて正解でしたね。
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松伏から赤沼南交差点で県道80号へ、そしてR16を少し西へ走ったら岩槻駅側を通過してR122へ入ります。東北新幹線をくぐった先に、鴻巣左の看板発見。そうだ、鴻巣も寄って行こう。県道77号線を北上し、埼玉県警察運転免許センター前の通りへと出ました。丁度駐車場がありますね。ちょっと寄ってみましょう。
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おお、ダイワ食品選手の練習場ではないですか。
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ここで陸王を茂木選手に手渡しましたね。それは最初、ゴミ箱へ。どんな物でも、作った人、贈った人の思いが詰まっているのだから、貰い物は粗末にしてはいけないということを教えてくれるシーンでした。
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セルフシャッターで。寒いので着ぶくれしていますね。
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さあ、お目当ての行田市に行きましょう。いや、皆様何か勘違いしていらっしゃる?私そんなにミーハーではないですよ。ドラマ陸王は観ていましたが、ロケ地巡りなんかに行くわけがないでしょう。

水城公園に来ました。ここは陸王の履き心地を試したり、市民駅伝の練習やコースとして、あるいは飯山が妻と歩いたりする印象的なシーンが良く撮影されていましたね。いや、たまたま通りがかったものですから。
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駐車所を探します。おお、おあつらえ向きにバスターミナルに無料大駐車場があるではありませんか。ここへ停めさせてもらい、街歩きをしましょう。

バスターミナルが足袋藏の町を謳う行田らしく、このデザインの屋根がかけられています。ここ、陸王ではニューイヤー駅伝6区の出発地点にされ、こはぜ屋の面々が待っているところですね。
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そして6区を走る選手を乗せたバスが到着。降りてくる茂木裕人。足にはアトランティスRIIが。そしてこの建物の中に入り、準備を整えて出てきて降りる階段。あ、茂木選手は陸王を履いている!
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、、、、、、、。

ミーハーで何が悪い!


さて、行田を楽しむならまずは観光案内所で観光地図をいただきましょう。ここへ入ってみました。中には陸王グッズも売られていましたが、やはり本筋は足袋蔵巡りです。私もしてみましょう。
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行田は古墳、足袋、「のぼうの城」忍城、もちろん今年は陸王で有名ですが、この銅人形も39基もあり、観光名所の一つになっているそうです。
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地図を頼りに観光情報館ぶらっと行田へ来てみました。
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行田フライとゼリーフライが名物らしいのですが、どこで売っているかの情報がありませんね。とても残念です。
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店内の撮影許可を取りましたので、一部撮影いたしました。陸王グッズコーナーがここにもありました。
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手書きのポスターには陸王の物語が書かれていました。
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私も久しぶりに顔出しするか。いや違った、私のではなく茂木選手でした。
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社長の息子、大地君ですね。ちなみに高校生の娘の一番好きな出演者は、宮沢社長です。おいおい、役所広司だぞ、還暦過ぎているじゃないか!
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ドイツ製の足袋の前を立体的に縫うあのミシンも展示されていました。下にボビンがない、不思議な構造です。
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試着コーナーには、なんと!あの陸王のモデルになったきねやMUTEKIがありました。これ、欲しかったんだよな。ちょっとサイズ合わせをさせていただきます。
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靴底というか、足袋底は天然ゴムだそうで、非常にグリップはよさそうです。踵が出ていないので違和感を感じますが、なるほどこれで走ればミッドフット着地が強制されそうです。そして第一趾が分かれているのもしっかりと地面をつかめてよいそうです。いや、本当に欲しいな。
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履き心地は地下足袋そのものですが、やはり紐でしっかりと合わせられるのでいいですね。

地下足袋は沢登りでわらじとセットで使っていましたが、ウェーディングシューズに変えてしまいました。わらじの消耗を考えると経済的なんですよね。濡れた岩のグリップではやはりわらじにはかないませんでしたが、それほどシビアな沢にはアタックしていないので十分でした。次に沢に行くときには、もう一度地下足袋にしてみようかな?

地図を頼りに足袋とくらしの博物館へ。28日ですが、もう年末休暇に入ってしまっていました。ざんねん。
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秩父鉄道行田市駅です。ここから大地は会社の就職面接へ出かけていました。
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駅前交番も行田市らしく、忍城をかたどっていますね。
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町をプラプラ歩いていると、こんな建物と出会えます。そのすぐ向こうにショッピングモールがあるので対比が面白いですね。いずれ呑み込まれてしまうかもしれませんが、ここに観光客を呼ぶのはむしろ手前でしょう。
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スタンプ用紙の販売をしていました。町の中でスタンプコレクションができるのでしょうか。
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R125へ出たところに、十万石饅頭の本店がありました。シルクレイ製造特許を持つ飯山の元へ宮沢社長が持って行く手土産がこの十万石饅頭だったそうで、これはぴったんこかんかんで知ったのですが、埼玉では知らない人がいないというくらい有名な菓子舗だそうです。建物がまた素晴らしく、明治16年に棟上げされたと記されています。菓子店の前は足袋藏だったそうです。

ここでちょっとお買い物。
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さて、行田観光地図を頼りに街歩きを続けましょう。田代医院発見。いやこれ、地図に紹介されているわけではないのですが、梅ちゃん先生を思わせる昔懐かしい、消毒液の匂いと痛い注射で子供の泣き叫ぶ声が響きそうな廊下のある建物なのでつい、見入ってしまいました。
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そのすぐそばにあるのがイサミコーポレーション工場。鋸状の屋根を持つ昔ながらの足袋工場で、現在も稼働中でした。
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藏もすばらしいですね。大谷石を立ててコンクリートで固めた強固なつくりだそうです。
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そろそろお腹が空いたなあ。ここで食べるか。あれ、閉まっている!
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お腹空いたなあ。あ、これジャイアントリバイブだ!捨ててあるのかなあ、だったら欲しいなあ。持ち主の方、もしこれ見ていて不用品だったら連絡をください。
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歴史があるというか、放置されているというか、微妙な建物が多いのも行田の姿ですね。
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次は、ここです。イサミコーポレーションスクール工場です。いや、そういうよりこう言った方がぴったり来ますね。

「こはぜ屋本社工場」
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たまたまここに居合わせた若者のカップルの男にシャッターを押してもらいました。手にしているのは、そう、十万石饅頭で買った陸王饅頭です。
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ここにも石蔵がありました。これは昭和2年というから、1927年ですね、丁度90年を迎えていますが、今でも現役で使用されているということです。行田の奥深さを思い知らされます。
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新町のアーケード街です。ここも佐野岳扮する毛塚が熊谷シティマラソンで激走するシーンが撮影されていたそうです。
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さすがにお腹すき過ぎ、もう2時近いじゃん。市役所前のうどん屋、大地へ入ってみましょう。
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注文したのは蓮と茄子の揚げ物坦々うどん。汁なしですよ!うどんを食べ終わったら、野菜のスープを入れてタンタン汁を楽しむことが出来ます。うまい、うますぎる、大地の坦々うどん!ちなみに足袋を履いていくか、観光目的での来店なら割引が受けられます。そう説明する店員の足物はなんと杵屋MUTEKI!
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忍城も見てきましょう。のぼうの城の舞台ですね。映画は観ていないのですが、鎖骨骨折の入院時に本では読みました。
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本来もっと大きなお城だったのですが、明治維新時に取り壊されてしまったそうです。本当に維新はろくなことをしない。
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門をくぐって裏へ回ってみましょう。
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ぐるっと回ってきました。ちなみに、楽しみにしていた郷土博物館は年末年始休暇に入ってしまっていました。なんてこった!

近隣の小学校の門に、成田御門の跡の碑が立っていました。結構大きい城だったことがうかがえます。
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行田は石造りの商店が多いのが特徴ですね。利根川が近いし、見沼代用水もあるし、水運に恵まれていたので石が安かったのでしょうか?
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C57「貴婦人」の静態保存です。屋根がないのが残念ですね。
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再びバスターミナル駐車場まで戻ってきました。思った通り、陸王饅頭とクルミ餅、きな粉餅はタンクバッグに丁度でした。これ以上は買えないなあ。ツーリングネットでも持ってくればよかったかな?
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さて、せっかく行田に来たのだから、古墳も見ていきましょう。古墳公園に立ち寄りました。前方に見えるのが丸墓山古墳で、日本最大の円墳だそうです。日本最大という文化財ですが、そこに何と!石田三成は陣を張ってしまったとのこと。そこに通じる道が一段高くなっていますが、これは石田堤と呼ばれる堰堤で、あの忍城水攻めの時に作ったものだそうです。5日間で全長28㎞の堤防を築いたとされていますが、このたかさじゃあねえ。
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三成が登った古墳に私も登ってみました。忍城が見えますね。ここからあそこまで水に沈めたのは大したものと言えば大したものですが、この浅さではねえ。水攻めは秀吉の思い付きで、むしろ三成は反対だったとか。現場無視、上意下達はこのころからすでに害悪であることがはっきりとしています。なんで今でもこうなんでしょうか。
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次は稲荷山古墳に登ってみました。前方部は土を取るに使われてしまって、後に復元したのだそうです。何考えて土取ってしまったのでしょうか、悲しいものです。
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将軍山古墳には埴輪が沢山立てられています。その代わり上ることは許されません。この下に展示館が入っていました。
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ここで最大の前方後円墳、二子山古墳は一部復元作業中でした。行田市民マラソンにも使われていましたね。
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と、まあドラマ陸王のおかげで興味を持った行田市でしたが、陸王抜きにしてもなかなかに興味深い街でした。いままで行田と聞いてもさきたま古墳群というイメージしかなく、すぐそばを見沼代用水緑のヘルシーロードが走っているので自転車では何度も通過しているのですが、立ち寄ったことも、そもそも立ち寄る気もありませんでした。

ドラマのおかげで足袋の生産量が全国一であること、今でも足袋蔵が残っていることなどを知り、さらに熊谷市だと思っていた忍城が実は行田市役所すぐ隣だったなんて、自分の不明さに本当に行田の皆様には今まですまなかったと思う次第です。

さきたまという地名が埼玉県の名前の物になった事は知っていて、浦和、与野、大宮が合併して市の名前を決めた時に、さいたま市としたことに違和感を感じていました。おいおい、そっちぜんぜんさきたまじゃないじゃん。行田市には是非、「元祖さいたま市」を名乗ってもらい、県庁所在地に喧嘩を売ってもらいたいものです。行田なら勝てます、落ちない城、忍城の城下町ですからね。