2012年9月5日 山行2日目
 
朝4時起床。今日は日程に余裕があるので、ぐずぐずと朝食の準備。朝はアルファ米とフリーズドライクリームシチュー、これは備蓄用食料の期限切れをもらった物です。期限が切れてから早10年。それに八ヶ岳の残りのインスタント味噌汁。いずれも食器を汚さないので朝には最適です。
 
昨夜雨に降られたので、テントには結露がありました。しばらく干したり雑巾で拭いたり、この雑巾は硫黄岳の登りで拾った東八甲田温泉タオルですが、ザックになるべく湿気を入れないようにしました。ある程度きれいになったら、しっかりとパッキング。
 
5時40分テン場スタート。まずはコースタイム3時間のアサヨ峰への登りです。登り始めて20分足らず、茶皮のケースを発見。あ、そういえば昨日頼まれていたっけ。気圧高度計発見、回収しました。あのおじ様も、喜ぶぞ。
 
樹林を抜けると、素晴らしい展望がありました。北岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、遠くには八ヶ岳、金峰、そしてうっすらではあるけど富士と、雲海に山だけが浮かんで見えていました。北東側すぐ下には甲州街道。北岳を登っている時には山深さを感じていましたが、早川尾根が視界を遮ってくれていたおかげなんですね。意外に下界が近い感じがしました。
 
早川尾根小屋周辺では携帯電話が圏外だったので、家族に定時連絡できなかったのですが、ここでアンテナ3本建つ感度になったので、一応電話しました。あちらでは落雷が激しく、雨も結構降ったということ。
 
地図にあるミヨシの頭で、30分ほど休みます。展望を楽しみ、早川尾根小屋のおいしい水を飲み、レーションを食べ、ゆっくり過ごしました。ところで、本当にここミヨシの頭か?まだ前方に小ピークがあるぞ。昭文社の山と高原地図では、不幸なことに線と文字が立て込んでいて等高線がよく見えません。
 
「国土地理院1/25.000原本に磁北線を書き入れて持って行け。」
天の声が聞こえてきそうです。
 
アサヨ峰は結構な斜度の登りです。頂上は見えているのに、なかなかつかない意地悪山の一つでしょう。
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結構体力は使いましたが、8時38分、アサヨ峰到着。ここからの眺めは本当に素晴らしいです。北には真っ白な頂の甲斐駒ケ岳。まだ摩利支天は本体に同化してはっきりとした姿ではありません。
 
南に目をやると、北岳の向こうに間ノ岳、その右には特徴的な東峰を持つ塩見岳。するとその間に見えるのは荒川岳か?いちばん右、はるかかなたはもしかして光岳!南アルプスは本当に奥深いと実感します。
 
山行十話第4話、ロバの山靴で、北岳肩の小屋のテン場で嘔気に襲われる話がありますが、この地では私は実際に吐いています。あれはもう5年前、娘が小学1年生、息子が4年生の時。2人を連れて、広河原から入って白根御池小屋で幕営。娘は空身にしていたのですが、担ぎたいというのでザックからエクストラポケットを外して、タオルを詰めて持たせてやりました。次の日、草スベリを登り、肩の小屋でテントを張って、北岳にアタック開始。肩の小屋のテン場は風が吹き抜けるので、テントは厳重にペグダウンし、大きな石をを括り付け、中にザック、さらに石まで入れておきました。
 
さて、北岳に向けて歩いていると、目の裏に痛みを覚えます。ああ、来ちゃったな、と感じました。片頭痛持ちなので、疲労しているときの高高度に弱いのです。とにかく頂上へ、と到着し、登頂記念写真撮影。風が強く、ガスが出たり晴れたりと、めまぐるしく変わります。いよいよ頭痛がひどく、ここで休みたかったのですが、子供もいるのでテントまでまずは戻ることにしました。真ん中ぐらいまで下りてくると、自分たちのテントが見えます。激しい頭痛でしたが、あそこまで戻れれば横になって休める、と自分を励まし、むしろ子供たちに遅れ加減の足を速める努力をしていました。すると、なんと私たちのテントを含む、テン場すべてのテントが一斉に宙に舞いあがり、谷へ落ちていきました。なんてこった!!
 
とにかくここにいては何にもできないので、急いで肩の小屋まで下りました。到着すると、私たちの荷物は、他の登山客らに引き揚げられていました。もっとしっかり固定してくださいね、と言われ、謝り、そして礼を申し述べました。
 
テントは細引きが引きちぎれ、入れて置いた石でフライと床に穴が開いていました。しかし、このVL31はペラペラな生地の割には意外なほど丈夫で.、それ以外に被害はありませんでした。
 
テントを岩の陰になるところに張りなおし、荷物を整理するころ、疲れと頭痛はピークに達し、ついに嘔吐。携帯トイレを出し、その中へと思ったのですが、間に合わずテントの中から顔を出してそこへしてしまいました。
 
夕食は息子に作らせ、私はシュラフに入ってとにかく体を休めました。彼は妹と二人で食事をして、食器も片付け、自分たちも早めに就寝。とにかく一晩休めば何とかなると考え、眠りにつきました。次の日、朝4時起床。もう頭痛はなく普通に下山、広河原で合流する予定の妻とも無事会えました。
 
さて、話は長くなりましたが、まだまだ嘔吐ネタは続きます。ここアサヨ峰から、小さく見える馬の背ヒュッテがその現場です。一昨年仙丈ケ岳に登った時のこと。テン場のないこの山、仙丈小屋に予約を取っておいたのですが、馬の背ヒュッテ手前300mで激しい頭痛に襲われ、いきなり嘔吐。激しい嘔吐で口だけでは間に合わず、鼻からも吐物が出てきました。横になると楽になるので、そろそろいけるかと立ち上がって3歩あるくとまた嘔吐。妻と娘と3人だったので、馬の背ヒュッテに先に行ってもらい、仙丈小屋へ予約の取り消し、そして馬の背ヒュッテへ宿泊の申し込みをしてもらいました。
 
荷物を置いてきた妻が、私を迎えに。そしてザックを妻に持ってもらい、空身で、しかも数歩ごとに吐きながら何とか馬の背ヒュッテへ到着。他の宿泊客、小屋番の方々、皆さん心配してくださいました。宿泊客の中に、サチュレーションモニターを持っている方がいて、計測していただきました。94パーセントでした。軽い高山病と、片頭痛の相乗だということが確認され、まずは一安心。小屋で一晩休むと、次の日には完全回復。無事仙丈頂上に立つことができました。この日から、「あなたが無事なのは私と娘がいたから」、と言われ続けています。
 
嘔吐の思い出はこの辺にして、北西の展望へ。このすぐ先に栗沢山が見えます。この山へ通じる尾根は見る限りかなりの険しさです。ゴロゴロとした大岩が散らばっていて、しかもかなりの急傾斜。時間だけはたっぷりあるのでゆっくりじっくり楽しみながら行くことにします。9時12分、アサヨ峰を出発。
 
10時12分、コースタイムの1時間ちょうどで栗沢山山頂へ。アサヨ峰では同化していた摩利支天がはっきりと見え、間ノ岳は北岳の陰から出て、ますますはっきりとその存在を示しています。
 
ロバの山靴では北岳から間ノ岳、塩見岳と抜け、塩見小屋で幕営したとあります。現在、塩見小屋は残念ながら幕営禁止になってしまっています。長大な縦走路が一目で見渡せるこの山は、その時の合宿参加者が登ったらさぞかし感慨深いことでしょう。一度登ると、何度も反芻して楽しめるのが山旅のいいところの一つです。1984年ということなので、私も実はその時の高校生と同年齢。その年、私は白馬大雪渓を登っていました。
 
ここからは仙水峠へ降り、西に下ればすぐに仙水小屋です。この調子では午前中についてしまうのでゆっくり景色を楽しみました。朝からまだ誰にも会っていません。アマチュア無線をやれば結構飛びそうですが、バッテリー残量がないのでここで使うわけにはいきません。単三電池が使えるバッテリーボックス持ってくれば良かったな。非常用にも必要を感じます。
 
レーションを食べ、水を飲み、いい加減飽きた10時32分、下降開始。ここも激下りです。斜度がきつく、岩場もあるので慎重さが必要です。やがて樹林の中に入り、斜度が緩くなってきたところで、上下自転車ジャージを着た単独行の女性に出会いました。
「こんにちは。自転車ジャージですよね?」
「そうなんです。」
なぜ、という疑問を持ちました。しかも、短パン半袖。上はまあ許せないこともないが、レーサーパンツはどうしてなんでしょう。数々の不思議を持つ方です。
「上の景色、は、いいですよ。登り、も、いいです。」
ふふふ、と笑い、頑張ります、と登っていきました。ヒルクライムの訓練なんでしょうか。
 
仙水峠には11時23分到着。ここに遭難者碑がありました。このまま下るとやはり午前到着ですが、まあテン場でゆっくりするのも悪くないかと11時30分出発。ゴロゴロした岩をひょいひょいと飛んで下ると、あっという間に仙水小屋に到着。テン場代を払い、幕営しました。
 
ここの水はボーリングした水で、水温4度と書いてありました。これまたおいしい水です。この水を4ℓ汲むと、これだけでテン場代の元が取れたようなもの。テン場代、もっと高くてもいい気がしますね。もちろん安い方が助かりますが。
 
テント場は何カ所かに分かれていて、私は小屋に近いところに張ったのですが、ここに張ったのは私だけ。ぜいたくに使わせてもらいました。フットプリントを干し、シュラフ、カバーなども干しました。登山靴の中敷きを抜いてこれも干しました。
 
フットプリントが乾いたところでテント張作業。フットプリントはモノフレームシェルター用は発売されていないので、幅が同じ150cmのVL31用の物を使っています。長さが足りない分はあきらめ、角が出てしまうところは折ってテントの中に入れて使用しています。これがあると、テントの床を傷めにくくなるし、湿気が上がってくることを防いで快適に過ごすことができます。ザックの容量が不足するとき、あるいは少しでも軽くしたいときには真っ先に召集されなくなる身分でもあります。
 
1m×2mのKマットをテントの中に敷くと、こんな感じ。
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天井にはループが3カ所あり、細引きを通して干したり、ライトをつるすことができます。そんなところも、中間とはいえ、ツェルトより、ややテント寄りの設計です。重いライトを吊るのは問題ですが、コンステルLEDなら軽量なので全く負担になりません。この中に座ると、前後には余裕がありますが、左右には動けず、そこはやはりツェルトっぽい感じです。
 
昼寝をして、記録を整理し、それでも時間が余っているので、アマチュア無線を傍受していました。受信だけならあまり電力は食わないはずです。
 
さて、本日の夕食はフリーズドライのカレーと缶詰のきんぴらごぼう、みそ汁、食器を洗ったお湯で作るキャラメルマキアートとこれまた豪勢な感じです。
アルファ米を炊く時の、蓋の重りに水を入れたコッヘルを使用すると、水がかなり温まって時間と燃料の節約になります。
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シュラフに入って一眠り、けたたましい笑い声で目が覚めました。楽しいのはいいのですが、もう少しほかの登山者のことも考えてもらいたいところです。小屋には複数のパーティーがいたので、寝ている訳ではないかもしれませんが、静かな秋山を楽しみに来ているのにすぐそばであれをやられたらがっかりでしょう。
 
そのうちに空が光るのを感じました。稲光です。幸い空中放電のみで、落雷には至っていないようなのでテントの中で様子を見ました。かなりしつこく放電していましたが、夜も9時を過ぎる頃おさまってきました。明日はなるべく北沢峠11時15分のバスに乗りたいので、早く起きるつもりです。