2010年夏、常念岳~大天井~燕岳縦走中、テント場で妻に定時連絡をしました。私専用の携帯電話をようやく買ったばかりで、今ひとつ使いこなせていなかった時期です。
 
「急に山行きたくなったの、山行十話読んだからでしょう。」
「そんなことないよ。ここ毎年ずっと山行っているじゃない。一人で行くのが久しぶりなだけでしょう。」
「だって、コースもダブっているから。」
 
それほど単純な動機ではないんだけどなあ、と思いながらも、全否定できないのも事実です。
 
その年の山行は娘と妻を連れて北沢峠から仙丈を登頂しました。片頭痛に悩まされて激しく嘔吐、妻に荷物を持ってもらってなんとか馬の背ヒュッテまでたどり着いたのはアサヨ峰記で触れています。その前年までだと、息子のサッカーチームの合宿へ私も参加していたので山は1回きりでしたが、この年から中学生、体が空くので山に行くことにしたのです。
 
ちょうどそのタイミングで読んだのが山行十話。高校の山岳部が常念から槍ヶ岳に行き、大キレットの方から来る筆者と合流する話が書いてありました。私の行ったことのない山でしたので、行ってみたくなりました。一番の目的は、いずれ妻子を連れて行くための下見という意味ですので、それを念頭にルートを選びました。そこで、鎖場の嫌いな人たちでも行けるルートとして表銀座を選定してみたのです。
 
前回のコメント欄で予告した通り、今回の話題は近年私が最も読み返す回数の多い本、「山行十話~晴れの日ばかりが山でなく~」にいたします。十の山行の話をまとめた、ライトなガイド本と思いきや、なんとも表現のしようもないほどの重たい内容までも含む、山にまつわる人々の記録です。高校山岳部顧問の筆者は部員の遭難、山に同行した同僚教諭の病死といった重荷を背負って生きています。その心の内と関係する人々のことが綴られています。
 
執筆者は私のブログの友人、山のMochiさんとも関わりのある方です。私もずいぶん前ですが、お会いしたことがあります。高校社会科の教諭でした。
 
さて、本の中についていくつか紹介しましょう。まず楽しく読めるのは1話、南アルプスの南、茶臼岳登山の記録です。高校生たちのなんとも楽しそうな様子と、天候と装備の古さに苦しめられるようすが鮮やかに描かれています。ゲートの門番の役人的態度など、読んでいるこちらも同じような目には数度あっているので一緒になって怒ってしまいます。赤石岳が遥かになってしまうのはコヤツのせいです。ここに、1年生の中にとびきりの山バカが混ざっていて、その片鱗が見えるのですが。
 
そして2話、まさにその、1年生の山バカが丹沢に消えるのです。通報の致命的な遅れを生む連絡体制や、計画書が2通あり、相違点が認められて搜索に障害になってしまったり、確保もせずに滝へ取り付いたりと多くの無謀な点があからさまになっていきます。高校生のレベルをはるかに超えた冒険で、山岳部としては予想外の行動でした。
 
その2話は、私の山行計画書の基本をなしている柱の一つです。書き方などは大学時代のワンゲルの計画書になぞっていますが、実際の遭難で役に立つ計画かどうか、それが理解してもらえる書き方をしているかどうか、はこの本(正確には前著、今日も山の話)を元に考えることにしています。
 
実はこの「消えた少年」のお父様もそのことを本にまとめています。「亮太~父と子の山~」私が高校に入学し、ワンゲル部に入部することを父に申し出たその日、この本を与えられました。父の視線から見た親子関係と、高校生活、そして遭難の話。考えさせられることも多くありましたが、山岳技術や確保用具の自作など、憧れという余計な感想を持ってしまったのも事実。まだ高校生だったからでしょうか。もちろん、多くの人への迷惑と与えた悲しみ、そして親の落胆に、慰めようのない深さは感じ取っています。
 
さて、なにゆえ何回も読み返してしまうのでしょうか。ひとつは私の教養不足で一回読んだだでけは意味が通じない点があることもあります。特にヨブ記の部分は聖書に関する知識の極めて乏しい私には難解であります。それでも読書百遍、意自ずから通ず、のことわざもある通り、なんとなくわかる気もしてきました。
 
しかし、もちろんそれだけではありません。わかりやすく書かれているところでも何回も読み返してしまうのです。
例えば山行計画の時に
「そういえばこの山からあのルートが見えるな。」
と気がつくとその部分を読み返したくなり、帰ってきてからまた読むと、ああ、なるほどここのことだったか、となるのです。新田次郎の小説でも同様の楽しみはありますが、あちらはあくまでも小説、脚色が混ざっているのです。山行十話は全てノンフィクションなのでその楽しみは格段に上です。
 
そして読み物としても面白いのです。バッカスO崎さんの逸話など、抱腹絶倒間違いなしと言い切れます。
 
この山行十話には私の行っていない山がまだまだ多くあります。見たことのない景色でも、美しい表現で綴られているので楽しく読めてしまいますが、実際に行ってみないとこの作品が本当に表現したかったことはわからないでしょう。何年もかかりますが、完登したいものです。
 
1話から10話まで全部紹介、解説したいところですが、まだお読みでない方もいらっしゃるでしょうから、ここまでにさせていただきます。ちなみにアマゾンなどで購入可能です。
 
名著に導かれて、(あるいは騙されて)また山への思いを抱いてしまうのです。
 
この本の紹介を持って、「私の師3部作」を終了します。字ばかり無駄に長い文章にお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。