先日、中学生の時の担任とスキーに行った話は前回のブログに書きました。長々とおしゃべりをしたのですが、その中で大変に懐かしい名前が出てきたので、今日はそれを取り上げることにします。
 
ガンちゃん先生です。彼は数学科の教諭として、私の中学入学と同時に、新卒で赴任してきました。
 
当時はツッパリブームとかで、マスコミがそれを肯定的に取り上げたりするものですから非行が流行のように蔓延していて、校内暴力、いじめなどが頻繁に発生して我が校も在学中に新聞沙汰を起こしたこともありました。クラスの誰がかとんでもないことをしでかすと、そこは担任か生活指導の出番、今では確実に問題になる方法で指導しておりました。しかし、それは崩壊を防ぐぎりぎりの線であり、それ以下では校内治安の維持に効果的ではないと親も生徒自身も思える範囲内から逸脱していなかったとは思います。
 
ガンちゃん先生はそんな荒れている下町の中学校に新卒でこられ、面食らっていたかもしれません。
 
私のクラスの副担任となった彼は、ホームルームの時間等で話をする機会が数多くありました。新潟県のご出身で標準語の取り扱いがあまりうまくないのですが、一生懸命話す内容を練り上げて来ているようで、聞きごたえのある話をピタリと時間内に収めていました。ラジオ番組を録音してこられ、それを教室で流して聞かせてくれたこともありました。10代で病気で亡くなった方の、最後の日記の朗読であったと記憶しています。また、小学生の時に新潟地震に遭われ、液状化したり、建物の倒壊した恐怖を語ってくださいました。
 
その彼の趣味が登山でした。私の父もハイキング程度はやっていたので、小学生時代に秩父や武蔵野の方へ時々連れて行ってもらっていたのですが、彼はもっと本格的な山男でした。ホームルームでは担任が見ているせいもあり、余談雑談はほとんどないのですが、数学の授業では誰も見ていないのをいいことにかなり山の話が挿入されていました。
 
「朝、目が覚めてテントから出てみたらガスってて真っ白、本当に自分の足も見えないくらい濃い霧で、まいったなあ、と思っていたんだけど、そのうち日が昇る時間になったらまん丸の小さい虹が下の方に見えて、その虹の中に影が映っているんです。俺が手を振ると影も手を振って、これブロッケン現象と言うんだけど、、、、」
 
数学の時間は大好きで、いつ山の話が出るんだろうとワクワクして待っていました。問題を解きたいという気持ちは全く起きませんでしたが、山に登りたいという気持ちだけはどんどん膨らんで行きました。
 
見かけはいわゆるイケメンではなく、天パ気味の髪に理屈っぽさを感じさせる眼、全身から「数学科ですよ」オーラを出していました。社会科の三浦友和と言われるイケメン先生などもいる中で、女子の人気はそこそこだったように記憶していますが、山の話をする彼は私には抜群にかっこよく思えたものです。
 
その秋、授業中にとなりのクラスの担任の話をし始めました。
 
「○○さんは怖い人だよ。今度の連休どうするの、というから○○山登ってきますって言ったら、今は勘弁してくれよ、給料日前で香典出すのが辛い、って言うの。」
 
私、すかさず手を挙げて、先生、質問!
 
「連休明けの自習課題は作ってから行くんですよね?」
 
クラスはどっと湧いたのですが、ガンちゃん先生、かなり真面目な顔で
 
「帰ってくるよ、何言ってるの。」
 
まだまだ余裕が足りないな。私の期待は
「そういうこと言うと課題の量増やしてから山行くぞ!」
だったのですが。仕方がないか、まだ半年だ。(こういうこと言うから先生方に生意気だと嫌われる)
 
そんなガンちゃん先生が大好きだったのですが、卒業以来会うことはありませんでした。そして私は数学嫌いなまま高校へ進学してワンゲル部で山にのめり込み、現在に至るわけです。思えばスキーだってワンゲル部で冬山登山のために仕込まれた訳で、今滑りが楽しめるのもガンちゃん先生のご指導のおかげかもしれません。
 
隣のクラスの担任、怖い人○○先生は3年生で私の担任となり、こちらは現在に至るまでお付き合いさせていただいております。ご存知の通り先日のスキー旅行でご一緒致しました。スキーに行ったというより事実上しゃべりに行ったに等しい旅行でしたが、その中でガンちゃん先生のその後について伺うことができました。ご結婚され、新潟に戻られたとのことです。わが町に開校される大学にご子息がいらっしゃるということで、こちらにこられることもあるとのこと、御大を訪ねてくることもあるというので、その節には是非とも私もお呼びいただきたいものです。
 
もうすぐ還暦になられるガンちゃん先生、今でも息子さんと山登りをされているとのこと。あなたの一番最初の山の弟子は歩荷要員としてお供いたしますよ。


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なんかホロリだなあ! 貴殿は幸せだったかも。
ボクはあいにく中学でも高校でも、自分が心底納得できる教師はいなかったなあ。そこそこいい教師はいたけれど。
ボクがそもそも学校嫌いだったからかも。 削除
2013/2/22(金) 午後 9:25
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通学の幸せ、それは私も思います。学校はさまざまな問題を抱えてはいましたが、本当にいい先生たちに巡り合えたと思っています。卒業式にはツッパリ少年たちもみんな目を真っ赤にして泣いていました。

とにかく楽しく、有意義な中学校生活を送ることができました。そのせいか、その当時のことはいろいろな場面を鮮明に覚えています。卒業後もそこで得た物は人生に有効に使われております。 削除
2013/2/22(金) 午後 11:15
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