2014年2月6日
とうとう最終日になってしまいました。あとは帰国するだけ、なわけはありません。仁川空港行きの集合時刻はホテルに15時です。それまでは観光しなくっちゃね。
朝ごはんは、昨日ナンタでもらったお菓子とコンビニで買ったクッキー類を食べて済ませました。ずっとお腹いっぱいの旅になってしまったので、食べ歩き用にお腹に隙間を作っておくことにしました。
8時、ホテルをチェックアウトします。ただ、空港までの送迎車がお迎えに来るのはここなので、スーツケースは預かってもらいました。
今日はどこへ行こうか?やはり、行き損ねている宗廟へ行ってみましょう。9時から日本語ガイドの時間です。まずはそれに参加します。
地下鉄に乗り、鍾路3街で降ります。まだ8時30分です。しばらく散歩して時間の調整をしましょう。
木の上に鳥の巣を発見しました。
宗廟付近は宝石商が集まっています。せっかくだから妻に何か良さそうなものを買ってあげようかと思いました。何しろ勤続20年、頑張ってきたのですから。その、感謝を込めて。
でも、石には興味がないと見もしませんでした。そのうちに9時になり、入場料を払って門の前に集まります。スピーカーをぶら下げたガイドさんが登場。いよいよ宗廟の見学スタートです。
ここでも通路の中央、高くなった所は神様の通り道、歩かないように指示されます。
宗廟といえばこの写真ですね。
ここに位牌を収めています。その前の石畳は霊を慰める式を執り行うところ、位牌は体を失った祖先の魂を宿らせるのに使うということでした。
「世界遺産に指定されていますが、実はこれ、2代目なのです。初代は日本の秀吉の軍が朝鮮出兵の際、破竹の勢いで進撃し、ここソウルまであっという間に攻めてきました。王様はソウルを捨て逃げ出し、その時に焼失してしまったのです。」
宗廟焼失はガイドの李さんにも伺った話です。私が歴史の時間に習った記憶では、晩年の秀吉が朝鮮出兵にこだわり、出ることは出るが、朝鮮と明の軍に阻まれて平定できず、やがて秀吉の死去で終了した。進軍も家康や正宗はぐずぐずと出なかったくらいで、士気が低かった、であったのでは、ないでしょうか。
しかし、朝鮮側から見ると、朝鮮3国時代から李氏朝鮮になり、戦の時代はひと段落、平和な時代になったのに、いきなり秀吉軍が攻め込んできてほぼ占領、多数の生命を奪い、李王朝の文化財焼失などの被害を受けた、となるようです。
李舜臣の亀甲船が活躍して秀吉軍を苦しめたという話をしたら、
「んー、日本の人は秀吉軍が苦しめられたっていう人多いんですけどねー。実際は伝説みたいなもので、本人左遷されたりしていますから。」
秀吉~、何やってくれたんだよ。だからやめておけって言ったじゃないか!
宗廟の見学は50分ほどで終わりました。もっとじっくり見たい気もしますが、自由見学は土曜日のみ、保護のためにこのような形態になったということですから、致し方ありません。でも、なかなか見ごたえあり、来てよかったところの一つです。
さて、次はまだ見ていないところ、景福宮を見に行きましょう。地下鉄は5回目なので、キャッシュビーカードへチャージが必要でした。100w硬貨があるのでそれで必要分を、と思ったら最低でも1000wでなければチャージできません。ちょっともったいないなあ。でも日本のスイカやパスモは1000円単位、韓国は実質100円単位だから良心的な方か。
門番と記念撮影しました。絶対に笑わない、動かない辛い仕事ですね。交代式面白いのだそうですが、残念ながら見ることはできませんでした。
いい加減にお腹が空いていました。どこかに売店でもないかなあ。あ、この門の名前は!「生協」があるじゃないですか。よし、ここへ入りましょう。
さて、生協では何売っているのかな?太鼓の音が聞こえてきます。ああこれか、軍事訓練しています。そうか、もうじき米韓合同軍事訓練がありますから、それの練習ですね。
お腹がすきすぎてギャグもさえません。しかしさすがは「門生協」をくぐったところです。売店がありました。そこで魚肉ソーセージを温めた物を売っていたので購入しました。
あつあつはふはふ食べ、お腹が一息ついたところで入場券を購入し、景福宮へ入ります。
こちらは世界遺産にはなっていませんが、どうしてなのでしょうか。昌徳宮より数多くの建築物があります。そしてその一つ一つが大きく豪華絢爛です。これは王様の政治処でしょうか。
王座はもちろん豪華、北京との共通点を多く見ることができます。
寒い地方ですから、オンドル用の煙突がついています。
これは迎賓館でしょうか。ガイドがいないと辛いですね。
さて、外国人が多く訪れていましたが、必ずしもマナーが良いわけではありませんでした。障子で中が見えない部屋がありましたが、なんと10歳くらいの子供が中を見ようして、障子に穴を開けようと指で突っついているのです!
「NO!」
とその子の手を取り、やめさせました。親はすぐそばにいましたが、見てみないふり。どういう育て方をしているのでしょうか。その子の前に、すでに開けて覗いている子がいました。
景福宮の中は広く、しかも迷路のようになっています。たっぷり時間をかけて見られてよかったです。ツアーなんかで、はい、何時集合とやられると迷子になって遅れては困りますので、奥の方まで見に行けなかったかもしれません。
これで一応、見たかったリストすべて制覇したことになります。遠くてあきらめていた水原、北村韓屋村、火曜日定休だった景福宮、ガイド時間に間に合わなかった宗廟、何とかなりました。
景福宮を出た後、地下鉄の乗って明洞まで戻ろうかと思っていました。ところが、ウォンがもう2800wしか残っていないのです。また地下鉄に乗るには1000wずつ必要ですから、カードの使えない屋台では食べられません。
人生でしてはいけないものが二つあります。遠慮と貧乏です。私が高校生の時、ユースホステルで出会った大学生が教えてくれました。今、そのしてはいけない貧乏をしてしまったようです。
仕方がありません。歩いて明洞まで帰ることにしました。どうせならまた、仁寺洞を通過しましょう。仁寺洞入り口にある、筆をモチーフにした石碑です。
一昨日来た時には中央通りだけでしたので、脇道にも入ってみました。いくつも行き止まりがあります。
筆の石碑があるくらいなので、きっと筆がここの名物なのでしょう。
字下手で、キーボードなしには何も書けない私ですが、こういう物を買ってじっくり書けばきっと良い精神修養になることでしょう。
でも、お金が2800wしかない、、、。みんなビンボが悪いんや。
怪しい露天の骨董商。こういうところで安く買ったら、あっと驚く実は本物、国宝級のお宝なんて話は期待しない方がよいでしょう。どうせ買うお金がありません。
そういえば10万w余らせて李さんへのチップにするという話、知らないうちに流れちゃったね。お金は本当に、「御足」というくらいすぐにどこかへ行ってしまいます。でも、来る方はなかなか来ないので、不思議ですね。
仁寺洞のレストランで昼食を食べようと思うのですが、妻はトッポッキとキンパッの美味しいやつ(まずい方は前日に食済み)をまだ食べていないと言うのです。でも、カードの使えるところでしか食べられません。ガイドブックでスクールフードが紹介されているので、そこまで戻るというのです。おい、本気かよ、ここは仁寺洞だぜ。明洞なんて遠過ぎるぜ。
「そんなことないでしょう、一昨日歩いたじゃない。どこか寄るつもりなの?」
いや、途中でちょっと、本当にちょっとだけ東大門市場の登山用品街を、、、、。はい、そうですね。却下ですね。
そんな訳で、明洞まで歩いて戻りました。
続きはソウル旅行記4日目の2へ。
まあ韓国は中国の正史史観に思いっきり影響を受けているから当の韓国の歴史研究家ですら「そうとう眉唾もの」とは言っていますが(んなこと言ったら日本の古代史だってかなりめちゃくちゃだと思いますけどね)。