今日のネタは70年代を知るオールドファンのみ対象です。
会社の同僚にしてチームブラッカンのメンバー、Nさん。年齢はちょうど一回り私より若いのですが、何やら年代物のロードに乗っているとだけ聞いていました。なんでもお父様が若いころにカラビンカでオーダーしたものとか。
ヒルクライムレースに出るに当たり、えらくハイギアードで困っているとのこと、もしできるなら私の手持ちの部品を貸そうかと思っていました。そこでどんな部品構成か聞いてみると、なんと!初代デュラエースで組まれているというではありませんか。初代なら、本当はジュラエースと書かなければいけないところ。1972年が発売開始、マイナーチェンジをしながら作り続けられ、78年にEXへモデルチェンジ。おそらくその間に組まれた車体でしょう。最初期には、リアメカはクレーンだったと記憶しています。
実車を見ていないのでこれ以上のことはわかりませんが、機会を作って鑑定して見たいと思います。山のMochiさんのHOPE マナスルに続き、この時代の物に縁のある今日この頃です。
70年代前半と言えば、学生運動の最後の方に当たり、車でいえば2代目カローラ、軽だと空冷2ストスバルR2や同じく2スト3気筒RRのフロンテ、ど根性のフェローマックス。新幹線は0系、北海道に行けばまだ現役でSLが走っていて、テレビ電話はウルトラ警備隊のビデオシーバーだけ(こちらは60年代ですが)、そんな時代です。
自転車の部品はイタリア、フランス、イギリスがロードの主流、大雑把ながら合理的なアメリカ車もぼちぼち発展してきている、そんな感じで、日本の物は猿真似、低品質、レースでは使い物にならない、とされていました。日本のレーサーたちも、一流どころはイタリアカンパニョーロを使うのが当たり前だったと聞いています。しかもイタリア部品が流通した陰には、「敵国部品なんか使いたくない」といって、フランス、アメリカの部品の輸入に踏み切れなかった重鎮がいたという、ものすごい時代だったようです。
デュラエースはモデルチェンジをしながら発展し、今では押しも押されぬ高級コンポ。プロロードでの使用も当たり前になり、現行1代前の7800系はフルセットで私のバイクにも搭載されています。
驚くのは灯油ストーブで、ほとんど姿を変えずに今でも作り続けられていることですね。学生時代には「ラジウス」と呼び、風雪の北鎌尾根では「ラジュース」と呼ばれていた灯油ストーブ、オールドストーブ&ランタン収集家のカヌー仲間、M氏にその呼び方は間違いです、と教えていただきました。ラジウスは会社名で、「マナスルのラジウス」ではインドにおける「トヨタのスズキ」みたいなものだそうです。それ以来、携帯型灯油ストーブと呼ぶしかなく、ちょっと困っています。やっぱりラジウスがぴったりくるんだよね。
ストーブにしても、自転車にしても、大切に使えば本当に長持ちします。そんな古い自転車で速く走れるのかって?心配無用、だってエンジンは俺の自転車のそれより、12年も新しい新式だぜ。そんなわけで、チームブラッカンでは一番歳くっている俺はびりを覚悟しています。俺より遅いチーム員がいたら、そりゃもうペナルティものだな。チーム内びりはレース終了後の昼食おごるっていうのは当たり前すぎるかな?
運動会に出られなかったけど、ヒルクライムレースは大人の運動会だよね。楽しみだなあ。70年代物と言えば、カメラもあった。こっちは話が長くなるから、また今度にします。いや、デジカメ使っちゃうと、銀塩フィルムは面倒でね。冷蔵庫にリバーサルが入っているままになっているけど、いつ使おうか。
つーか、何回か一緒に龍勢参加してるけど一度でも俺が三毛ジャガーさんのタイム上回ったことありましたっけ?いや無い。